第四十三話 真夜中の襲撃
街灯の存在しない村の中は、夜になれば一寸先も見通せないほどの暗闇となる。
その分夜空は綺麗に見えるが、星や月の明かりだけではどうしても不十分だ。
「ふぅ、今日も疲れたぜ」
そんな暗い夜道を歩きながら一人ごちるのは、ランターン商会の従業員。
タタラという名のその男は、今回の非常事態に際し偶々ベラ熱に罹らなかった内の一人で、つい先ほどまで村人達と協力して患者の看病や物資の運搬などを担っていた男だ。
「しっかし、今日は流石にダメかと思ったが、案外なんとかなるもんだなぁ、やっぱいいとこの人間は子供からして出来が違うぜ」
頼みの綱だったカタリナ・アースランドが倒れたと聞いた時はどうなることかと思ったが、僅か五歳の子供達の活躍で事なきを得たと知った時は、ついに自分もベラ熱に罹ってしまったのかと本気で不安になったものだ。
しかし、夢でも病気のせいで見た都合のいい幻でもないと分かったからと言って、病気そのものが消えてなくなったわけではない。その後も忙しさは相変わらずで、ずっと働き通しだった疲労感が全身を襲っていた。
「このまま、上手く終息してくれりゃあいいんだが……」
タタラはまだ商会に雇われて一年と少しの若輩者だが、アースランド方面の交易には既に何度も参加し、村人達ともそれなりに親しくなっている。
誰が病気を持ち込んだのか、などと犯人捜しをする気は毛頭ないが、これで死人が出れば流石に気まずくて次からはまともに村人達相手に商売が出来なくなってしまうかもしれない。子供頼みというのは情けなくはあるが、是非ともこの調子で大事なく収まって欲しいものだ。
そんなことを考えながら歩いていたタタラの耳に、近くの繁みが揺れ動く音が聞こえた。
「ん? 誰かいんのか?」
声をかけても、反応はない。
森に囲まれたこの土地だ、冬とはいえ、活動している動物がいないでもないし、腹を空かせた獣が餌を求めてうろついているのかもしれない。
そう考えると急に怖くなり、そそくさと借家へ向かって歩き出して……。
「……むぐっ!?」
不意に、後ろから何者かに掴みかかられた。
口を抑えられ、声が出せなくなったタタラは、突然のことにパニックになってもがきだす。
「動くな」
しかしそんな抵抗も、耳元で聞こえた低い男の声と、首筋に添えられた冷たい金属の感触によって封じ込められてしまった。
一体何が、どうしてこんなことに。
パニックになった頭では今の状況を落ち着いて整理できるはずもなく、ただただ恐怖で身が竦んで動けなくなる。
「いいか、俺の質問にだけ答えろ。それ以外の言葉を発せば殺す」
冷徹なその言葉に、何度も何度も首を縦に振って了承の意を示す。
すると、ゆっくりと口を塞いでいた手が外されていった。
「貴様はランターン商会の人間だな?」
「あ、ああ、そうだ……」
「魔導船については知っているな?」
「それは、まあ、うちの商会が最近造り出したって話だから、少しくらいは……」
「ならば、その設計図の在処を教えろ」
「は? し、知らねえよそんなもん! 俺は新入りなんだ、そんな大事な事業に関わらせて貰えるわけねえだろ!」
「騒がしいぞ、静かにしろ」
「ひっ……」
冷たいものが、首筋をなぞるように動いていく。
刃とは逆の部分を押し当てられているため切れることはないが、その感触だけでタタラは震え上がる。
「お前が知らないというのなら、誰が知っている?」
「そ、そんなもん会長だろ、今は病に罹って、寝込んでるけどよ……」
「なら、それ以外だ」
「そ、それ以外って……! か、会計のトトノさんか……あ、ああ、そうだ、会長が息子に、大事な書類を片付けてくれって指示してるのを見た! あの子なら知ってる!」
「ほう……? その子供はどこだ?」
「今頃、借家に戻ってるはずだよ……村外れの、少し他より大きな建物だ……」
命の危険を前に、助かりたい一心でペラペラと喋るタタラ。
その様子に、どうやら嘘はないと分かると、背後の男が納得したように頷く気配がした。
「な、なあ、もう喋ったんだからいいだろ? 離してくれ」
「ああ、そうだな、ご苦労だった」
怯えるタタラがそう懇願すると、首筋から刃物がゆっくりと離れる。
それにほっと息を吐き……後頭部を襲った鈍い衝撃に、タタラの意識は暗転した。
「殺さないのか? おっさん」
力なく倒れたタタラを見て、近くの繁みから一人の少年が顔を出す。
地味な旅装に身を包んではいるが、その右目を隠すように巻かれた包帯のせいで否が応でも目立っている。
「今晩中にはここを出る、別に殺す必要もない」
そんな少年と似たような服装に身を包んだ男は、少年の問いに対し簡潔に答える。
こんな真冬に外で気絶したまま放置されれば、最悪の場合凍死する恐れもあったが……そこまで面倒は見切れない。
「ふーん。まあいいや、それより、早く仕事片付けようぜ」
「そう急くな。妙に人が少ないのが気になるが、黄金騎士に見つかりでもしたら俺達では太刀打ち出来ん。慎重に行くぞ」
「へいへい、分かってますよー」
本当に分かっているのか疑わしくなるような軽い返事に溜息を溢しつつ、男は少年を連れて村の中を音もなく移動する。
「……あれか」
やがて、二人の視線の先に、他よりも一回り大きな家があった。
曲がりなりにも大商会の長を寝泊まりさせる場所として村外れはどうかとも思ったが、アースランドの他の家屋を思えば、この借家でも十分に配慮されていることが窺える。
あるいは、この先には船が停泊している桟橋があるため、出来るだけそこから近い場所が良いと要望でもあったのかもしれない。
どちらにせよ、人目につきにくいのは彼らにとって好都合だった。
「それじゃあ早速忍び込んで……」
「待て、誰か来た」
「うごっ!?」
借家に向かって歩いていこうとする少年の首根っこを掴み、近くの繁みへと身を隠す。
少年から向けられる抗議の視線をさらりと無視し、男が目を向けた先には、ちょうど戻ってきたところなのか、二人の子供が連れ立って歩いていた。
「別に、帰るくらい一人でいいのに。貴族の跡取り息子が平民を家まで送り届けるなんて、聞いたことないよ?」
「お前も今日は一人でみんなの薬作ってたから疲れただろ? 途中で倒れたら大変だし、送るくらいさせろって。それとも、リリィの方がよかったか?」
「なんでそこでリリアナの名前が出て来るんだよ、あいつこそ疲れ果てて寝てるじゃないか。……でもまあ、ありがと」
話し声から、一人はアースランド家の長男坊、もう一人が件のランターン商会会長の息子だと当たりを付けた男は、しばし彼らのやり取りに耳を傾ける。
すると、聞き逃せない会話が耳に入って来た。
「けど、お前が最近寝泊まりしてるのってここじゃないんだろ? どうして寄ったんだ?」
「ちょっと、大事な書類があってさ……金庫に入ってはいるんだけど、ずっと人が寄り付かないところに置いておくのは不安だから、父さんが回復するまではみんなのところに移そうかと思って」
「へー、まあ細かいことは聞かないけど、商人も大変なんだな」
大事な書類、と言えば、先程尋問した男の証言にもあったフレーズだ。
こんな真夜中に取りに来ることからしても、相当に重要度が高い書類なのは間違いない。
「あの子供がもう一度外に出てきたら、やるぞ」
少年と目配せし、頷きあった男は、借家の中に消えていった子供が戻ってくるのを待つ。
じっとしていられないのか、少しばかりソワソワと落ち着きを失くしている少年に呆れ混じりの言葉を重ねていると、ついに借家の中から子供が戻ってきた。
その手には、何かしらの書類が納められているのであろう大きな封筒が握り締められている。
「行くぞ」
男が告げると同時、二人は一気に繁みから飛び出す。
突然現れた見知らぬ人間に驚く子供達に向け、男と少年はそれぞれ掌を掲げ――
『《静なる箱庭》』
『《魔鋼鎖群》!』
それぞれの魔法を発動し、一気に襲い掛かっていった。
「……お兄様?」




