第四十五話 破壊の化身
虫の知らせ、というものがあるのだとしたら、リリィが感じたのは正にそれだった。
ハッキリと何かを感じ取ったわけではない。ただ、患者への医療行為で疲れ果てて眠っていた時、不意にユリウスが遠くへ行ってしまうような気がして、目を覚ましたのだ。
漠然とした不安に襲われたリリィは、オウガに跨って領主館を飛び出した。
カロッゾや他のみんなには、伝えていない。まさか、自分が感じた特に理由もない不安感だけで、患者達を放り出してついて来させるわけにはいかない。
鞍のない狼の背中はすぐに振り落とされてしまいそうなほど不安定で、跨るというよりはしがみつくと言った方が正しいような状態だったが、それでも構わず先を急ぎ。
そして、自分の不安が正しかったことがすぐに分かった。
「お兄様……」
割れていく結界の中、まず目に飛び込んで来たのはいつになく必死な様子のルルーシュと、血反吐を吐いて落ちて来るユリウスの姿。
オウガが咄嗟に掴んでくれたから事なきを得たものの、そのまま落下していればどうなっていたか……想像もしたくない。
傍に近づき、痛めつけられた体を見て言葉を失うリリィに、ユリウスはただ一言。
どうしてここに、と。
「…………」
その目に浮かび上がっていたのは、ただ他者を心配する優しい光。
たった八歳の子供がこれだけ痛めつけられて、泣き叫んだって仕方ないはずなのに、それでも自分自身より妹の身を案じてくれている。
その優しさに涙が零れそうになるのをぐっと堪えながら、リリィはようやく固まっていた口を動かした。
「ルルーシュ君、お兄様のことお願いします」
「いい、けど……リリアナは?」
「あの人達と……“お話”してきます。オウガ、二人のこと、守ってあげてください」
「ガウッ」
ルルーシュとオウガにそう言って、リリィは男達へ向けて歩き出す。
黒狼であるオウガを警戒しているのか、遠巻きに見つめるばかりの彼らに対し、淡々とした口調で声をかけた。
「あなた達が誰なのか、何を目的にここに来たのか、私は何も知りません」
見た目にはただの幼い少女でしかないリリィが、護衛……オウガすらその場に残し、明らかに魔法を扱う危険人物へと近づいていく姿に、ルルーシュだけでなく男達でさえも困惑する。
「でも……そんなこと、今はどうでもいいです」
適度な距離を置いて足を止めたリリィは、俯いていた顔をゆっくりと持ち上げる。
その心の内で燃え盛る激情を表すかのように、小さな瞳が真紅に染まり爛々と輝く。
「どこの誰だろうと……どんな事情があろうと……」
散々放出されて衰えていたはずの魔力が、再びリリィの内から湧き上がってくる。
しかしそれは、先ほど患者達に向けていた、優しく温かな光ではない。
吹き荒れる嵐のように周囲を薙ぎ、砕き、押し潰す。暴力的な破壊の権化だ。
「お兄様を……私の家族を傷つける人は……!! ぜっっっったいに、許しませんッ!!」
その瞬間、リリィを中心に、魔力が爆発したように周囲の空間を飲み込んでいく。
昂る魔力に体が軋んで悲鳴を上げるが、ルルーシュに教わったこと、そして患者達の治療のために長時間魔力を放出し続けた経験もあって、何とか致命的な破綻をきたすことなく耐えられる。
「お兄様が受けた痛み……百万倍にして返してやります!!」
あまりの魔力に当てられたのか、目を剥いて驚く男に向け、リリィは手を掲げる。
まだ出力の加減はあまり効かないのだが、自爆しない程度に放つ方向と距離を制御することなら辛うじて可能だ。
だったら、何も問題はない。
『炎の精よ、英知の結晶たるその力で、我らに恵みをもたらし給え……!! 《灼熱》!!』
リリィの魔法が発動したその瞬間、アースランドの一角から爆炎が巻き起こり、夜の村を昼間のように照らし出した。
(あり得んっ、なんだこのふざけた魔力量は!?)
リリィから放たれる莫大な魔力を感じながら、男の全身から冷や汗が流れる。
魔力それ自体はただのエネルギーであって、空気のように実体がない。そのため、どれだけ大量に叩きつけられようと、直接流し込まれでもしない限り特に害はないのだが……魔力濃度の高い場所は、それらの魔力と干渉し魔法の発動が妨げられてしまうため、思うように魔法が使えなくなる。
例外は、自身の体内にある魔力を操作して発動する強化魔法を使う場合か、周囲の魔力を全て操れるほどの制御能力を持っている場合の二つだけだ。
しかし、問題はそこではなく……そんな現象が屋外で、たった一人の人間から放たれた魔力によって引き起こされているということだ。
唯一、竜は自身の放つ魔力で周囲を満たし、気候さえも操ったと伝えられているが……つまり、目の前にいる少女が行っていることは、そんな伝説上の存在と同じことなのだ。
(こいつ、本当に人間か!?)
半年前、タイラントベアと対峙し、魔力だけで退けようとしたという報告は聞いていた。
魔物を怯えさせるほどの魔力量というのは大したものだと思ったし、いずれそれを制御できるようになれば厄介な存在となるかもしれないとは予想していたが……これは、厄介どころの話ではない。
明確な、脅威だ。
(軍艦などどうでもいい。今はまず、この情報を持ち帰ることを優先しなければ……)
逃亡のため、男は周囲の魔力と干渉しないよう、慎重に魔力を練り上げる。
しかし、その魔法が完成するよりも早く、リリィの魔法が発動した。
『《灼熱》!!』
男達の周囲を、リリィの放った爆炎が薙ぎ払う。
本来、ただ湯を沸かすために存在するその魔法は、主に火力の制御・制限に気を払って開発された魔法のため、攻撃に用いるにはあまりにも効率が悪く、そもそも本来なら炎も爆風も発生しないはずなのだが、そんなことは関係ないと言わんばかりの威力を前にして、もはや呆れ返る他ない。
これがもし、《火球》のようなちゃんとした攻撃魔法だったなら、この辺り一帯が一瞬で焦土と化し、防ぐことすらも叶わなかったかもしれない。
「はは……はははは!! いいね、リリアナ・アースランド、やっぱりお前すげえよ!! まさか、俺よりすげえ魔力のやつに会えるなんて!!」
逃亡用の魔法を、咄嗟に防御のための結界魔法に切り替えて事なきを得た男の傍で、少年の方は歓喜の表情を浮かべていた。
これはまずい、と男が声をかけるより早く、少年は結界の外へと足を踏み出していく。
『《魔鋼鎖群》!!』
荒れ狂う魔力嵐の空間などものともせず、虚空から無数の鎖が姿を現す。
むしろ、周囲の魔力を利用してその数を増やし、二百にも及ぼうかという鎖がとぐろを巻き、蛇のように少年の周囲を漂っていた。
その圧倒的な数を前に、頭に血が上っていたリリィも少しばかり驚いた。
魔道具を使った様子もないのに、詠唱もなくこれほどの魔法を使えるなんて、と。
「普通のやつには無理でも、俺なら周囲の魔力を操って支配するくらいわけねえんだよ! そいつみたいにな!!」
(そいつ……?)
誰を指して言っているのか分からず、首を傾げるリリィだったが、少年が振るう腕に合わせて迫り来る鎖の群れを見て、今はそんなことを考えている場合ではないと思い直す。
よく分からないが、自分を狙ってくれるのなら好都合だ。
『炎の精よ、英知の結晶たるその力で、我らに恵みをもたらし給え!! 《灼熱》!!』
再びの爆炎が空を満たし、鎖を纏めて吹き飛ばす。
しかし、少年はそんなことは関係ないとばかりに鎖を次々に生成し、けしかける。
「確かに魔力量はすげえけど、連射が効かないんなら怖くない、終わりだ!!」
「くぅ……!?」
四方八方から、タイミングをずらしつつ迫る鎖の群れを前に、リリィの手が止まる。
この攻撃全てに対して一々詠唱していてはとても処理が間に合わないし、仮に一撃で全方位に対応しようとすれば、取れる手段は自爆くらいしかない。それでは本末転倒だ。
「リリアナ!!」
「ルルーシュ君!? ダメです、来ないでください!」
どうすべきか迷っていると、ルルーシュがリリィの傍に駆け寄ってきた。
どれだけ膨大な魔力があろうと、リリィは未だ防護魔法の一つも使えない。近付くなと警告するが、ルルーシュは構わずリリィの足元に掌を突いた。
『我が身に宿りし精霊よ、記憶の欠片を眼前に広がりし現世へと写し出せ! 《転写》!!』
頭に思い浮かべた文字や図形を写し出す魔法によって、地面に巨大な魔法陣が描かれる。
直径にして五メートルは越える大きさに、一瞬ではどのような魔法陣なのか判断がつかなかったリリィだが、その疑問はすぐに氷解した。
「《灼熱》の魔法陣を書いた、使え!!」
「っ! はい!!」
魔法陣があれば、詠唱を短縮出来る。
ほんの数日前、同じものを使って爆散させてしまったばかりではあるが、この大きさなら魔力効率は悪くとも強度は高い。
これならいけるはずだと、リリィは魔力を叩き込む。
『《灼熱》!!』
ギリギリのところでリリィの魔法が発動し、巻き起こる爆炎が正面から来る鎖を十数本纏めて打ち砕き、破壊に至らなかった物もそのほとんどを衝撃で吹き飛ばす。
魔法陣は、まだ無事だ。
『《灼熱》! 《灼熱》!』
連続して発動する魔法が、迫り来る鎖を次々と防ぐ。
辛うじて防ぎきったリリィを見て、少年は舌打ちを漏らしながらも更に鎖を繰り出していく。
「そんなしょっぼい魔法だけでやるじゃねえか!! でも、俺はお前が無駄に垂れ流した魔力を使ってなるべく消耗を抑えながら魔法が使える。お前がどんなに頑張ったって、防ぐばっかりじゃそっちが先に力尽きるぜ!?」
『《灼熱》! 《灼熱》! 《灼熱》!』
少年が何やら叫んでいるが、そんなことは今のリリィには関係ない。
溢れ出る魔力を無制限に解き放ち、手掴みで集め直しては魔法に変えて撃ち放つ。
迫り来る鎖を砕いては、その後ろから迫る次の鎖へ再び魔法を行使する。
魔力効率は最悪で、余計な手順を加えている分精神にかかる負担も大きく、魔力以前に疲労だけで倒れそうだ。
至近距離で破裂した炎に巻かれて吹き飛んだ小石が頬を掠め、血が滲む。
それでも止まれないし、逃げるわけにもいかない。
少年は、この魔力空間のお陰で魔力をほとんど消費せずに魔法が使えると口にしたが、それはリリィとて同じこと。この空間の中でなければ、リリィは最低限の魔力制御すら出来ないのだ。
魔法陣の中央から一歩たりとも動くことなく、ひたすら魔法を放ち続ける。
『《灼熱》! 《灼熱》! 《灼熱》! 《灼熱》! 《灼熱》! 《灼熱》! 《灼熱》! 《灼熱》ぁぁぁぁ!!』
幾度となく繰り出される爆炎の嵐が地形を変え、無人の借家を吹き飛ばし、無数の木々が消し炭となって消滅する。
地面が抉れ、岩が砕かれ、草の根一本も残らない焦土となって尚、炎と鎖は群れを為してお互いを喰らい合う。
いつまでも続くかに見えたその激突だったが、少しずつ少年の方に余裕が無くなって来た。
「はあ、はあ……!? 嘘だろ、なんで俺の魔力が先にキツくなるんだ? は、ははは、本当にすげえや……」
鎖の生成は魔力を随分と使うが、リリィが連発している《灼熱》モドキと比べれば砂粒かと思うほどに消費は少ない。
そのはずなのに、少年の魔力は徐々に失われ、逆にリリィの魔力は一切の衰えを知らぬまま荒れ狂っている。
最悪の場合でも、リリィが消耗して魔力濃度が下がれば援護できると構えていた男も、あまりの光景に参入するタイミングを計りかねていた。
「仕方ない……おい、設計図は諦めて逃亡に入るぞ。“封印”を解いて全力でやれ」
「ええ!? でも、あの設計図取らなきゃ怒られるんだろ? どうせ本気出すなら、いっそ……」
「我慢しろ。結界も既にない中で、これだけ暴れたんだ。早く逃げなければ援軍が来てしまう。それよりも、今はヤツについての情報だけでも持ち帰ることが重要だ」
「ちぇ、しょーがねーな、じゃあ、せめて最後は思いっきり派手にいくぞぉ!!」
不承不承頷いた少年だが、すぐに楽しげな表情に切り替わり、右目に巻かれた包帯を毟り取る。
その下に隠されていた、紫に輝く瞳が露になり、少年の纏う空気――魔力が、一変した。
それを聞いて、リリィは目を見開く。
「その魔力……半年前の……!?」
記憶に蘇るのは、ある日突然村に襲撃してきた熊の魔物。
ユリウスと協力して時間を稼ぎ、最後はカロッゾの魔法で消し飛ばされたあの魔物と、目の前にいる少年からは同じ魔力が聞こえて来る。
どういうことかと目を見開くリリィに、少年はあっけらかんと答えた。
「あ、やっぱりバレたか。お前の言う通り、半年前のアレをやったのは俺だよ。いやー、まさかあんな早いうちに倒されるとは思ってなかったから、あの時は正直驚いたよ」
「ふ……ふざけないでくださいッ!!」
ニヤリ笑う少年に、リリィは一瞬で激昂する。
あの時は、一歩間違えばリリィ自身も、ユリウスさえも死ぬところだった。最悪の場合、村人達にも何人か犠牲が出ていた可能性すらある。
あくまで、野生の魔物が村に迷い込んでしまった……一種の災害のようなものだと認識していたからこそ、無事に済んでよかったと呑気に笑っていられたのだ。
それが、人によって故意に引き起こされていたことだと知って。ましてや、その犯人がまたしてもユリウスを傷つけたと知って。
冷静でいられるわけがなかった。
『《灼熱》ッ!!』
魔法陣が壊れないように気を使うことすらせず、ただただ全力で魔力を込め、魔法を放つ。
過剰な魔力に耐えかねた魔法陣が地面諸共砕け、足場が揺らぐが、少なくともその一発に関してはしっかりと少年の方へと向かい、爆炎がその体を包み込んだ。
やり過ぎたかと、一瞬遅れて後悔するリリィだったが、その心配は無用だった。
「ははっ、どんだけすごい力だろうと、そんな雑な制御じゃ今の俺には通じないぜ?」
炎が周囲の魔力諸共少年の掲げた掌の先に吸い込まれ、巨大な炎球となって渦を巻く。
自分の放った魔法のはずなのに、確かに自分の魔力で出来ているはずなのに、自分の意思とは全く関係なく動いている。
「はあ、はあ……そんな……魔法の制御を、奪われた!?」
思わぬ事態を前に、頭が真っ白になる。
そんなリリィへ向けて、少年はふと思い出したという風に口を開く。
「そうだ、最後に聞くけどさ、リリアナ・アースランド、お前、俺達の仲間になるつもりない? この国にいるよりは過ごしやすいと思うぜ」
何を言われたのか、リリィは本気で分からなかった。
意味は分かるのだが、この状況でそんな言葉が出て来る理由が分からない。
分からないが……。
「お断りします。私の居場所は、アースランド領の……家族がいるこの場所だけです!!」
自分がどこか別の場所へ……それも、こんな悪辣な真似をする人間のいる場所に向かうことなど絶対にあり得ない。
そう強く拒絶を込めて告げれば、少年は特に気分を害した様子もなく、「ふーん」と鼻を鳴らす。
「まあいいや。それじゃあ最後に、俺の名前だけ教えといてやるよ」
太陽を背に従え、傲岸不遜に振る舞う暴君さながらの態度は、まるで小さな悪魔の如く。
魔力を宿した紫に輝く瞳に、歳相応に無邪気な光を宿しながら、ニヤリと笑みを浮かべた。
「俺の名前は、フレア・マクバーン。チェバーレ帝国東部方面軍、特殊魔法部隊所属だ。それじゃあ、またな」
そう言って、フレアと名乗った少年は頭上の炎球をリリィ目掛けて放り投げる。
ゆっくりと放物線を描くその攻撃を前に、しかしリリィに出来ることはほとんどなかった。
魔法を使うのに必要な周囲の魔力は吸い上げられてしまったし、魔法陣も先の一撃で粉々だ。もう使えない。
無理に魔法を連発した反動で、体中が軋みを上げて痛みを訴えている。
「ガルルゥ!!」
「オウガ!?」
そんなリリィを庇うように、オウガが前に躍り出た。
迫りくる炎を前に、オウガは大きく息を吸い、魔力を込めた咆哮を放つ。
「ウオォォーーーーン!!」
魔力の宿った強烈な音の振動が、無理矢理寄せ集められた炎の塊を吹き散らし、爆散させる。
衝撃と風が周囲を駆け抜け、思わず目を瞑ってしまう。
「あ……」
目を開けた時、そこには既にフレアも、男の姿もなく。
ただ、無残に破壊された村の一角だけが残されていた。
「逃げ、た……? うっ……」
「リリィ!!」
それを確認したリリィは、緊張の糸がプツンと途切れ……。
そのまま、意識を手放した。
無残に破壊された(9割9分リリィの魔法によって)




