第三十八話 想いを繋ぐ人形
「お母様ー!」
食事を終えたリリィは、早速カタリナの元へと向かった。
薬の作成は彼女の自室兼研究室で行われているため、特に迷うこともなく部屋を見付け、そのまま飛び込んで行こうとして……。
「ちょっとお話が……わひゃあ!?」
扉を開けた直後、そのすぐ傍に放り捨てられていた本に躓き、思い切りすっ転んだ。
ずってーん! と派手に頭から倒れ込んだ娘に一瞬遅れて気付いたカタリナは、慌てて傍に駆け寄る。
「リリィ、大丈夫!?」
「ら、らいひょうふれふ……」
鼻頭を押さえながら体を起こしたリリィに、カタリナはすぐさま治癒魔法をかける。
そうこうしていると、やや遅れてユリウスとルルーシュが部屋の中へと入ってきた。
「どうしたリリィ、転んだのか? だから走るなって言ったのに」
「うぅ、ごめんなさい」
ユリウスに呆れ顔で注意され、ややしょんぼりしながら辺りを見渡したリリィは、ボソリと呟く。
「……でも、これだと普通に歩いていても転びそうです」
「うっ!?」
情け容赦ない娘の言葉に貫かれ、カタリナは苦しげに胸を押さえる。
そう、ここは一応カタリナの自室なのだが、おおよそ人が生活する空間とは思えないほどに散らかっていた。
魔力を蓄えておくための大小様々な魔水晶に、作りかけの魔道具、王国におけるあらゆる論文や研究成果が集められた本の山に、儀式魔法で用いられる触媒や、魔法薬の原材料。
そうした物が部屋中に散乱し、雑多に積み上げられた様は、何も知らない人が見れば誰もがゴミ屋敷と評することだろう。知っている人は知っている人で、高価な物品が雑に散らかっている光景を見て卒倒しそうだが。
そんな部屋の中央、明らかに無理矢理物を退けてスペースを確保したと分かるその場所で作業をしていたカタリナは、それでもなんとか母親としての威厳を取り繕おうと言い訳を重ね始める。
「い、いやその、あのね? 一応この部屋にある物には状態保存の魔法もかけられているから、多少雑に扱っても問題ないし、ちょーっと散らかってはいるけれど、他の場所よりずっと快適よ? 魔力濃度が高い分、体の調子も良くなるしね?」
「言われてみれば、この部屋ってなんだか変な感じがしますね。いつもより耳が冴えるというか」
「結界魔法を使って、部屋の中を出来るだけ魔力で満たしてるんだよ。魔導士に限った話じゃないけど、魔力が濃い場所って心を落ち着かせたり体調が良くなったり、何かと良い効果が期待出来るから、難しい作業の前に部屋の魔力濃度を出来るだけ高めておくっていうのは、薬師でも結構やってる人がいるんだ。僕は魔力量が少なすぎて無理だけど」
「へ~、そうだったんですか。人の魔力を感じると落ち着くっていうのは私も覚えがあるので、なんとなく分かります」
ルルーシュの補足を聞いて、リリィはなるほどと納得しながら一つ頷く。
カタリナやカミラに魔法をかけて貰ったりすると、伝わってくる魔力でいつも以上に心が落ち着いたという経験は何度もしているので、リリィとしてもその理屈は分かりやすい。
ただ……。
「お母様、たとえそうだとしても、散らかっていることと魔力濃度はなんの関係もない気がするんですが……」
「うっ、誤魔化せると思ったのに……」
「流石にそんなことで誤魔化されませんよ!?」
論点をズラすにももう少しマシな話はなかったのかと、リリィは溜息を吐く。
カタリナは、紛れもなくストランド王国屈指の実力を持つ魔導士で、リリィにとって愛する母親なのだが……困ったことに、こうした身の回りの整理整頓がほとんど出来ない。
普段から忙しくて片付ける暇がないと言えればまだマシなのだが、片付けは使用人の方々がキチンと行っているので、言い訳にならない。
つまり、部屋が片付けられてもその日の内にすぐ散らかしてしまうのだ。何かに没頭しているとそれ以外目に入らなくなる、カタリナの悪癖である。
「ルルーシュ君、すみません」
「いや、僕って基本的に、材料持って来たり、簡単な薬を調合したりするばっかりだし、それも魔法が干渉しないように他の部屋を借りてやってるから……この部屋にはあまり入らないんだ」
そんな母親の臨時の助手として薬を作っているルルーシュに謝ると、意外な答えが返って来た。
とはいえ、その表情を見れば、彼がこの部屋の惨状に微妙な心境でいることは明らかだが。
「そ、それで、みんなは何をしに来たの? 何かあった?」
「あ、そうです、ちょっとお母様に相談したいことがあったんです」
あからさまに話題を変えられたが、今はカタリナもそんな悪癖の改善について話していられるほど暇ではないはずなので、リリィはさっさと本題に移ることにした。
そうして、メアが寂しがっていること、せめて声だけでも届けてあげたいという話をリリィから聞いたカタリナは、少し考え込むような仕草を見せた後、「そうだ」と言って手を叩く。
「それなら、何か媒体になる小道具があれば、すぐ用意出来ると思うわ」
「媒体ですか?」
「ええ。《念話》って言って、魔法陣を刻み込んだ対になる媒体を持っている人同士、離れていても会話出来るようになる魔法があるの。あまり距離がある相手と話すなら、素材から吟味したかなり大掛かりな物が必要になるんだけれど、今回の用途ならこれくらいの大きさの物であればなんでも大丈夫だと思うわ」
「なるほど、それならいい物があるので、ちょっと持ってきます!」
カタリナが両手で示した大きさを見て、すぐにピンと閃いたリリィは、ドタドタと部屋を後にする。
それから少し待っていると、出ていった時と同じように元気良く扉を開け放ち、両手いっぱいにある物を抱えて戻ってきた。
「持ってきました!!」
「早かったなリリィ……って、お前それ……」
リリィが持ってきた物を見て、ユリウスは意外そうに目を見開く。
それは、以前から何度もリリィにプレゼントしていた物――木彫り人形だった。
今まで、何度捨てたらどうだと言っても頑なに譲らなかったのにどうして、と疑問符を浮かべていると、リリィは大事そうに人形達を見つめながら口を開く。
「寝たきりだった頃、これが傍にあるだけで、少しだけ気が楽になったんです。大丈夫だって、怖くないって、何度も言ってくれたお兄様の顔を思い出して。だから今度は、私がみんなにプレゼントしたいんです。絶対助けるから、怖くないよって」
大事な物だからこそ、苦しんでいる人達のために使ってあげたい。
そう言って微笑むリリィを見て、カタリナは思わずその頬を緩める。
「えと、ダメでしょうか?」
「そんなことないわ。リリィは良い子ね」
段々恥ずかしくなってきたのか、照れ臭そうに頬を掻くリリィの頭を、カタリナは優しく撫でる。
えへへ、と気持ち良さそうに笑うリリィに益々表情を緩めつつ、カタリナは早速木彫り人形を受け取ると、その場で魔法陣を刻み始めた。
「せっかくだから、よく見ておいてね」
子供達の勉強を兼ねてか、カタリナはゆっくりと丁寧な所作で、オウガを象った大型の人形へ彫刻刀のような物を走らせる。
フリーハンドで書いているとは思えないほど綺麗な円に、詠唱にも用いられる魔法言語でいくつもの単語を書き連ね、それらの合間を縫うように複雑な図形を描き出す。
手の動きは遅く目でしっかりと追えるのに、淀みなく続いていく動作は素早く、とても真似出来そうにない。そんな手際の良さにリリィが「ほわー」と感心していると、カタリナはすぐにもう一つ別の人形にも同じ作業を行って、失敗することなく二つの魔道具が出来上がった。
「これでいいわね。それじゃあ、動作確認といきましょうか。リリィ、これを持って少し離れてみて」
「はい! 分かりました!」
出来上がった魔道具の片方をリリィが持ち、部屋の隅……は物で溢れて難しかったので、部屋の外へ移動する。
それを見届けたカタリナが、満を持して魔力を魔道具へ注ぎ込む。
カタリナの人形に刻まれた魔法陣が発光し、魔法が発動すると同時に、リリィが持っていた人形も輝き始めた。
「わあ……!」
『どう? リリィ、聞こえるかしら?』
「はい! バッチリです!」
『そう、それは良かった。じゃあ、一旦戻ってきて』
リリィが興奮気味に部屋へ戻ってくると、改めて魔道具の仕様を詳しく解説を始める。
「この魔法はね、発動した人の魔力を遠方に飛ばして、そこにいる人の魔力と同調することで相互に会話が可能になる魔法なの。だから、本当は話したい人自身が魔道具を使うのが一番なんだけど……それは難しいから、使う時はルルーシュ君、貴方が中継してあげてくれないかしら?」
「えっ、僕?」
思わぬ指名に、ルルーシュは目を丸くする。
しかし、カタリナの方は至って真面目だ。
「発動した人と会話相手との魔力の同調は魔法がやってくれるけれど、中継役になるのなら、片方の人とは魔法なしで同調しないといけないから。そういう細かい制御は、貴方しか出来ないわ」
ルルーシュと共に魔法薬を作る中で、カタリナは彼の持つ異様なまでの制御能力の高さに気付いていた。
だからこそ、そうした繊細な魔法を任せるなら、今は彼しかいないと判断したのだ。
ただ、そうした賛辞に弱いルルーシュは、少々ぶっきらぼうになりながら反論を口にする。
「別に、僕じゃなくてもそれくらい出来る人は他にいるでしょ。師匠とか」
「ふふ、確かに私も出来るけど、これからまだ薬を作らないといけないから、やってくれると助かるわ」
……いつの間にかルルーシュ君のお母様に対する呼び方が師匠になってる!?
と、内心で驚愕するリリィだったが、それとは別にもう一つ、先ほどから気になっていたことをカタリナに尋ねてみる。
「もしかして、お母様がさっきからずっと魔法を使ってるのも、薬作りの一環なんですか?」
「……え?」
リリィの何気ない一言に、カタリナはぴたりと動きを止めた。
らしくない反応に首を傾げながら、リリィはなおも口にする。
「いえ、いつもは聞こえてくるお母様の音が聞こえないので、もしかしたら何か……《強化》とか、そんな感じの魔法を使ってるのかなと思ったんですが」
自身を対象にかける魔法の場合、魔力も魔法も体内を循環するだけで完結してしまうので、リリィの耳であってもその魔力を感知出来なくなる。
違うんですか? と尋ねられ、カタリナは僅かに視線を彷徨わせる。
しかし、次の瞬間にはいつも通りの柔らかな笑みを浮かべていた。
「私自身、魔法薬を作るのは大変だから、心を落ち着けるために意識して魔力を鎮めているの。そのせいじゃないかしら?」
「なるほど……流石お母様、全く魔力を漏らさないなんて凄いです!」
「ふふ、ありがとうリリィ。でも、“聞こえる”ことはあまり言っちゃダメよ?」
「あっ!」
自らの失言に気付き、リリィは慌てて口を塞ぐ。
精霊の耳についてはあまり他言しないようにとカロッゾからも言われていたので、うっかりしていたとルルーシュの方へチラりと視線を向けると、彼は盛大に溜息を吐いた。
「……何の事かよく分からないけど、聞かなかったことにするよ」
「ありがとうございます!」
バカ正直にお礼を言うリリィに、ルルーシュはまたも溜息を漏らす。
人のためなら嘘を吐けるのに、自分のことになるとこうも無頓着なのかと、少々呆れ顔だ。
「それより、出来たんなら早速離れで使ってみようぜ。ルルーシュなら使えるんだろ?」
「話しかけるだけなら、僕でなくても少しでも魔法を齧ってれば簡単だけどね。でもまあ、どうせやるなら早い方がいいのは同感」
「そうですね。それじゃあお母様、お忙しい中ありがとうございました! また明日!」
「ええ、また明日」
口々に挨拶を交わしながら、子供達は部屋を出ていく。
それを見送ったカタリナは、呼吸を整えるように大きく息を吐きながら、フラりと椅子に腰かけた。
「……せめて、あと三日……頑張らないと」
ゲホッ、と。
小さな咳の音が、部屋に響く。




