第三十九話 商会の目的
アースランドの村周辺に広がる"魔の森"ビルフォレスト。
平時にあっては魔物の脅威に晒される恐怖の対象だが、いざ有事の時とあっては、深く暗い森は容易に不慣れな者の方向感覚を狂わせ、魔物達が外敵の侵入を阻んでくれる天然の要塞として機能する。
しかしそれも、魔物に怯える必要のない能力を持った、極少人数の侵入者に対してはあまり意味を為さない。
「またこんなとこ来て、今度は何するんだよ、おっさん」
右目を包帯で隠した幼い少年が、前を歩く男に語りかける。
二人は以前にもアースランド領に……正確には、この魔の森へと足を踏み入れたことがある。
その時の"仕事"は、魔物を使ってアースランド家の戦力を測ること、そして少年の能力を確認することの二つだったが、今回はまだ何も聞かされていない。
魔物は少年を恐れるかのように一体も姿を現さないとはいえ、森を歩くという行為はそれなりに疲れるため、目的がハッキリしないまま疲労ばかり蓄積していく状況に、少年は苛立ちを募らせていた。
「今回の任務は、アースランドの村への侵入、そしてある物の回収だ」
「侵入? 中まで入るなんて、随分思い切るなあ」
男の告げた目的に、少年は呆れたように溜息を吐く。
半年前にここを訪れ、アースランド夫妻の力を目の当たりにした身としては、出来る限り近付きたくないというのが本音だ。
しかし、そんなことは男も当然分かっている。
「それだけ重要な物だということだ。上の連中が情報を掴んだ途端に俺達を派遣する程度にはな」
「ふーん。けど、そうまでして回収したいものって何さ? アースランド家って、ほとんど領主の強さで成り立ってるような家なんだろ? それとも、"あの子"でもかっ拐うわけ?」
「リリアナ・アースランドについては、特に何もしないことが決まっている。今の時点で必要以上に事を荒立てる意思は上の連中にもないし、そのリスクを負ってまで手に入れる価値は、あの娘にはないと判断された」
「そっかぁ、そりゃ残念」
言葉ほど残念そうには見えない顔で、少年は溜息を吐く。
そんな少年の様子を横目で確認し、誰にも気付かれないほど微かに、男の表情に影が差す。
しかし、次の瞬間には何事もなかったかのように元の無表情に戻り、再度口を開く。
「それに、今回の目的はアースランド家ではなく、ランターン商会だ」
「は? ランターン商会って、要するにただの商人じゃん。そんなとこ狙って何を盗るんだよ、金か?」
「そんなわけないだろう。あの商会が現在建造中の新型魔導船、その設計図を奪うのが、今回の仕事だ」
「いや、益々意味わかんないんだけど。魔導船って言ったって、要するにただの商船でしょ? そんなもん俺達が盗ったからって何に使うんだよ」
男の説明に、少年はそう言って不満を露にする。
半年前、上の期待通りの仕事をしたことで、ようやく少しは自由な時間を過ごせるようになったのだ。こんなところでどうでもいい仕事をしているくらいなら、柔らかいベッドの上でゴロゴロしていた方がよほど有意義だろう。
しかし、そんなだらけきった少年の思考は、続く男の言葉ですぐに霧散した。
「違う。ランターン商会が作っているのは、ただの魔導船ではない。あの商会は――」
最後まで聞いた時、少年は楽しそうに表情を緩めた。
自分達の狙っているものが、思っていた以上に大物だと知って。
「どういう取り決めの末にそんなものを造ることになったかは知らんが、どうやらランターン商会は、その船を造るためにアースランド家の協力を得ようとしているらしい。そのために、こんな僻地まで設計図を持ち込んでいる可能性が高い」
「ふーん……じゃあ、もしそれを手に入れられれば、俺達大戦果ってことだよな?」
ニヤニヤと、喜びを抑え切れないと言わんばかりの笑みを浮かべる少年に、男は小さく頷きを返す。
「ああ。お前にかけられている行動制限も、ある程度解除されるかもしれないな」
「よっしゃあ、やる気出てきたぁ! ほら、とっとと行くぞおっさん!」
「その前に、最低限の変装くらいしろ、後二日ほどで森を抜けるが、俺達は流れの行商人の親子という設定で村に入り込む。今のうちから意識して行動しておけ」
「はいはい、分かりましたよーっと」
全く心の込もっていない返事に溜息を吐きながら、男は変装のための小道具をどこからともなく取り出し、並べていく。
それを手に取り、嬉々として身に付けていく少年を、複雑な表情で眺めながら。
アースランド領のとある借家では、作業を終えたルルーシュが帰宅していた。
つい先ほどまで、メアが寝静まるまでの間、母親と会話するためにカタリナに作って貰った魔道具へとなけなしの魔力を注ぎ込んでいたために疲労が溜まり、その足取りは酷く重い。
元々魔力量が多い方ではなかった上、メアの一件を抜きにしても薬の製作で何度も魔法を使っていたので当たり前ではあるが、出来ることならさっさとベッドに飛び込みたいくらいにはクタクタだった。
そんなルルーシュを気遣ってか、リリィからはアースランド家に泊まっていってはどうかと勧められたのだが、流石に婚約すらしていない他家の男子を泊めるわけにはいかないということで、今日のところは他の従業員たちが寝泊まりしている場所で一夜を明かす予定となっている。
ではなぜ、疲れた足を引きずってまでここに来たのかと言えば、病床の父親から頼まれた書類の片付けを終わらせておこうと考えたからだった。
「ただいまー……って言っても、今は誰もいないけど」
扉を開け、家の中に入ったルルーシュは、そう言って溜息を吐く。
この借家はマカロフとルルーシュの二人に宛がわれた家のため、他の従業員はいない。マカロフがベラ熱で領主館の離れにいることを思えば、誰もいなくて当たり前だ。
ほんの二日前に言い争いをした相手ではあるが、やはりいないとなるとどうしても寂しさが湧き上がってくる。
そんな感傷を、頭を振って追い出したルルーシュは、改めて真っ暗な部屋の中へと手を掲げ、詠唱を唱える。
『光の精よ、我が道を照らし給え。《灯火》』
ボウッと灯った魔法の光を頼りに、暗い部屋の中を進んでいく。
「書類整理の最中に倒れたとは聞いたけど、中身は見るな、なんて言うくらいなら、トトノさんに任せればいいのに。それとも、トトノさんにも見せられないような……いや、それなら猶更、僕に言うわけないか」
暗闇の中一人きりという心細さからか、普段はどちらかと言えば無口な方にも拘わらず、独り言を漏らしながら歩を進める。
住み始めてまで数日、慣れたとは言い難いが、それでも父親の部屋を間違えずに訪れる程度はいくら暗かろうと造作もなく、無事に辿り着くなり中へと足を踏みいれた。
「えーっと……これか」
机の上に、大きな封筒が一つ置かれていた。
中身を見るなと言われているので、本当にこれなのか確認することが出来ないのが難点だが、他にそれらしいものもないので間違いないだろう。
僅かに飛び出た書類を中に押し込み、金庫の中にでも仕舞っておこうと考えたルルーシュだったが、振り返って一歩前に踏み出そうとした時、椅子に足を引っかけてしまった。
「うわっ!?」
単純に暗かったことに加え、一日中魔法薬を作っていたことによる疲労も合わさって、咄嗟に反応できなかったルルーシュはそのまま勢いよく地面に倒れる。
抱えていた封筒が地面を転がり、中に入っていた書類が勢いよくぶちまけられた。
「いったぁ……はあ、もう、最悪」
あまりの惨状に溜息を零しながら、ルルーシュは散らばった書類を拾い集める。
裏返しになっている物はそのまま纏めれば問題ないが、表向きで落ちている物に関しては、もはや中身を見ずに集めるなど不可能だ。不可抗力とはいえ、言いつけを破ってしまうことに罪悪感を覚えながらも、拾い集める僅かな間に目に入る情報から、それらが何かの設計図であることは検討がついてしまった。
(魔導船の設計図か、これ)
マカロフの必死な様子から、最近やけに執心している魔導船建造事業を思い出し、大方そのための設計図なのだろうとぼんやり考える。
世界最大最速の船を作るのが目標だそうで、造船所の出入りには門番を雇いかなり厳重に管理しているそうなので、予想通りであるならば、確かにこんな机の上に無造作に置きっぱなしにしておいていい代物ではないだろう。
本来なら、ここまでで終わるはずだった。
マカロフが執心している事業とはいえ、ルルーシュ自身にはそれほど興味がなかったし、そもそも船の設計図など見たところで何か分かるような知識も持ち合わせていない。
あるいは、それを見越して自分に片付けを頼んだのだろうかと、そう考えながらルルーシュは地面に落ちた最後の一枚に手を伸ばす。
それまでの設計図面とは違う、船全体の見取り図が描かれたそれを目にして……凍り付いた。
「え……?」
そこにあったのは、ルルーシュが想像していた船とは大きく異なる形をしていた。
巨大な船体の左右には不自然なまでに無数の窓が設けられ、そこから凶悪な砲台がいくつも外部へとその筒先を向けている。
積み荷を置くスペースは船の大きさに比して商船とは思えない小ささで、代わりに設けられた弾薬庫からは各甲板へと効率良く砲弾を運ぶための通路がいくつも伸びており、少なくとも物資の輸送を目的とした船でないことは明らかだ。
「これって……軍艦……?」
自衛のためではない、明確な"敵"を叩き潰すための、圧倒的な暴力の化身。
その名称を呟くと同時、ルルーシュの背筋をとてつもない寒気が襲い、全身が小刻みに震え始めた。
「どうして、父さんが、こんなもの……」
当たり前だが、たかが商人が軍艦を勝手に建造することなど許されていない。
海沿いの貴族家なら軍艦を持っているところはあるが、それは国から貸与されているという扱いで、所有権はあくまで王家にある。貴族ですら、自前の軍艦を王の許しなく造れないのだ。
軍艦を造ることのできる造船所は全て国から発表されており、限られた関係者以外は近づくことすら許されていない。そして、その造船所の中にランターン商会が関係している所はなかったはずだ。
もちろん、ランターン商会が王家やその関係者から新たに認可を受けて建造しているという可能性もあるのだが、まだ幼いルルーシュには、そうした軍艦を取り巻く事情はほとんど分からない。ただ、父親が想像以上に血生臭い領域に足を踏み入れようとしているという事実を前に、言い知れぬ不安を覚える。
そして、それ以上に。
家族を蔑ろにしてまで造っていたものの正体が、人を傷付けるための兵器だったと知って。
ルルーシュの胸の内に、仄暗い感情が渦巻き始めた。
「こんなものの、ために……!」
感情のままに、ルルーシュは手に持った設計図の片側を両手で握り締める。
こんなくだらない物を造る事業など、さっさと破綻してしまえばいい。
そんなことを考えながら、設計図を左右に引き裂こうとして――
――ルルーシュ君の手は、たくさんの人を助けられるとっても素敵な手ですから、大事にしなきゃダメです!
不意にそんな声が頭に響き、すんでのところで押しとどまった。
「……くそっ」
衝動的に破り捨てようとしていた設計図に、もう一度視線を落とす。
ここ最近、父がずっと熱心に取り組んでいた事業の正体。
家にもほとんど寄り付かず、母にずっと寂しい思いをさせてきた元凶。
そして……病に冒され、意識すら朦朧とした中でも、将来のために必要なんだと必死に訴えかけていた、父の宝。
「どうすればいいんだよ……」
父親への親愛と、だからこそ溢れる怒りの感情。
五歳の子供が抱えるにはあまりにも重いそれを持て余し、ルルーシュはたった一人で呟くのだった。




