第三十六話 予防の秘策はインチキ宗教
領主館の離れにはベラ熱の患者が続々と集められ、看病する人員が定められた。
アースランド家の使用人や村人の中から、出来るだけ若く健康で、看病に慣れた者をという基準で選ばれた彼らが、さて準備も整い、今一度病人達の待つ中に入ろうとした時、それに待ったをかける人物が現れる。
当然、そんな彼らのために準備を進めていたリリィのことだ。
「皆さん、中に入る前にやって貰いたいことがあります!」
離れの前に、ででんっ、と仁王立ちするリリィに、誰もが困惑する。
精一杯威厳を出そうとして、結局は背伸びする子供のような可愛らしさしか感じられないその立ち振舞いのせい……ではもちろんなく、その顔の大部分を覆うように着けられたマスクのせいだ。
不審者にしか見えないその装いに、マスクの存在を既に知っているはずのユリウスでさえ若干引いている。
「リリ様、やって貰いたいことというのは……?」
「まず、皆さんには今私が着けているのと同じ、マスクを着けて貰います」
「これを、ですか? 確か昨日も風邪引いた奴に勧めてましたね」
「はい、病気でなくても、着けておけばベラ熱の予防になるので、皆さん着けましょう! あ、お兄様、後で中の患者さん達にも着けてあげてください」
「お、おう」
昨日も中々にプッシュしていたが、今日は自ら着用した上でグイグイ推してくる。
その勢いを前に、どう反応したものかと微妙な空気が漂う中、カミラまでもが同じようにマスクを着け、両手にバケツを持った状態で現れた。
何事かと見守る人々を余所に、着々とテーブルにバケツと石鹸を並べていく。
「それからもう一つ、ここを出入りする時は、必ずここにある水と石鹸で、手洗いうがいをするようにしてください。絶対ですからね!」
その単純明快な指示に、誰もが首を傾げた。
手洗いうがいの意味くらいは誰でも分かるが、わざわざ今ここでする必要があるのかと、そんな疑問がありありと浮かんでいる。
ここだ、とリリィは気合いを入れた。
領主家の人間として、やれと命令するだけなら簡単だが、それではみんな納得しないだろうし、信じて貰えなければこんな面倒な行為、皆適当にしかやらなくなってしまうだろう。それでは意味がない。
「皆さん、手洗いうがいをバカにしちゃいけませんよ! これをするだけで、病気になる人がぐっと減るんですからね!」
「こんなことで?」
「そうです。皆さん、ユリフィス様は知っていますね?」
リリィが問いかけると、集まった人々は全員首を縦に振った。
精霊信仰が根付いたストランド王国では、精霊王から生まれた六柱の大精霊の名など、子供でも知っている。
「ユリフィス様はその涙によって穢れた大地を浄化し、それが川や海を形作ったとされています。水には、それだけで邪気を払う浄化の加護が宿っているんです。だから、水を使って手を洗ったり、うがいをすることで、皆さんの体に加護を与え、今村の中に蔓延っている邪気を遠ざけることが出来るのです!」
リリィの説明に、おお、とどよめく。
病をもたらす邪気だとか、魔法ですらない加護の力を降ろすだとか、やたらと宗教色の濃い話に言っているリリィ自身が胡散臭いと思い始めたところだが、思ったより人々のウケはいいようだ。
(理屈っぽい話は信じて貰えないでしょうから、聖典の内容を大袈裟に解釈してるだけなんですけどね)
細菌だのウイルスだの、今まで聞いたことのない単語を出すよりはいいだろうと、カミラに相談しながら新しく捻り出した宗教感だが、そんな五歳児が即興で考えたインチキ宗教も役に立つならば今は頼もしい。
「水があればいいなら、石鹸なんて使わなくていいんじゃないか?」
そこですかさず、ユリウスが今の話の疑問点を上げてくる。
当然、その疑問は予想していた。だから、対策もバッチリ(?)である。
「それはもちろん、よりユリフィス様の加護を強めるためです! 石鹸に、この通り、特別な魔法陣を刻みました! これを使えばあら不思議、水に宿った魔力だけで加護の力がアップします!」
魔法陣の構成を詳しく知らないため、丸の中に『加護』と前世の漢字を使って書いただけだが、未知の奇怪な文字はそれだけで何となくそれっぽい効果がありそうな気がしてしまう。
もはや、インチキ宗教どころかインチキ訪問販売染みた謳い文句になって来たが、ここまで来たら細かいことなど気にしてはいられない。
どうせなら看病に役立ちそうな内容も含めてしまおうと、更なる“設定”を追加していく。
「ユリフィス様の加護を得た手は、ただ皆さんを守るだけじゃありません。その手で触れた人の邪気も払ってくれます」
ほとんど即席で作られたツギハギだらけの設定だが、カロッゾが長年かけて積み上げて来た、領主家に対する信頼。そして、この半年間リリィが積み上げて来た、個人的な友好関係も合わさって、意外なことにほとんどの村人が真剣に話を聞いていた。
そんな姿を見てリリィも益々饒舌になり、その堂々たる態度と周囲の雰囲気が、ランターン商会の人間にすら「あれ? もしかして本当なの?」という意識を植え付けていく。
「丁寧に加護を込めたその手で、病に苦しむ患者の皆さんの手を取ってあげてください。うがいで清められたその口で、患者の皆さんに語りかけてあげてください。その手が、言葉が、患者の皆さんに纏わり付いた邪気を払い、病を癒す助けとなるはずです」
まるで巫女さんにでもなった気分で、リリィは胸の前で祈るように手を合わせ、集まってくれた人々に願う。
虚飾まみれのインチキ宗教話の締めくくりに、偽りのない本心からの願いを。
「ユリフィス様の加護で患者の皆さんを助けるには、ここにいる皆さん一人一人の協力が必要不可欠です。どうか、私に力を貸してください」
真摯に紡がれたその願いに、否を言う者がこの場にいるはずもなく。
リリィが用意した手洗い場の前には、長い行列が出来上がるのだった。
「……リリアナ、何してるの?」
「あ、ルルーシュ君」
手洗いうがい、ついでにマスクの着用(こちらは加護を長持ちさせるためだと後付けの理由で押し通した)を行って離れの中に足を踏み入れる人々を見送ったリリィは、いつの間にか後ろにいたルルーシュに話し掛けられた。
そのどこか不機嫌そうな、疑うような視線を見たリリィは、もしやと思い恐る恐る問い掛ける。
「……もしかして、今の全部聞いてました?」
「聞いてたよ、あの胡散臭い加護の話」
「あははは……」
村の人達はすんなりと信じてくれたし、その空気に当てられた商会の人々すら最後は納得していたようだが、流石に貴族嫌いのルルーシュには嘘だったと見抜かれていたらしい。
精霊教で最上位に位置する大精霊の加護に対する解釈を勝手に歪め、私的利用する。営利目的でないとはいえ、信仰深い人間が聞けば剣の一つも振り下ろしかねない暴挙だ。
「ええと、怒ってます?」
「いや、怒ってるというか……呆れてるというか? なんであんな適当な嘘吐いたのさ」
だからこそ、恐る恐るそう尋ねたリリィだったが、思ったほどルルーシュに怒っている様子はなかった。
代わりにかけられた問いに、リリィはなんだそんなことかと口を開く。
「それはもちろん、そうした方がみんなのためになると思ったからですよ。少しでもみんなが助かる可能性が上がるなら、私はなんだってやってやります」
「……それが、その“みんな”を騙すことでも?」
「当然です。私にとっては、みんなの“命”が何より大事ですから」
どこか責めるような問いかけに対しても、何の躊躇もなく言い切ったリリィに、ルルーシュは目を見開く。
そんな姿に、リリィはくすりと笑みを溢した。
「そう難しいことじゃないですよ。要するに、私は私に出来ることを、精一杯やってるだけです」
リリィには、ルルーシュのように薬を作ってみんなを治すような技術はない。
体が弱いせいで、ユリウスのように病人の傍で支えてあげることも出来ない。
相変わらず、ないない尽くしで泣きたくなるが、だからこそ、少し嘘をつく程度でみんなの役に立てるのなら、それくらいの泥は喜んで被りたいのだ。
「まあ、この感じだと、嘘をつく必要はなかったかもしれませんけどね」
随分と念入りに手洗いうがいをしてから離れの中に飛び込んでいった人々を思い、リリィは乾いた笑いを浮かべながら頬を掻く。
もしも信じて貰えないようなら、ここから更に嘘八百を並べ立て、それらしく言いくるめようとカミラと二人で知恵を絞ったりもしたのだが、思いの外あっさりと信じて貰えたため、ほとんどが無駄に終わっていた。
これなら最初から、看病をするのに大切なことだとだけ伝えておいても良かったかもしれない。
余計な気を回して空回りするのは前世の頃からの癖だが、なんとかならないものかと溜息を吐く。
「だからその、ほとんど自業自得ではあるんですが、この件が収まるまではみんなに本当のことを黙っていて欲しいんです。ルルーシュ君にまで嘘をつかせるみたいで申し訳ないんですが、どうかお願いします」
最後にはそう言って軽く頭を下げるリリィに、ルルーシュは顔を俯かせ、目を逸らす。
やはりダメだろうかとやや心配になったリリィだが、ルルーシュの口からは「いいよ」と肯定の言葉が返ってきた。
「みんなのためなんでしょ? 嘘は嫌いだけど、そういうことなら黙ってるくらい僕も協力する」
「ありがとうございます!」
嬉しそうにお礼を言うリリィに、ルルーシュは益々表情を曇らせる。
やはり本心では気に入らないのかと不安になるが、今それを指摘しても仕方がないと、リリィは代わりに別のことを尋ねた。
「そういえば、ルルーシュ君はどうしてここに?」
「ああ……なんか、薬を作るのに必要な魔力が予想以上に多くてちょっと足りなくなりそうだから、リリアナに来て欲しいって、ししょ……カタリナ様が言ってたから、呼びに来たんだよ」
「あ、そうなんですか? じゃあ、すぐに行きます!」
そう言って、リリィはカミラに一言断りを入れると、すぐさまカタリナの元へひた走る。
その後ろについて追いかけながら、ルルーシュは終始浮かない表情を浮かべていた。
カタリナの所に向かい、魔水晶に次々と魔力を充填したリリィは、次の目的地である調理場へとやって来た。
本音を言えば、自分で言い出した手洗いうがいの監督も兼ね、水汲みの手伝いなどしたかったのだが、こと肉体労働において自身が戦力外なのは先ほどの件から分かり切っている。
それ以外となると、出入りする人に手洗いうがいを促す以上にやることもないため、後のことはカミラに任せ……ようとしたのだが、即座にカミラはその役目を後輩使用人のステラに押し付けてしまったため、今も二人一緒に行動中だ。
「というわけで、今度は飲み物と食べ物を作ります」
「何がというわけでなのか分かりませんが、食事ならばわざわざお嬢様が作らずとも……」
「もちろん、私一人で全部作るなんて無理なのは分かってますけど、少しでも栄養ある物にしたいので、それを試作するんです。……ええと、そういうわけなので、私もそろそろ包丁を使ってもいいですか?」
「まだダメです。包丁や火の調整は私がやりますので、お嬢様は指示をお願いします」
「はーい……」
少しばかりしょんぼりしつつも、リリィは昨日巡回診療のお礼にと贈られた蜂蜜の他、塩、レモン、ニンニク、ネギ、トマト、麦などを用意していく。
まずは細かく切ったトマトやニンニク、ネギ、それから麦などを鍋に入れ、時間をかけて煮込む。
その間に、水に塩とハチミツ、少量のレモン汁を加えて、経口補水液……所謂、スポーツドリンクを作成する。
「ふむ……飲みやすいですね」
「病気で汗をいっぱいかくと、脱水症状になるかもしれませんからね。これならその対策になります」
カミラに味見して貰いながら、その感触を確かめる。
風邪の対策ならお茶でもいいのだが、渋みが強いため弱っている時はもう少し刺激の少ない飲み物の方がいいだろうと考えたのだ。
「さて、そろそろですね」
煮込んでいたスープをゆっくりかき混ぜながらトマトを解し、ニンニクを砕いていく。
それが終われば、最後に少し塩を加えて味を調えて、完成だ。
「トマトの麦粥です。ニンニクが入っている分体も温まりますから、元気な人が飲むにもいいと思いますけど、どうでしょう?」
「いいのではないでしょうか。とはいえ、やはり必要な量が多いので、これでも人手は必要ですね」
「じゃあ、私がみんなにお願いしてきます!」
「私も行きますから、少々お待ちください」
ひとまず出来上がった分を届けるため、一度離れに寄った二人は、手の空いた村人や使用人、ランターン商会の従業員の手を借りるため、一時領主館を後にする。
こうして、リリィは時折魔力補充のために手を離しながらも、カミラ達と共に食事作りを進めるのだった。




