第四十九話 一時の別れと新しい夢
アースランド領でベラ熱の発症が確認されてから、実に四週間後。
一時は患者数二十人にまで登った疫病もようやく落ち着きを見せ、今では僅かに三人ほどの患者を残すのみとなった。
油断すればまた増えてしまう恐れもあるが、残った患者も概ね回復して普通に食事を取れるまでになっているので、完全終息までもはや目前だ。
無理が祟ったせいか、少々症状が長引いていたカタリナやリリィの症状も回復した他、ランターン商会の従業員たちも、一人残らず健康体に戻っている。
つまり、予定外に長引いた彼らの滞在も、ついに終わりを迎える時がやって来たということだ。
「一か月も一緒にいると、別れが寂しくなりますね」
「どうせ、また春になったら来るよ。婚約者にはまだなれなかったけど、これからは勉強のために商会の人と一緒に動くことも増えるし」
「あはは、その時はまたよろしくお願いします」
桟橋に停泊した船の前で、リリィはルルーシュと最後の挨拶を交わしていた。
最後と言っても、ほんの二ヶ月程先には十分に寒さも和らぎ、商会との交易も再開されるはずなので、本当に一時の別れに過ぎないのだが。
とは言っても、この短い一ヶ月の間だけで、一緒に魔法を練習したり、巡回診療を行ったり、賊に襲われたり、風邪を引いて看病されたり……少し思い返すだけでも、中々に濃密な時間を共に過ごしていたため、どうしても心に寂しさの感情が浮かんでしまう。
だからというわけではないが、リリィは涙を堪えて鼻を啜りながら、懐からあるものを取り出した。
「ルルーシュ君、これあげます」
「うん? これって……」
リリィが手渡したのは、ベラ熱に苦しむ患者達を励ます目的で作られ、最後にはその命を繋ぎ止めるために活躍していた魔道具。《念話》の魔法陣が刻まれた、狼の木彫り人形だった。
「あげるって、これ、大事な物なんじゃ?」
「だからですよ。王都からここまでは遠いですから、この魔法は通じませんけど……それでも、これがあれば、ちゃんと繋がっていられる気がしますから」
今回に限らず、リリィは今まで何度も風邪を引いては、人形を抱くことで兄の存在を身近に感じ、寂しい時間を乗り越えていた。
アースランド領では狼が守護獣として敬われていることもあって、ルルーシュに持っていて欲しいとリリィは考えたのだ。
それに、《念話》はストランド王国において、“絆”の象徴たる緑の精霊・リリーナの力を借りて行使する魔法とされているため、その加護が込められた魔道具は再会を願う贈り物としても縁起がいい。
「……ありがと、リリアナ」
「リリィ、でいいですよ。同じ屋根の下でこれだけ一緒に過ごしたんですから、私達もう家族みたいなものじゃないですか」
ブッ! と、思わずルルーシュが吹き出す。
リリィとしては何の気もなく言ったのだが、周りからすれば直前の行動もあってほとんど求婚に等しい。
もうすぐ社交にも出られる歳になることだし、少しは淑女らしい慎みを覚えさせるべきかと、アースランド家の面々は頭を悩ませた。
「……じゃあ、僕もルルでいいよ。家族はみんなそう呼んでるから」
「分かりました。改めて、これからもよろしくお願いします、ルル君!」
「こちらこそ。……あのさ、リリィ」
「はい、なんですか?」
「リリィってさ、将来の夢とかあるの? ほら、魔力の制御が出来るようになりたいって言ってたけど、その後」
「え? ああ……私は出来れば、アースランドのみんなを守れるようなお仕事がしたいです。ルル君みたいに」
自分が薬師になれるとは思わないが、そうやって人を助けられる仕事というのは憧れる。
騎士の次くらいに。
「だったら、その……もし、僕が将来、ここに……」
「へ? すみません、もう一回言ってもらってもいいですか?」
ルルーシュが急に顔を赤くしながらボソボソと何事かを呟くも、川のせせらぎにかき消されてよく聞こえない。
再度尋ねるリリィだったが、ルルーシュは「なんでもない」と首を横に振った。
「体、気を付けてね。リリィはすぐ無理するから」
「わ、分かってますよ。ルル君こそ、船旅は疲れが出やすいですから、無理しちゃダメですよ!」
咄嗟に言い返すリリィだったが、少なくともその件については誰も擁護するつもりはないのか、孤立無援のまま方々から視線の槍が突き刺さる。
がっくりと項垂れるリリィに苦笑を浮かべながら、仕切り直すようにカロッゾが一つ咳払いをした。
「それではマカロフ殿、例の回答はまた春に」
「ええ、いいお返事を期待しております」
互いの長同士で握手を交わし、他にも幾人か、この騒動の間に親しくなった者同士、別れを惜しんで声を掛け合う。
「出航だ、お前達、錨を上げろ!」
やがて、マカロフの号令で船が桟橋を離れ、川の流れに乗って下流へと降っていく。
緩やかに進む船に向かって、リリィ達はいつまでも手を振り続けていた。
「……クルトアイズ!」
「ん? どうしたんで? ユリ坊」
ランターン商会が去った後、片付けをしているクルトアイズの前に突然ユリウスが現れ、真剣な表情で声をかけた。
治癒魔法のお陰で怪我は大分良くなっていると聞くが、まだ本調子には遠いはずの彼が何をしに来たのかと、クルトアイズは首を傾げる。
そんな彼に、ユリウスは深々と頭を下げた。
「頼む、俺に戦い方を教えてくれ!」
「はあ、そいつは別に構わねえですが、どうして俺に? ユリ坊なら大将から教わればいいでしょうよ」
突然の頼み事に、クルトアイズは目を瞬かせる。
はっきり言って、クルトアイズはカロッゾより弱い。
奇襲や搦め手は自信があるが、騎士らしい正面からの戦いに限るなら、どちらかといえばスコッティの方が教師としても向いている。
どうして自分なのかと問うクルトアイズに、ユリウスは顔を上げて真っ直ぐに答えた。
「俺にはクルトアイズの戦い方が合ってるって、前に父様に言われたことがあるんだ。それでも、今までは父様に教わってるからそれで十分だって、そう思ってたけど……」
ぐっと拳を握りしめ、悔しさを堪えるように歯を食いしばる。
そんなユリウスに、クルトアイズはあえて何も言わずに続く言葉を待った。
「それじゃあ全然足りなかった。俺、半年前から何も変わってない」
「変わってないってこたぁないでしょうよ。ユリ坊だって随分強くなりましたぜ?」
クルトアイズの言葉は誇張でもなんでもなく、ユリウスはこの半年、カロッゾから真面目に訓練を受ける中でメキメキと腕を上げている。今なら仮にタイラントベアと対峙しても、勝つことは出来ないだろうが時間を稼ぐくらいなら十分に一人でやってのけるだろう。
それでも、ユリウスは納得していなかった。
「でも俺、また誰も守れなかった。あいつらが本気で殺しに来てたら、リリィもルルーシュも死んでたかもしれない」
自分が気絶した後、駆け付けたリリィが賊と交戦したという。
結界がルルーシュによって破壊されていたため、増援を嫌って賊の方が撤退していったというが、本気で戦っていればどうなっていたか……そんなもの、考えるまでもない。
「だから俺、もっともっと頑張って強くなるんだ。父様だって忙しいから、ずっと俺の訓練ばっか付き合うわけにいかないだろうし、だったらその分、クルトアイズに教わりたい」
「……俺が教えられるのは、行儀のいい騎士剣術とは真逆な、意地汚い傭兵の戦いです。それでも、やるんですかい?」
「構うもんか。リリィや村のみんなを守れるなら、俺は騎士としての正しさなんかよりもちゃんとした強さが欲しい!」
はっきりと言い切ったユリウスの頭を、クルトアイズがぐしぐしと撫で回す。
何すんだと不満そうなユリウスだったが、クルトアイズがニヤニヤと嬉しそうな笑みを浮かべているのを見て、思わず口を閉じる。
「そこまで言うなら、いいですぜ。俺の持てる全て、ユリ坊に教えてやりますよ」
「ほんとか!? クルトアイズ、ありがと!!」
「ま、これも従騎士の務めってやつです。気にしないでくだせえ」
「それじゃあ、早速今から……」
「いやいや、気が早いですって、俺もこの後、大将に色々と報告しなきゃならねえんで、やるならその後でお願いしやす」
「ちぇ、分かった、それじゃあまた後でな!」
スコッティにも模擬戦の相手頼もうかな、などと呟きながら走っていくユリウスの後ろ姿を、クルトアイズは苦笑しながら見送る。
残った仕事を片付けようと振り返りながら、クルトアイズは一人呟いた。
「少し前までは、ただの悪ガキだったってえのに、全く、ガキの成長ってのは早いもんですねえ……こりゃ、俺らもうかうかしてられませんぜ、大将」
先に領主館の方へと戻っているはずのカロッゾに向けてそう呟きながら、クルトアイズは残った作業を手早く処理していく。
未来の当主が、立派に成長を始めている。その事実に、柄にもなく浮かれた彼の姿は、後に「次の獲物を見つけた山賊みたいだった」などと不名誉な形で村中に広まることとなるのだが、この時のクルトアイズにはまだ、そんなことは知る由もなかった。
「ルル、リリアナ様にちゃんと伝えなくて良かったのか?」
一方その頃、アースランド領を離れた船の上で、いつまでも川の上流を眺めていたルルーシュへと、マカロフが声をかけた。
どこへ連れ出そうと、さして興味もなさそうに船内に閉じ籠るばかりだった息子が、珍しく別れを惜しんでいる。
そんな姿を見て穏やかに微笑む父親に、ルルーシュは苦笑を浮かべながら言った。
「いいよ、今の僕が言っても、説得力ないし」
ルルーシュの夢は、薬師になることだ。
それは今でも変わらないが、もう一つ、その先に新しい目標が出来た。
「リリィが言ってた、“薬屋ルルーナ”……いつか本当に、二人で開きたい、なんてさ」
辺境の薬屋は、言うほど簡単に開けるものではない。
王都で用いられるような最新の魔導設備はまず使えず、薬の調達も気軽には出来ない。魔法薬の多くは長期保存が効かないために、今回のような疫病で薬が必要になると、材料以上に薬師の人手が足りなくなってしまう。
それを補うため、村人総出で対処していたが……彼らは彼らで本来の仕事があり、病気の対処に人手を割きすぎれば、領内の生産活動が停止して全員が飢え死にする結果を招きかねない。今回は、ランターン商会の援助があったからどうにかなっただけだ。
そうした事態を避け、病に備えるためには、長期保存が効く物資の集積所の設置や、いざという時に素早く他の領地と連携できる体制づくりなど、やらなければならないことは多い。
「だから、次に会う時までには、後ろで庇われるばっかりじゃなくて、隣に並んで立てるくらい立派な男になってみせるから。……それまで待っててね、リリィ」
リリィから貰った、狼の木彫り人形に向かってそう呟いたルルーシュは、そのまま踵を返し、船の中へ向けて歩き出す。
――この半年後、両家の話し合いの末、ルルーシュとリリィは婚約を交わすのだった。
はい、これにて第二章終了です。作品としてはプロローグが終わったくらいですかね!
……何をトチ狂ったこと言ってるんだお前は? と思ったそこのあなた、正解です。前作に換算するとこれ、5話くらいですからね。頭おかしいくらい進み遅いですね、はい。
一応、キャラが増えたり、敷くべき伏線が増えたりしたのを真面目にストーリーとして組み上げたりと色々あった結果なんです、お許しを!
というわけで、次章はいよいよリリィが領外に飛び出します! 前作の頃のリリィが暴れさせろと毎夜枕元で囁いて来るのでいい加減主人公らしく戦って貰う予定です、お楽しみに!




