第四十六話 襲撃のその後
辛くもアースランド領に侵入した賊を撃退したリリィ達は、その後すぐに駆け付けたカロッゾ達によって保護された。
ルルーシュはほぼ無傷、リリィは軽度の魔力暴走に加え多数の擦り傷があったものの、特に命に別状はなく、一晩ぐっすり寝ればすぐに良くなると診察された。
問題はユリウスで、魔法による攻撃を生身で受け止めてしまったためにあばらが何本か折れており、早急に治療が必要な状態だった。
カタリナが病床に臥せっている中、ルルーシュとカミラが協力して治療に当たり、ひとまずの事なきを得たものの、しばらくの間は絶対安静を言い渡される。
そしてこの一件は、何も傷ついた子供達だけの問題ではない。ベラ熱が流行し、人手も物資も何もかもが不足している中で起こった襲撃という一大事は、否が応でも人々の危機感を煽った。カロッゾやクルトアイズが離れの結界の維持に回され、カタリナも動けず、バテル達が領を離れている中、次も同じように撃退出来ると思えるほど、誰も楽観的にはなれなかったのだ。
そこで何が起こったかと言えば……村人達の大規模な決起である。
ロクな武器も持たない農家のジジババから、普段から森で斧を振り回している木こりのおっさん、果ては主婦の女性までもが立ち上がり、領主館に押し寄せて来た。
理由は言わずもがな、クーデター……などではもちろんなく、倒れたユリウスの仇討ちである。
ユリウスは何かにつけて悪ガキなどと称されるイタズラ好きではあるが、同時に父親に似て貴族だからと偉ぶったりはせず、村人達とも気さくに接し、困っている人がいれば気にかけてくれる、優しい少年だった。
そんな領主家の跡取りに人気がないはずもなく、多くの人がユリウスのことを可愛がっており、今回の件は彼らの心に恐怖以上に、怒りの炎を灯していたのだ。
さて、そうなると困るのは誰かというと、押しかけられたカロッゾの方である。
村人達の気持ちは嬉しいが、相手はユリウスが一方的に打ち倒され、リリィの常軌を逸した魔法の連打を凌ぐほどの猛者だ。仇討ちなどと言ったところで、戦闘訓練も受けていない彼らでは出会った瞬間殺されかねない。
血気に逸る彼らをなんとか宥め、それでも何か力になりたいと懇願する彼らを、患者達の看病、村周辺の見回り、料理や掃除、離れへの魔力供給などといった複数の班に振り分けるだけでも一苦労だった。
「もっとも、ユリウスまで怪我で動けなくなって、人手が足りなかったことは事実だからな、そういう意味では助かった。それで賊に感謝しようなどとは欠片も思わんが」
「ご心中、お察ししますよ」
そうした現状報告を、カロッゾは無事薬を持って帰って来たバテルに話していた。
リリィの提案した魔力濃度による症状緩和、ルルーシュの作る薬、それに単純な人手の増加もあって、何とかここまで患者達の命を繋ぎ止めることには成功している。ここにバテルが持ち込んだ薬があれば、何とかこの危機も乗り越えられるだろう。
もちろん、そうして出来た余裕で、カロッゾ自身が賊の警戒に当たることも出来るようになる。
「そもそも、今回の賊はおかしなところが多い。二人から聞いた話を総合すると、かなり練度の高い人間が送り込まれているのは確かだが、それで狙ったのはただの設計図一枚。それも、まだ建造すると決まったわけでもない船の設計図だ。バテルはこれをどう見る?」
ルルーシュとリリィの証言で、賊の正体がチェバーレ帝国の工作員だったこと、そしてその狙いがランターン商会が建造しようとしていた軍艦の設計図であるということは、既にカロッゾ達も把握している。
出来れば外交の場で糾弾の一つもしてやりたいところだが、賊を捕らえたわけでもない現状、そんなことをしてもしらばっくれられるのがオチだ。
ならばせめて、捕まるリスクを承知でこのような暴挙に出た理由を推察し、次があれば備えたい。
そんな思惑を孕んだカロッゾの問い掛けに、バテルは淀みなく口を開いた。
「強いて上げるなら、我々とランターン商会の離間工作、でしょうか。アースランド領は商人なくして立ち行かないですし、ランターン商会もまたいくら認可を受けたとはいえ、我々の支援なくして軍艦の建造には踏み切れない様子。それを妨害することで、あわよくば両者の不和を狙い、弱体化させようとした可能性はあります」
「……帝国がそんな迂遠なことをするか? 確かに領内で刃傷沙汰になれば我々の落ち度を責められるかもしれんが、逆に言えばそれだけだろう?」
アースランド領は帝国との国境線に位置し、統治するには大変だが有用な資源地帯だ。
戦争で失ったこの地を帝国が奪い返したいと願っていてもおかしくはないが、これではリスクに対してあまりにもリターンが少ないのではないか。
そんなカロッゾの指摘に、バテルは「その通りです」と頷く。
「なので、これは想像ですが……今回の一件の絵を描いた者は帝国ではなく、我が国にいるのではないでしょうか」
「……帝国はあくまで情報に踊らされたということか?」
帝国は、ランターン商会の造る船が、本当に次期主力船になると思い込んでいた。
だからこそそれを奪い、長年不利が続いている海上での制海権を少しでも確保したいと、会長が訪れるこの時を狙って工作員を送り込んだ。
そうなるように、敢えて帝国に情報を流した人間がいる。仮定に仮定を重ねるような話だが、バテルはそう考えていた。
「軍艦の建造が出来る造船所はずっと限られていましたから、そこに新参のランターン商会が介入することを快く思わない者は多いでしょう。今後はどうか分かりませんが、彼等は“平民”ですからね」
「“平民から成り上がった”俺達と結託して、古参貴族を蹴落とそうとしているように見えるわけか。全く、巻き込まれる側としてはたまったものじゃないな」
既得権益を守るため、新参者の技術を奪い取る。いかにもありそうな話に、カロッゾは苛立ち混じりの溜息を溢す。
そんな彼を労うように、バテルはポットからお茶を注いだ。
「巻き込まれるのを防ぐのであれば、ランターン商会との婚約を蹴るのも一考でしょう。逆に、ここで婚約に踏み切れば、更に多くの貴族から目を付けられる可能性もあります」
元々、成り上がり貴族ということであまり高位貴族からはよく思われていないアースランド家だ。味方がいないわけではないが、好んで敵を増やしたいはずもない。
そんなバテルの意見を、カロッゾはお茶で口を湿らせながら否定する。
「だが、帝国は予想以上に力を付けている。俺達も、面倒事を避けて躍進のチャンスを逃すわけにはいかなくなってきた」
「お嬢様が仰られていた、魔物を……そして魔法を操る魔法、ですか」
フレア・マクバーンと名乗った、やけに幼い少年のことも、二人はリリィから聞いている。
リリィが放った魔法の制御を奪い取るという不可思議な力に加え、半年前に村を襲ったタイラントベアの一件さえ、その少年の魔法によるものだというのだから驚きだ。
敵の言葉だけなら、ただのハッタリと切り捨てるような荒唐無稽な話だが、リリィが実際に目にして、“精霊の耳”で聞き取った結果だ、信じないわけにはいかない。
「そうだ。この土地は、魔の森とそこに住まう魔物達が防波堤となるからこそ、頭数の少ない俺達でも帝国に対する戦力に数えられている。もし、本当に奴らが魔物を操る魔法を持っているのだとしたら、魔物災害の一つでも起こされればそれでここは終わりだ。そんな事態は看過出来ない」
話を聞くに、ほぼ間違いなくリリィの“耳”と同じ属人的な異能の類だとは思うが、だからといって何の対策も取らないわけにはいかない。
カロッゾ一人であれば、あるいはどれだけの魔物が来ても殲滅可能かもしれないが、彼の後ろには守るべき領民や家族がいるのだから。
彼等全てを守るには、英雄一人の手はあまりにも小さい。今回の件で、改めてそれを思い知らされた。
「やはり、人手を増やすにも先立つものが必要になるし、婚約は渡りに船、と言ったところか。娘を売り物にするようで気が引けるんだが……」
「仕方ありませんよ。それに、お嬢様も今では彼のことをそう悪く思っていないそうではないですか」
「まあ確かにそうだが、最終的には相手の反応次第だな。それより、その話は誰から聞いたんだ?」
「噂好きの使用人から、とだけ」
「そうか……誰かは知らんが、あまり言いふらさないように伝えておいてくれ」
リリィの爆弾発言を盗み聞き――と言うにはリリィの声がそもそも大きかったが――したのか、それとも自分が知らないだけで、あの一件よりも前からそれらしい振る舞いがあったのか。
どちらにせよ、まだ決まったわけでもないのにそうした噂が流れると、何か問題があったとしても既成事実が出来上がってしまう。
まだ正式な話し合いの場が持たれたわけでもないのに、それはマズイ。
「そうですね、まだベラ熱も終息したわけではありませんし、余計な混乱を招くこともないでしょう。ただでさえ、賊の襲撃で領内が殺気立っておりますし」
「ああ。もうこれ以上、連中の好き勝手にさせるわけにはいかん。幸い、お前達が戻ってくれたお陰で、ここの守りと周辺警備の両方に人を回せる。戻ってきたばかりで疲れているだろうが、頼めるか?」
「疲れているというのなら、それは領内に残っていたカロッゾ様達とて同じでしょう? お嬢様やお坊ちゃんが、命掛けで戦って守り抜いたのです。私が先に弱音を吐くわけにはいきません」
「そうだな、その通りだ。薬に、病気の対応に、その上賊の撃退まで、これまであの子達に頼り切りだった。病気が収まるまで、恐らくあと二週間はかかる。これからは俺達の番だ」
「はい、分かりました」
二人は頷き合い、それぞれの持ち場に戻るべく動き出す。
こうして、数々の危機を乗り越えた一連の騒動は、ようやく終息に向けて動き始めたのだった。




