第五十九話 マリアベルの事情
私の名前は、マリアベル・スクエア。スクエア侯爵家の次女です。
スクエア家は、王家より西方の守護を仰せつかった建国より続く名家で、北方より流れ込む川の影響から、肥沃な大地に恵まれています。
その分、土地を巡って隣国との諍いが絶えない不穏な地域でもあるのですが、そうした脅威に対抗すべく、スクエア家は長い時間をかけて魔法の研鑽を積み、王国の中でも一、二を争うほど多くの優秀な魔導士を抱える家柄となっているのです。
そんな家に生まれた人間に何よりも求められるのは、やはり魔法の才能です。
男女問わず、力の多寡も関係なく、適切な訓練で技術を身に着ければ、誰もが扱えるようになる万能の武器。
それを少しでも研ぎ澄まし、“武器”を“兵器”に、数で勝るチェバーレ帝国軍を相手に、質で対抗すべく励むこと。それが、スクエア家に生まれた者の義務なのです。
でも……私には、そんな義務もこなせませんでした。
誰でも、小さな頃から当たり前に出来る、自身の持つ魔力の認識と操作。それが全く出来なかったのです。
「このように、自分の胸に手を当てれば、血が流れているのを感じますでしょう? それに意識を向けて、血と一緒に流れる力を読み取り、操るのです」
教育係の方にそう説明されても、私には何も感じられません。
頑張って魔力を捻り出そうとしても、変な唸り声が漏れるばかりで、魔力らしきものは出てきてくれません。
お父様や、お姉様や、他にもたくさんの人が力になってくれましたけど、いつまで経っても、私は魔法はおろか、魔力というものを感じることすら出来ませんでした。
一体なぜなのか、ついには薬師の先生までお呼びして、ようやく原因が明らかになります。
――魔力不感症。
先生からそう聞かされた時、最初は意味が分かりませんでした。
魔力を感じ取れなくなる病のことだと聞かされて、なるほどという納得と、それはいつ治るんだろうと首を傾げたのを覚えています。
そして……恐らく治ることはないと聞かされて、自分の中で何かが崩れ落ちていく音が聞こえました。
「聞いた? マリアベルお嬢様、魔力不感症だって」
「魔力を一切感じ取れない病で、恐らく一生魔法は使えないだろうとのことだ」
「おいたわしい……モニカ様など、五歳で既に攻撃魔法すら習得しておられたというのに」
「侯爵家の恥ですな、さっさとどこかの家に嫁がせればよろしい」
好奇の目、同情の目、侮蔑の目。
様々な視線に晒されながら、私はそれでも頑張りました。
スクエア家の書庫をひっくり返す勢いで本を読み漁って、何とか魔法を使えないかと魔道具の研究に没頭して……理論だけなら、あと一歩のところまで来たんです。
でも、それを形にしようとしたら、また魔力が使えないことが壁となって、私の前に立ちはだかりました。
魔道具を実際に作ろうとしても、魔法を使ったことがない私には、魔力の流れが上手くイメージ出来ず、魔法陣が組めないのです。
そのハンデを乗り越えるために、まずは経験を積もうと魔道具をいくつも作り上げて、人に使って貰ったんですが……その度に暴発事故が起きて、やがて誰も私の魔道具を試してくれなくなりました。
私も当主の娘ですから、頼み込めばやってくれるでしょうけど……ただでさえ危険の大きい魔道具の試用試験を、やりたくない人に無理矢理やらせたくはありません。
でも、そんな状態では遅々として研究が進まなくて……最近では、特に意味もなく部屋に籠って、窓から中庭で訓練する騎士の方達を眺めて、そこで飛び交う魔法を見て、鬱屈した想いを募らせていました。
「あれは……?」
そんな時でした。いつものように中庭を覗いていたら、見慣れない子が遊んでいたんです。
やたら大きな狼がいて、フリスビーで無邪気に遊ぶ姿に、少しだけ羨ましくなってしまって。
いつもなら、窓の端から見つからないようにこっそりと見ているんですが、思わず体を乗り出してしまいました。
「ガウッ!」
「きゃっ……!?」
すると、私の方に飛んできたフリスビーを追って、その狼が空を飛ぶように迫って来たんです。
遠目に見るくらいならなんともありませんでしたが、間近で見るそれは本当に大きくて怖くて……腰を抜かしてしまったのは、仕方のないことだったと思います。
「い、今のって……魔物……?」
いくらなんでも、あんな風に動ける狼なんて見たことがありません。
思わぬ事実に気付き、私は座り込んだまま呆然としてしまいました。
「すみません、先ほど脅かしてしまったリリアナ・アースランドです。開けて貰えませんか?」
なので、その声が扉の外から聞こえてきた時も、どうすればいいのか分からずオロオロするばかり。
反応がないせいか、段々と扉をノックする音が大きくなり、焦ったような声になっていきます。
「う、うぅ……」
怖いですけど、このままにしておくともっと怖いことになる予感がしたので、私は扉を開けるべく恐る恐る近付いていきます。
ただ、その判断は少し遅かったようです。
「やっ!!」
「ふえぇぇぇぇ!?」
盛大な音を立てて扉が吹っ飛んだのを間近に見た私は、あまりの事態に気を失ってしまいました。
「ほんとーーに……申し訳ありませんでした!!」
部屋の扉を吹っ飛ばした子は、リリアナ・アースランドさんというそうです。
私が目を覚ますなり、平民ですら早々行わない見事な土下座を披露してくれた彼女は、お詫びに魔道具の試験を手伝ってくれると申し出てくれました。
喉から手が出るほど欲しかった、私の魔道具を試してくれる相手。
暴発の危険について説明しても、なぜかやたらぐいぐいと押してくる彼女を見て、私は押し切られるように了承しました。
……いえ、違いますね。
私は、押し切られた体を装うことで、自分の欠陥品を試させる生贄を用意する罪悪感から逃れようとしていたんです。
だから……予想通りに暴発を繰り返して、思わぬ魔法に振り回されるリリアナさんを見て、私の心はどうしようもないほどに痛みました。
「他家の子女にまでご迷惑をおかけして……いい加減諦めなさい」
お姉様にそう言われて、返す言葉なんてありませんでした。
私の中で、私が魔法を使うための理論は既にあります。でも、それは普通の魔導士にとって、何の役にも立たない理論です。
当たり前でしょう、魔力が全く制御出来ない人なんて、私以外にいるはずがないんですから。
だから、こんなものが形になったとしても、誰の役にも立たないのは分かっています。
他人に危険な真似をさせながら、自分は安全な場所からそれをのうのうと観察して、自分のためだけの魔道具を作る。
そんなことを続ける自分がどれだけ卑怯者か、お姉様に言われなくても、私自身分かっているんです。
だからきっと、これは夢なんです。
「マリアベルさん! 私と一緒に魔道具を完成させましょう!」
リリアナさんが、またしても突然押しかけてきて、鼻息も荒く詰め寄って来るなんて。
「あ、あの……リリアナさん」
「はい、なんですか?」
にこにこと、笑顔で首を傾げるリリアナさん。
あれだけ散々暴発に巻き込まれたことをもう忘れてしまったのかと勘違いしそうなほど、その瞳には恐れも不安もなく、ただキラキラと宝石のように輝いています。
……こんなに綺麗で純粋な眼をした人を、私の都合で振り回したくはありません。
「気持ちは嬉しいですけど……私はもう、魔道具は……」
これ以上はみんなの迷惑になるだけ。そう思って断ろうとしますが、リリアナさんは断固として認めてくれませんでした。
「ダメです! マリアベルさん、これまでずっと一人で頑張ってきたんですよね? そんな簡単に割り切れることじゃないはずです!」
「でも……」
「それに、来週の晩餐会で、マリアベルさんの魔法を披露するって、セヴァロニアス閣下に宣言して来ちゃいましたし」
「ですから……んん? 今なんて言いました?」
何だかとんでもないことをさらっと言われた気がして、私は思わず聞き返します。
でも、どうやら聞き間違いではなかったらしく、リリアナさんは大真面目な口調で再度同じことを口にしました。
「晩餐会で、マリアベルさんが作った魔道具による魔法を披露するんです。マリアベルさんが」
「いや、いやいやいや、無理です、絶対無理です!! リリアナさん、私の魔道具使いましたよね!? まだまだ、全然完成には程遠いんです! 来週までなんて絶対間に合いませんよぉ!?」
私はまだ、今まで一度も魔道具を完成させたことがないんです。今までにない魔法術式から魔法陣を組み上げて、それを実際に使えるように最適化するには、どれだけ時間がかかるか分かったものではありません。
なので、今からでも無理だと伝えて欲しいと願いながら、私はいつになく必死に声を上げて訴えかけます。
「いえ、晩餐会までになんとか形にしましょう。せめて、マリアベルさんのお姉さんが学園に戻る前に」
「……!」
その言葉を聞いて、リリアナさんがわざわざ晩餐会で披露すると期限を切った理由をようやく察しました。
彼女はモニカお姉様が侯爵領にいるうちに魔法を成功させて、私とのわだかまりを無くそうとしてくれているんでしょう。
でも、どうして。
「どうして……今日会ったばかりのリリアナさんが、そこまでするんですか? 私みたいな、出来損ないの魔導士のために……」
リリアナさんとは、本当に先ほど会ったばかりです。
それなのに、ちょっとしたことのお詫びに危険な試用試験の手伝いまでして頂いたのみならず、お礼もロクに言わずに別れてしまった私のために、こうしてまた足を運んでくださりました。
ここまでして貰う理由も、価値も、何一つないはずなのに。
「えーっと、そうですね……私、魔力量が多すぎて、他の人みたいに自由に魔力を制御出来ないんですよ。なので、マリアベルさんがもし魔力不感症でも扱える魔道具を作れたなら、そのお裾分けが欲しいなー、なんて思いまして」
「えっ……」
困惑する私に語られたのは、リリアナさんが抱える予想外の事情。
まさか私以外にも、魔力の制御に苦労している人がいるなんて。
「もちろん、マリアベルさんの抱えている障害に比べたら、私は魔力の放出くらいなら自由に出来ますし、全く制御が効かないわけじゃないですから、全然大したことはないです。でも、自分に力が足りないせいで、家族と真っ直ぐ向き合えない辛さは分かりますから」
飾らない言葉でハッキリと言われ、私は思わず目を逸らしてしまいます。
家族と、真っ直ぐ向き合えない辛さ。
私が、最後にお姉様の顔をしっかりと見たのは……いつだったでしょうか?
家族に比べて劣っている自分が嫌で、家族に対して嫉妬してしまう自分が嫌で、長い間ずっと目を背けていた気がします。
「だから、何としても魔道具を完成させましょう! 晩餐会に集まった人達に、マリアベル・スクエアここにありって、ド派手な魔法で度肝を抜いてやるんです!」
まるで自分の夢を語るかのように、リリアナさんは私の夢を代わりに語ってくれます。
そうです。私だって、いつかみんなをあっと言わせる魔法を披露して、スクエア家の一員なんだって、みんなに認めて貰いたいんです。
私もお姉様と同じく、この家に生まれた魔導士の一人なんだって、胸を張って歩きたいんです。
「そうしたら私も、その魔道具で強くなれて、一石二鳥です! お互いwinwinの関係ですから、魔道具作りに必要なことがあれば、試用試験でもなんでもじゃんじゃんお任せください。なんて言ったって、私はあの“黄金騎士”カロッゾ・アースランドの娘ですから、ちょっとやそっとの暴発なんか、怖くもなんともありません!」
そう言って、ふふんっと胸を張る小さな少女。
失敗を恐れず、未来を信じて突き進むその力強い姿は、私と同じくらいの歳には見えないくらい、とても大きく見えました。
「だからマリアベルさん、一緒に頑張りましょう!」
輝く太陽のような笑顔で、私に向けて差し出される小さな手。
ちょっと強引で、優しくて、温かなその手を。
気付けば私は、ぎゅっと握り返していました。




