第四十話 蒼を失った世界②
ストックが大分溜まった……というのもありますが、いい加減学園タグ詐欺があれなので、学園入学編に入るまで毎日更新で突っ走ります!
あと三十五話です!!(なげーよ
あいつがいなくなってから、一週間が経った。
最初の内は、どうしてもあいつがもういないってことが信じられなくて、何度も屋上に足を運んでは、誰もいないその場所を見て泣き腫らした。
ただ、それもここ数日は鳴りを潜めて……代わりに、あいつとの思い出が染み付いたあの場所にいることに耐えられなくて、気付けば授業どころか学校にも行かなくなっていた。
「おうおう、お前どこの学生だ? おおん?」
平日の昼間から当てもなくフラフラと歩いていれば、当然こんな連中にだって出くわす。
じゃらじゃらと付けられた装飾品の山に、無駄に目立つ色に染められた髪を、これまた無駄に尖らせ固めたそれは見るからに邪魔そうだ。
それでも体は俺よりも大きいから、喧嘩もそれなりに強いんだろう。
「聞いてんのかコラ? あんま舐めた真似してっとボコっちまうぞ? お?」
「……うるせえ」
「あ? 今なんつった?」
「うるせえっつってんだ。どけ、デカブツ。通行の邪魔だ」
それでも、気が立っていた俺は自分から挑発するような台詞を吐いちまう。
案の定、その不良はこめかみを引き攣らせ、俺に向けて拳を振り上げる。
「いい度胸だ、死ねやコラァ!!」
ガタイはよくても、本格的に習ったわけじゃないんだろう。素人同然の拳を俺は体を横にずらすことで避けると、勢い余って体勢を崩した不良の背中に蹴りを入れる。
「がっ!? て、てめえ……!!」
無様に地面を転がった不良は、起き上がるなり益々激昂して襲い掛かってくる。だが、怒りに任せた攻撃はどこまでもワンパターンで、俺は向かってくる拳を避けては、隙だらけの体に次々と反撃を加えていく。
一方的な展開に、最初は威勢が良かった不良も徐々に戦意を失っていった。
「ひ、ひぃ……! す、すまねえ、謝る、謝るから、もう許してくれれ!」
情けなく腰を抜かしながら懇願する不良の姿に、俺は益々苛立ちを募らせ、それが更に不良の恐怖を煽る。
別に、この不良が悪いわけじゃねえ。
単に、こんなクソみたいな光景すら、あいつとの思い出を呼び起こしちまって、無性に悲しくなってきただけだ。
そう、あれは確か、あいつと出会って半年くらい過ぎた頃だったか。
近所のコンビニで買い食いした帰り道に、ちょうどコイツみてえな不良に出くわした。
ただ、その時絡まれたのは俺じゃなくて、小せえガキを連れた婆さんだったが。
「おうおう、どこ見て歩いてんだこのクソガキはよ、おう?」
「すみません、この子にはちゃんと言い聞かせますから……!」
どうやら、歩いていたガキが運悪くガラの悪い不良とぶつかっちまったらしい。
婆さんは必死に謝っているが、不良どもはそれで許すつもりはなさそうだ。
「いやいや、謝られても困るんだよ、俺今ので腕の骨折れちまったし。あーいたた、これは慰謝料貰わねえといけねえよなあ?」
「そ、そんな……!」
あまりにもベタな展開に、アホらしいと呆れた俺だったが、無視して帰ろうにも帰り道のど真ん中に陣取ってそんな真似してやがるから、避けて通るってのも難しい。
ああもう、めんどくせえ。
「おいお前ら、通行の邪魔だっての」
仕方なしに声をかけると、不良は俺を見て目を吊り上げるし、婆さんは婆さんでビビって腰抜かしやがった。
まあ、俺も大概不良染みた見た目だし、何より実際に不良だったからな、しかたねえ。
「おうおう、なんだてめえ、正義の味方気取りか?」
「そんなんじゃねえよ、ただ目障りだから他所でやれっつってんだ」
「んだとゴラァ!?」
やめときゃいいのに、俺はわざわざ挑発にしかならないって分かりきった言葉を投げ掛けて、それを聞いた不良は案の定殴りかかってきた。
めんどくせえ、ともう一度呟きながら、飛んでくる拳を適当に躱して、適当に反撃を加えて雑にボコる。
いくら不良と言っても、所詮はまともに習ったこともねえ喧嘩殺法だ。しっかり見てれば対処できないことはねえ。
そうして一方的に殴っているうちに、婆さんは子供を連れてどこぞへ逃げていき、その場には俺と不良だけが残された。
傍から見れば、俺が一方的に他の学校の生徒を甚振っているように見えなくもない光景だ。
「やだ、喧嘩? 怖いわねえ……」
「しっ、聞かれたらどうするの」
近所のおばさん達が、怯えながらも遠巻きにひそひそと囁いている。
勘違いといえば勘違いだが、元々その手の勘違いはよくされていたし、俺自身も“不良”として振る舞ってきたんだから、こんな認識も今更だ。
不良も完全に戦意を失っていることだし、さっさと帰るかと足を踏み出そうとした時、後ろから別の足音が聞こえて来た。
「もう、剛毅君、やり過ぎはよくないよ?」
「お前……見てたのか」
振り返れば、あいつが膨れっ面で俺に注意していた。
他の誰に何を言われても何とも思わなかったのに、あいつに変な誤解をされると思うと、それだけでなぜか妙に嫌な気分にさせられる。
なんて言うべきか迷っていると、あいつはそのまま俺の前で腰を抜かしてへたり込んでいる不良の前にしゃがみ込み、ポケットから絆創膏を取り出した。
「これでよしっと。君も、これに懲りたらお年寄りや子供には優しくしないとダメだからね?」
不良の傷口にペタペタと張り付けると、優しく諭すような口調と共にそう語り掛ける。
「お、おう」とやや挙動不審ながらも頷いた不良に、そのままいつものようにあいつが微笑みかけると、あっという間に不良は顔を真っ赤にして目を逸らす。
……全く、これだから天然タラシは。
不良の様子に首を傾げながらも、逃げるように去っていく不良を見送ったあいつは、改めて俺の方に向き直った。
「いつから見てたんだ?」
「剛毅君が、邪魔だどけー、ってさっきの男の子に言った時から? 本当は僕も間に入ろうかと思ったんだけど、一人でも大丈夫そうだったから、ひとまず様子を見ようかと思って」
「つまり、最初からかよ……」
はあ、と、俺は大きく溜息を吐く。
特に理由もなく暴力を振るう人間だと思われなかったのはいいが、それでもやっぱりこういうお人好しからすれば暴力そのものが気に入らないのか、すぐに頬を膨らませやがる。
「喧嘩するのはいいけど、ほどほどにね? せっかく人助けしてるのに、剛毅君が怖い人だなんてみんなに勘違いされたままにするのは悲しいから」
「別に間違ってないだろ。今のだって、俺は連中が邪魔だったから退かしただけだ」
今逃げて行った奴と変わらない、“不良”になろうとしている俺が、人助けなんて恥ずかしい真似出来るか。
親にとって都合のいい“いい子ちゃん”になりたくなくて不良になったのに、こいつの前でだけは本当の意味での“不良”ではいたくないと、この時すでにそんな風に思っちまってる自分に気付かないまま、俺はそう言って歩き出した。
「剛毅君がどういうつもりだったとしても、あのお婆ちゃん達もきっと感謝してると思うよ」
「そんなわけあるか。どう見ても俺にビビって逃げ出してたじゃねえか」
「違ったら、その時は僕が教えておいてあげるよ。剛毅君は怖い顔してるけど、本当は優しくていい子なんだって」
「やめろ、マジでやめろ」
俺の隣を小動物か何かみてえにちょこちょこと付いて回りながら、しれっととんでもねえことを口走るあいつに、俺は露骨に嫌そうな表情を返す。
「いいじゃない、剛毅君はただでさえすっごく強くてカッコイイんだから、その上優しくていい子となればもう完璧じゃん。正直、羨ましいくらい」
「この平和な国で強くなんてなってどうするんだよ。こんな腕っぷしなんざ、暴力振るうくらいしか役に立たないじゃねえか」
空手だの柔道だの、そういうのを続けていたのならまた別なんだろうが、とっくにやめちまった今や俺はただ少しばかり喧嘩が強いだけのガキだ。こんな力、何の意味もない。
そう、どこか諦めとともに零しながらひらひらと振られた俺の手を、あいつはそっと握りしめた。
「そんなことないよ」
野郎の手とは思えないくらい、柔らかくて温かな手に包まれて、なぜかドキリと胸が高鳴る。
そんな俺の変化に気付かないまま、あいつは元々女みてえだった面をより一層可愛らしい笑顔に変え、俺に優しく語りかけた。
「剛毅君の手は、暴力だけじゃない、たくさんの人を助けられる、とっても素敵な手になれるよ。僕が保証する」
そんなあいつの言葉を聞いて、俺は情けなくもさっきの不良と同じように、自分の顔が真っ赤になっていくのを感じた。
慌てて手を振りほどき、そっぽを向いた俺だったが、正直誤魔化せた自信はあまりない。
「でも、僕だって負けないからね。いつかきっと、剛毅君よりも立派な男になってみせるから!」
俺の態度には気付いていないのか、あいつは拳を握りながら喜々としてそう宣言した。
そもそも、立派な男ってのは俺と一番対極にある存在な気がするし、あいつはあいつで見た目どころか言動も女みてえだったから、無理じゃねえかと思ったんだが。
「まあ、頑張れよ」
「うん、頑張る!」
わざわざそれを指摘して夢を壊すこともねえだろうと、俺は軽く応援するに留めた。
小さな子供みてえに無邪気で、絶望なんて知りもしねえってくらい明るいあいつのその顔を見て、俺はほんの少しだけ夢を持った。
「……そうなるまでは、俺がしっかり守っててやるからよ」
俺には、こいつが言うような大した男になる資格はない。
それでも、俺よりずっと優しくて、人のために頑張れるこいつが、誰もが認める立派な男になるまで、見守ってやるくらいはいいだろう。
「え? 何か言った?」
「なんでもねえよ。それより、ちゃんと前見て歩かねえとこけるぞ」
「もう、それくらい大丈夫だよー」
そんな些細な願いすら叶わないと知らずに、この時俺は、本気でそう思っていた。
「…………」
「……あ、あれ?」
過去の思い出から現実に立ち返った俺は、気付けば目の前に座り込んだ不良へと手を伸ばしていた。
俺の行動の意図が分からず困惑する不良に「立てるか?」と尋ねれば、「だ、大丈夫、です」と震える声で呟き、恐る恐る俺の手を取る。
「怪我は?」
「え? い、いえ、大したことは……」
「そうかよ。……もう、こんな真似すんなよ」
「え……え?」
不良を立ち上がらせ、簡潔にそれだけ呟くと、俺は再び当てもなく歩き出す。
「何やってるんだ、俺は……」
自分で殴り倒しておきながら、自分で優しい言葉をかける。何とも偽善的な行動に、自分で自分に吐き気がする。
たった一人、あいつを守ってやることも出来なかったこの手で、何が出来る?
ただ暴力で不良を黙らせ、屈服させることしか出来ないこの手で、何が出来る?
こんな風に、偽物の優しさを振りまくしか出来ない俺は……これから先、どうすればいい?
「クソが……」
結局、街のどこを巡っても、俺の気持ちは晴れなかった。
学校から出ようと、どこでだってあいつの思い出は俺の脳裏にこびりついて離れず、いつまでもいつまでも回り続ける。
いっそ忘れられたらどれだけ楽だろうと思うが、それをするには、俺の中であいつの存在はあまりにも大きかった。
いっそ、俺もあいつみてえに、死んじまった方が楽なのかもしれない。
そんな考えすら浮かび始めた頃、ふと俺の前を歩く、一人の女子生徒の姿を見つけた。
「あん……? あいつは確か、うちのクラスの……」
あいつと仲が良かった、図書委員の女子。名前は確か、豊穣土筆だったか。
俺が言えた義理じゃないが、今はまだ学校の時間だ。こんな街中で何をしてやがるのかと若干訝しむ。
曇り空の下、覚束ない足取りで歩く豊穣の行く先は……。
「……あ」
赤く灯った信号と、向かい来るトラック。
豊穣が向かう先に、以前聞いたあいつの最期を想起させる光景が見えた時、俺は気付けば走り出していた。
「てめえ、待ちやがれええええ!!」
信号の色に気付いているのか、気付いていないのか。
顔を俯かせたその後ろ姿からは判断できねえが、迫りくるトラックは急に歩道に足を踏み出した歩行者に対応することも出来ず、容赦なく交差点へと侵入する。
「うおぉぉぉぉ!!」
どうしてこんな真似をしたのか。後から何度考えても、俺の中で答えは出ねえ。
ただ一つだけ言えるのは、俺はこの行動を、この先いつまでも後悔することはなかったってことだけだ。
俺は走り寄った勢いのまま、豊穣の体を後ろからタックルでもかますかのように突き飛ばす。
キイィィィ!! と甲高いブレーキ音を響かせながら、トラックがほとんど減速することなく横断歩道を突き抜けて。
曇天の空に、近くにいた歩行者達の悲鳴が響き渡った。




