第六話 森の異変
「おっと、そう言っている間に着いたな。リリィ、ここが木材倉庫だ。森で切られた木は、ここに集めて保管しておくんだ」
リリィが自分のやるべきことについて頭を悩ませているうちに辿り着いたのは、アースランド領の主産業である林業、それに使うための保管庫だった。
村の端に設置されたその倉庫を見て、「大きな体育館みたい」と零したリリィは、更にその裏手に大きな川が流れていることに気が付いた。
そこには、船を横付けするための桟橋のようなものも作られており、集めた木材はここから船を使って他領に運ばれるのだろうかと、リリィは漠然と考える。
そうしていると、ちょうど伐採作業を終えて家に帰るところなのか、木材倉庫の中から木こりと思しき男達が姿を現した。
魔物などという、熊よりも更に恐ろしい生物が生息する森の奥に、斧を片手に乗り込んでも構わないという命知らずな男達だ。皆ゴツイ体付きをしており、リリィからすれば彼らの方こそ熊よりもよほど強そうに見えた。
そんな彼らの姿を見つけると、カロッゾは馬から荷物を降ろしてその場に置くと、リリィを抱きかかえてそちらに向かって歩いていく。
「お前達、調子はどうだ?」
ガヤガヤと騒ぐ彼らに対し、カロッゾが気さくに声をかける。
すると、彼らもまたカロッゾに気付き、口々に野太い声で挨拶を交わした。
一通り挨拶を終えたところで、男達の中から一人、帯剣した男が進み出る。
「大将、こんなところでまでよくおいでに。今日はどうしたんで?」
「クルトアイズか。何、視察だよ。ついでに、この子に村の様子を見せてやってるんだ」
クルトアイズと呼ばれたその男は、カロッゾに仕える従騎士の一人だ。
先代のオルトスが戦場でスカウトした傭兵上がりの騎士であり、年齢的には四十代も目前で、カロッゾより大分年上だ。
しかし、オルトスへの恩義と共に、カロッゾ自身の実力を誰よりも高く評価しているため、その荒っぽい態度とは裏腹に、アースランド家に心からの忠誠を誓っている。
「へえ、するってぇと、その子はもしかして……」
そんなカロッゾに娘がいることは、当然クルトアイズも把握していた。
リリィがこれまで領主館から一歩も出たことがなかったためにまだ顔を合わせたこともなかったが、カタリナによく似たその顔立ちを見間違えるはずもない。
「初めまして! リリアナ・アースランドです! 皆さん、よろしくお願いします!」
流石に、抱き上げられたままでは格好がつかないからと、自ら地面に降りたリリィは、男達に元気よく挨拶し、ペコリと小さな頭を下げる。
あまり貴族らしい挨拶とは言えなかったが、そこはほとんど平民と変わらない騎士爵家、元より領主と領民の距離が近いため、さほど気にされることはなかった。
むしろ、むさ苦しい空気の中で咲き誇った愛らしい幼女の笑顔を前に、厳つい男達が揃って相好を崩す。
「おっ、ちゃんと挨拶出来て偉いじゃねえですか。体が弱いって聞いてやしたが、もう大丈夫なんで?」
「ああ、最近は大分落ち着いてきたからな。まだ心配なところもあるが、少しは外の空気を吸わせてやろうと思ってな」
「そんなことないですよ、私ならもう大丈夫です! ほら、この通り、元気いっぱいです!」
カロッゾの言葉に、リリィは両手を広げながらぴょんぴょんと飛び跳ね、全力で元気さをアピールする。
微笑ましいその姿に、基本的に悪人面のクルトアイズさえもその表情を緩めた。
「そうかい。なら、親父さんに心配かけねぇように、毎日しっかり食って、しっかりクソして、しっかり寝るこったな」
「はい! もちろんです!」
「クルトアイズさん、女の子相手にそれは下品ですよ」
「おっといけねぇ、ついてめぇらのガキと同じ感覚で喋っちまった」
「気を付けた方がいいですよ、クルトアイズさんはただでさえ口が汚いんですから」
「全くです、この間もうちの子が、貴方の影響で変な言葉を覚えて来て……」
クルトアイズの言葉に素直に頷くリリィを見て、木こりの男達が口々に苦言を呈し始める。
本気で迷惑しているというよりは、むしろそのやり取り自体を楽しんでいるかのような彼らの様子に、リリィはくすりと可笑しそうに笑った。
「そうだ、リリィ。馬のところにみんなへの差し入れを用意してあったんだが、うっかり置いて来てしまったんだ。取って来てくれないか?」
「あ、はい! 分かりました!」
そんなリリィに、カロッゾがふと思い出したといった様子で頼み事をする。
それに元気よく了承の意を伝えると、リリィはとてとてと馬の下へ向かって走り出した。
リリィの後ろ姿を見送り、まさに親バカそのものと言っただらしない表情を浮かべるカロッゾだったが……すぐにその緩んだ表情を引き締め、為政者としての貴族の顔に戻ると、クルトアイズに向き直る。
「クルトアイズ、森の様子はどうだった?」
「後で報告書を上げるってぇのに、相変わらず大将は真面目なこって。まあいいですけどね、森の様子というなら、妙に静かでしたね」
「というと?」
「動物の気配が、ほとんどしやせんでした。まるでみんな揃って巣穴に潜って息を潜めてるみてぇに」
「なるほどな。他の者はどうだ?」
カロッゾに話を振られ、木こり達が口々に自らの感じたことを口にする。
その内容は、概ねクルトアイズと同じか、より一層危機感を覚えているような口ぶりだった。
「そうか……みんな、貴重な意見感謝する。それでは、クルトアイズ」
「へい」
「三日後に予定していた森の見回りを前倒し、明日執り行うこととする。それで森の異変の原因を見つけられればよし、何も見つからなかった場合も、当分は厳戒態勢だ。魔木の伐採作業中の護衛は、スコッティと二人で行ってくれ」
「了解しやした」
スコッティは、アースランド家にもう一人だけ存在する従騎士の名だ。
クルトアイズと合わせ、普段は二人が交代で護衛に就くはずのところを、しばらくは揃って護衛を行う態勢に変更すると言う。
子供達の前では決して見せない、重々しい口調で語られたカロッゾの言葉に、木こり達は息を飲む。
「それはつまり……魔物ですか?」
「あくまで可能性だが、森が静かだというのに、村の畑が受けた被害はむしろ増えていたようだし、まず間違いないだろう。皆もそのつもりでいてくれ」
張り詰めた緊張感の中、男達は覚悟を決めた表情を浮かべ、一様に気を引き締めるのだった。
一方その頃、カロッゾにちょっとしたおつかい……とも呼べない荷物運びを任されたリリィはと言えば、真面目な表情で言葉を交わすカロッゾ達を後目に、若干不満そうな様子で馬の近くに置かれた荷物を漁っていた。
「全く、お父様も気を使い過ぎですよ」
荷物を自分で降ろしておいて、むざむざリリィの手が届く場所に忘れてくるなど、流石に露骨過ぎる。
リリィが普通の四歳児であれば気にも留めなかったろうが、カロッゾが娘に、あまり突っ込んだ会話を聞かせたくなかったのだろうということは、容易に想像がついた。
獣害対策については普通に話してくれたことから考えると、それ以上に危険、もしくは機密性の高い話題となるが……。
「魔物でも出たんでしょうか……? 何事もなければいいんですけど……」
推測を重ね、それと知らずに真実に近い部分まで近づきながら、荷物の中から木こり達への差し入れを取り出す。
ヒョウタンのような形をした容器の中には、この村では貴重なワインが入っている。
一体どのような話をしているのか、ただでさえ厳つい顔を更に恐ろしげな表情に変えている彼らも、これを見れば狂喜乱舞し歓声を上げることは間違いないだろう。
そんな姿を想像し、くすりと笑みを浮かべながら、リリィは取り出したそれを大事そうに抱え、カロッゾ達の下へ戻ろうとして……。
「え?」
不意に、何か声のようなものが聞こえて、その場で振り返る。
しかし視線の先には、静謐な雰囲気漂う森が広がるのみで、少なくとも声を発するような存在の姿は見受けられない。
「気のせい……じゃ、ないですよね? これは……?」
それでも、確かにそれは聞こえてくる。
それが何を意味する言葉なのかは分からず、そもそもなぜそれを声と認識したのかすら分からないが、不思議と頭に響くそれに、気付けば意識の大部分を引き付けられていた。
まるで、助けを求めるかのように響く、その声に。
「……行かないと……」
心に訴えかけてくるその声に引き寄せられるまま。
リリィは荷物をその場に置くと、内なる衝動に突き動かされるまま、そちらへ向かって走り出した。