第四十一話 大嫌いで大切なモノ
ベラ熱の流行が確認され、早二日が過ぎ去った。
患者数が多少増えはしたが、幸いにも重症化する者は出ておらず、ギリギリの均衡を保っている。
決して楽観出来る状況ではないのだが、だからこそ、ルルーシュは薬作りに忙殺されることで、余計なことを考えなくて済んでいた。
「これ、解熱薬。熱が高い人に飲ませてあげて」
「ありがとう、君がいてくれて助かったよ」
薬を離れに届ける度、村人達から贈られる感謝の言葉。
最初は嬉しかったそれも、今はどこか他人事のように聞き流してしまう。
「ルルーシュ君!!」
そんな時、急に大声で呼び掛けられ、ルルーシュは必要以上にびくりと震えた。
明らかに不自然な挙動だが、声をかけたリリィはそれに気付くことなく、慌てた様子で捲し立てる。
「大変なんです、お母様が……お母様が倒れて!!」
「なんだって!?」
その言葉を聞いて、ルルーシュは迷っている余裕すら失い。
助けを求めるように手を引くリリィに連れられて、急いで屋敷の中へ駆け込んでいった。
「…………」
「ど、どうですか……!?」
領主館の一室にて、力なくベッドに横たわるカタリナの容態を、ルルーシュが診察している。
カロッゾやユリウス、リリィらが固唾を飲んで見守る中、診察を終えたルルーシュは立ち上がり、重々しくと口を開く。
「ベラ熱なのは間違いないと思うけど、衰弱が激しい。多分、最初からずっと症状を隠して薬を作ってたんだと思う。……今思えば、僕に指示だけ出してほとんど部屋に入れなかったのも、僕に病気をうつさないためだったのかもしれない」
「そんな……お母様……!」
二日前、カタリナの元へ赴いた時のことを思い出し、リリィはほぞを噛む。
あの時リリィは、カタリナが何かしらの魔法を自身にかけていることに気付いていたのに、彼女の言い分を信じて、それが何なのか疑いもしなかった。
まさか、それが症状を抑え込むための治癒魔法だったとは、思いもよらなかったのだ。
――私がもっとしっかりしていれば……!
そんな後悔が渦巻くが、それどころではないと首を振って悪い考えを振り払い、ルルーシュに向き直る。
「ルルーシュ君、薬は今、どれくらいありますか?」
「……さっき患者達に飲ませたから、ほとんど残ってないよ。昼の分は今から作り始める予定だったから」
「ルルーシュ君一人で作ったら、出来上がるのはいつ頃に……?」
「……魔力が足りないから、一人じゃ無理。ただ、魔力があったとしても、患者全員となると……夜の分の薬を作るにも今日一杯はかかると思う」
リリィの問いかけに、ルルーシュは苦々しい表情で答える。
ベラ熱は未だ特効薬と呼べる物は存在しないため、薬師に出来るのは症状を抑え、自然治癒に託すことだけだ。
簡単な風邪薬のような物であれば問題なく残っているが、その中でも“ユリフィスの涙”が大きな役割を果たしていたため、それが無くなってしまった今の状況は非常に厳しいと言わざるを得ない。
こんな状況を見越して、バテルやスコッティが隣領へ薬を買いに行ってはいるのだが……。
「……バテル達は、遅くとも明後日には帰ってくるだろうが……それまで、患者達はもつか?」
「それは……分からない。患者次第、としか……」
カロッゾからも問われ、ルルーシュは思わず顔を逸らす。
それだけで、彼の言う“患者次第”という言葉がどれほどオブラートに包まれた表現なのか、その場にいる全員が正しく理解した。
「げほっ、げほっ! ……大丈夫、私が、もうひと、頑張り……すれば、済む、話だから……」
「母様、無理に動いたらダメだって!」
咳き込みながら体を起こそうとするカタリナを、ユリウスが無理矢理押し留める。
いくらなんでも、病に冒され誤魔化しすら効かなくなった体で薬を作るなど、無謀もいいところだ。
「ユリウスの言う通りだ。今は自分の体のことだけ考えてくれ」
「でも……私が、やらないと、患者が……他に、打つ手も、ないでしょう……?」
「…………」
カタリナの言葉に、カロッゾは反論出来なかった。
確かに、このまま手をこまねいていれば、全員死んでしまう恐れもある。
カタリナに無理をさせるわけにもいかないのは確かだが、他に打つ手がないのなら。
領主として、非情な判断を下さなければならない。つまり――誰を救い、誰を見捨てるか、という判断を。
「打つ手ならあります」
しかしそこで、リリィが唐突にそんなことを言い出した。
何を言っているんだと、全員の注目が集まる中、リリィは淡々と自分の考えを述べ始める。
「ルルーシュ君、昨日言ってましたよね? 魔力濃度の高い場所には、そこにいる人の体調を整える効果があるって」
「それは、まあ……って、まさか」
「私が離れに魔力を解放して、中の魔力濃度を限界まで引き上げます。それで、少しは薬の代わりにならないでしょうか?」
予想外の提案に、誰もが驚きに目を見開く。
そう、カタリナは上手く薬作りを言い訳に誤魔化していたが、部屋の魔力濃度があれだけ高かったのは、自身の症状を抑え込むためでもあったのだろう。
彼女がベラ熱を発症した時期は分からないが、もし最初からそうだったのだとしたら、二日間もの間無理を押し通せるほどには効果があるという見方も出来る。カタリナの行動はとても褒められたものではないが、その点に関しては大きな発見だ。
もし、これと同じ状況を離れの中で再現出来れば、薬がなくとも症状の悪化をかなり食い止められる可能性は高い。
「何言ってるんだよ、お前は!!」
そんなリリィの意見に、真っ先に反論したのはルルーシュだった。
思いもよらない強い口調に、リリィは思わず目を見開く。
「ルルーシュ君?」
「部屋一つを魔力で満たすのとはわけが違うんだ、あれだけの広さの場所を長時間に渡って魔力で満たし続けようとすれば、どれだけ魔力が必要になるか分かったもんじゃない。もし魔力欠乏なんて起こした状態でベラ熱に罹ったら、あっという間に衰弱して死ぬかもしれないんだぞ!!」
魔力は、生物が生きるために必要なエネルギーだ。
人が使う魔法は、体内に溜め込まれた余剰分から使用して発動するのだが……使い過ぎて余剰分が無くなれば、生きるのに必要な分さえも消費してしまう。魔力欠乏とは、そうした必要な魔力さえも体内から失われ、体力や病に対する抵抗力が落ちた状態を指す。
もしそんな状態で、ベラ熱のような重い病気に罹ったらどうなるか。考えるまでもない。
「お前貴族だろ!? 平民なんかのために、なんでそこまでするんだよ!! お前の母親だけなら、他の奴らを見捨てて薬を節約すれば、十分助けられるのに、どうして……!」
「おいルルーシュ、お前!!」
領民も、更には商会の従業員すら軽んじるような発言にユリウスが眉尻を吊り上げるが、リリィはそれを手で制す。
驚く二人に、リリィはあくまで優しい表情で語りかけた。
「……ルルーシュ君の言うことは、間違いじゃありません。誰かを助けるために、誰かを見捨てなきゃいけない時がある……そんな覚悟は、薬師として大事なことですから。私と同い年なのにそんなことまで考えてるのは凄いと思います。でも」
ぎゅっと、胸の前で拳を握りながら、リリィは決然とした表情で訴える。
「私は、まだみんなを助けられる可能性が残っているのなら、それに賭けたいです。やる前から、命を諦めるなんてことしたくありません! お母様も、村のみんなも、商会の従業員の皆さんも、ルルーシュ君のお父さんだって、みんな助けてみせます!! だって……身分も、立場も関係ない、みんな、私の大切な人達だから!!」
「っ、村の人達ならまだ分かるけど……僕の父さんも、従業員の人達だって、リリアナにとっては身内でもなんでもないだろ!? なのに……!」
ルルーシュの言葉は正論だ。リリィが商会の人々と言葉を交わした回数は数えるほどしかないし、マカロフに関しては単に顔を合わせた回数ですらまだたったの二回だ。とてもではないが、“大切な人”と言うには足りないだろう。
しかし。
「でも、ルルーシュ君の大切な人には違いないでしょう!?」
その言葉に、今度こそルルーシュは言葉を失う。
そんな彼に、リリィは人目も憚らず叫んだ。
「ルルーシュ君の大切な人なら、私にとっても大切な人です!! だって私、ルルーシュ君のこと好きですから!!」
瞬間、それまでとは別の意味で空気が凍り付いた。
リリィとしては一応、友達として好きだと言っただけなのだが、周りの認識ではルルーシュとリリィは友達ではなく婚約者候補である。そんな相手に好きだと言えばどういう意味に捉えられるか、分からなかったのは言った当人だけだ。
カタリナが自分の体調も忘れて体を起こし、ユリウスは顎が外れそうなほど口を開いている中、今更ながら空気の変化に気付いたリリィが戸惑ったように首を傾げるが……。
「……分かった。そこまで言うのなら、許可しよう。ただし、絶対に無理はするな。リリィが倒れれば婚約どころではないからな、ちゃんと自分を大事にしろ」
認識の祖語に気付くよりも早くカロッゾからそう言われ、リリィは些細な疑問を脇に置く。
今はそんなことよりも、患者の方が一大事だ。
「分かってます、私はあくまで、ルルーシュ君の準備が整うまでの時間稼ぎですから。私自身も含めて、みんなの命、必ずルルーシュ君に繋いでみせます!」
カロッゾの言葉を受け、リリィは大きく頷きを返す。
繋ぎさえすれば、必ず助けてくれる。
そんな信頼を込めて息巻く彼女の姿を、ルルーシュは苦々しい表情で見つめていた。
診察を終えた後、ルルーシュはユリウスを連れ、カタリナの部屋を訪れた。
やたら散らかっているのは変わらないが、薬を作るために用意された魔法陣や素材など、そのまま活用できる物ばかりのため、薬を作るならこの場所が一番だ。
しかし、それらの材料を揃え、机の上に並べていく最中、ルルーシュはずっと険しい表情のままだった。
「なあルルーシュ、どうしたんだ? さっきからずっとカリカリして」
ユリウスの問いに、ルルーシュは答えない。黙ったまま、黙々と作業を続けている。
何をそんなに気にしているのか、彼が怒り始めたタイミングを思えば分からなくもないが、それを指摘するのはリリィの兄としては少々複雑だ。
それでも、言わなければ始まらないと口を開く。
「リリィに告白されたの、そんなに嫌だったのか?」
ルルーシュは会った時から、貴族が嫌いだと言っていた。
リリィに連れられて共に過ごす中で、彼自身もまんざらではなさそうに見えていたのだが、今でもまだ嫌っているのだろうか。
そんなユリウスの問いに、ルルーシュは一つ溜息を吐いて間を置くと、首を横に振った。
「告白かどうかは知らないけど、それ自体はどうでもいい。僕が気に入らないのは、リリアナが一人で無茶な治療を始めたことだよ」
「あれは……まあ、正直俺も心配だけどさ……カミラだってついてるし、そんなに怖い顔しなくてもいいんじゃないか?」
ただ気に入らないというだけではない、憎々しげに呟くルルーシュの姿に、ユリウスは戸惑う。
そんな彼の様子に気付いたルルーシュは、ぴたりと作業の手を止めた。
二人の間に、しばしの間沈黙が降りる。それを先に打ち破ったのは、再び手を動かし始めたルルーシュだった。
「……ベラ熱が、元々は王都で流行ってた病気だっていうのは話したよね」
「ああ。母様も言ってたな」
「流行り始めた頃、僕の母さんも平民街で患者の治療に当たってたんだ」
今でこそ、それなりに対処法も確立されたベラ熱だが、流行り始めた当初は悲惨だった。どんな薬が効くかも分からず、アースランド領よりも高い人口密度のせいで瞬く間に病魔が広がり、多くの死者を出す結果となった。
「患者の近くにいればベラ熱が移る。それが分かっていながら、母さんは誰よりも患者の傍にいた。治療法さえ見つければ、自分が罹っても治して貰えるからって、そう言って無茶な治療を続けたんだ」
その判断は、口にした時点では間違ってはいなかった。特効薬のような便利なものは見つけられなかったが、病に罹るよりも前に、“ユリフィスの涙”を始めとした一部の薬に効果が見られることが確認されたのだ。
しかし。
「でも……治療法が分かった時にはもう、増えすぎた患者に薬師の数が全然足りてなくて……残された薬師達じゃ手が回らなくなってたんだ。……平民街は」
「平民街は……?」
「そう。……その頃には、貴族街でもベラ熱が流行り始めていたんだ。だから、それぞれの貴族が自分達の家に薬師を囲ったせいで、必要以上に貴族街に薬師が集中して……それで……」
ギリッと歯を食いしばりながら、手だけは正確に材料を磨り潰し、混ぜ合わせ、薬を作り上げていく。
後悔と怒りと悲しみと、様々な感情を胸に抱きながら、それでも今すべきことを見つめて作業を続ける。
「増え続ける患者のために無理をし続けた母さんも、ベラ熱に罹って……結局、ロクな治療も出来なくて……何とか一命は取り留めたけど、その時の後遺症で、母さんは二度と魔法が使えない体になった。ただ調合するだけならともかく、魔法薬を自力で作れなくなったんだ」
それを知った時に見せた母の寂しげな笑顔を、ルルーシュは一生忘れることはないだろう。
普段は偉そうに父に擦り寄りながら、いざとなればのらりくらりと理由を付けて援助を断り、母を見殺しにしようとした貴族達の薄ら寒い笑顔も。
「だから僕は、貴族なんて嫌いだ」
薬を作りながら、ルルーシュの瞳には涙が浮かぶ。
保身のために平民を見捨て、被害を拡大させた貴族は憎い。
「人のためだとかなんだとか言って、自分のこと大事にしない奴も嫌いだ……!」
そんな貴族の援助を当てにして、見ず知らずの人達のために体を壊すまで無理を続けた母にも……家族のためだ商会のためだと言って、自分の時間すら取らず仕事にかまけ、同じように病に罹った父にも、腹が立ってしょうがない。
口を開く度に感情が昂っていき、心の中が嵐のように荒れ狂う。
もはや誰に対して叫んでいるのかも分からないまま、それでも思いの丈を全て吐き出す。
「だからずっと、最初から、僕はリリアナのことが気に食わなかった!! 婚約なんて本心じゃ大して乗り気じゃない癖に、家のためだ領民のためだとか言ってヘラヘラ笑いながら僕に近づいて!! 僕のためにわざわざ許可まで取って、大して意味も分かってないのに巡回診療なんてやり出して!! ベラ熱が流行り出したかと思えば、体が弱い癖に誰よりも駆けずり回って、挙句あんな無茶なこと言い出して……!! 本当に、母さんそっくりで、自分のこと全部二の次にして……!! あんなやつ、僕は大っ嫌いだ!!」
目を瞑り、大きく深呼吸しながら、昂った気持ちを一度落ち着かせる。
本当は、ルルーシュ自身も分かっているのだ。貴族だろうがなんだろうが、身内が一番大事なのは当たり前だと。他ならぬ、彼自身がそうなのだから。
結局……何より憎いのは貴族でも、仕事を理由に母の傍にいてくれなかった父でもなく。リリアナのように、体を張って母を守ろうとしなかった……過去の無力な自分自身だった。
「……だから……」
混ぜ終わった材料を魔法陣の上に置き、ルルーシュはゆっくりと目を開く。
本来、青色だったはずのその目は……紫色に輝いていた。
見ているだけで引き込まれそうなその瞳に、ユリウスは驚く。
「今度こそ、僕が助ける。魔力、貸してくれ」
リリアナが諦めないというのなら。止めても聞かないというのなら。
今度こそ、最後までこの手で守ってみせる。
そんな、覚悟と決意の籠った紫水晶の瞳に見つめられたユリウスは、思わず笑みを零しながらその肩に手を置いた。
「分かった、俺の全部、お前に預ける。だからリリィのこと、頼んだぞ」
その言葉と同時に、ユリウスの魔力がルルーシュに流れ込む。
元々極僅かしか存在しなかった器の中に、潤沢に注ぎ込まれていく魔力を感じ取ると、ルルーシュは一つ頷きを返し、躊躇なくそれを手中に収めた。
『我、雨の精に希う。我らに恵みを与え給え』
一つに混ぜられた材料へと魔力を注ぎ込み、満遍なく魔力が浸透するように軽くかき混ぜる。
それに合わせて発光を始めた魔法陣から立ち昇った光が、ルルーシュの周囲で爆ぜるように瞬いていく。
『我、川の精に希う。我らの悲しみを癒し給え』
魔力に侵された材料が、内側から徐々に変質していく。
動物が魔力濃度の高い地域で魔物化するのと同じように、命を失ったただの材料さえも、その影響を受けて性質を書き換えられる。
『我、海の精に希う。我らの子等を守り給え』
もちろん、魔力による変異は魔物に起こるソレと比べれば極僅かだが、複数の素材の組み合わせと適切な魔法の行使により、その僅かな変化をコントロールし、望む効果を付与した魔法薬へと生まれ変わらせる。
理論立てて説明するのなら、今の手順にはそんな講釈が適切なものとなるが……今目の前に広がる光景を見て、そんな無粋なことを口にする者はいないだろう。
『光の精よ、我らに再び立ち上がる活力を。土の精よ、我らに明日を生きる糧を』
ルルーシュの口から朗々と紡がれる詠唱が、万感の思いを込めた祈祷となって精霊達へと捧げられる。
ルルーシュの指先に合わせて蠢く魔力が、光を瞬かせながら宙を舞い、昼間の室内に星空の如き美しき情景を形作る。
それはまさしく、命の輝き。
ルルーシュの祈りに答えた精霊達による、聖なる祝福だ。
『巡り巡る輪廻の中、生命を育む担い手達よ、その祈りを天上へと捧げよ』
「……すげえ」
そんな、神々しいとさえ思える光景を眺めながら、ユリウスは呆然と呟く。
当たり前だが、魔力を制御するなら、他人のものより自分のものの方が容易だ。規模の大きな魔法を行使する場合や、ルルーシュのように魔力量の少ない人間が他人の魔力を借りるのは一般的だが、それでもやはり、多少の違和感のようなものは感じるものだ。
それなのに、ルルーシュからはそうした無理をしている様子が全く見受けられない。
まるで初めから自らの一部であったかのように、完璧な制御で魔力を操る姿には、もはや嫉妬の感情すら沸いて来ない。
そう、まるで……ルルーシュだけ、他の人とは全く別の次元から魔力を操っているのを見ているかのように。
『偉大なる癒しの大精霊、青のユリフィスよ。我らが祈りに応え、その大いなる慈愛の心を、一滴の雫と成して我が元に滴し給え』
やがて、教典のような長きに渡る詠唱が佳境に入り、周囲の光が渦を巻きながら、材料の中へ注ぎ込まれていく。
勢いを増す加護の力は、材料の中で一際強く光輝き、形を成す。
『その名は涙。邪悪を払い、命を芽吹かせる救いの力。今ここに結実せり』
最後の一小節を紡ぎ終え、ルルーシュは大きく息を吐く。
魔力の残滓が微かな光となって瞬き、役目を終えたかのように儚く消えていく。
光が消えた後、最後に残った小さな粉末。それを手に取り、一つ頷くと、ルルーシュは振り返る。
「……出来たよ。まず、一つ目」
玉のような汗を滲ませながら告げるルルーシュに、ユリウスは様々な想いを飲み込んで……ただ一つ、称賛の気持ちを込めてぐっと親指を立てると、いつもリリィにしているかのように、その頭をくしゃりと撫でる。
そんなユリウスの手を、ルルーシュは少しばかり鬱陶しそうに振り払う。
「鬱陶しいからやめてって。それに、喜ぶのはまだ早いよ、患者はたくさんいるんだから、一つで満足するわけにいかないし」
「はは、そうだな。頼りにしてるぞ、ルルーシュ」
「そっちこそ、途中で魔力が無くなってバテないでよね」
軽口を叩き合いながら、二人はもう一度、薬の製作に取り掛かる。
一秒でも早く、薬を届けるために。




