第三十五話 リリィの奮闘
カロッゾの指示を受け、全員がそれぞれ自らの役目を果たすべく動き出す。
当然、リリィも早速カミラの元に向かい、あてがわれた仕事を始めるべく行動を開始した。
「カミラさん、次お願いします」
魔力を溜め込む性質を持つ魔鉱石。それを加工し、魔力の蓄電池のような役割を持たせた道具……魔水晶を差し出しながら、リリィはカミラにそう頼む。
それを受けて、カミラは魔力が満タンになったその魔水晶を受け取りながら、感嘆の息を吐く。
「お嬢様、もう六つ目ですが、お体は大丈夫ですか?」
「まだ平気です、全然行けます!」
ふんすっと拳を握り締め、リリィは元気も気合も有り余っていることをアピールする。
虚勢というわけでもなく、本当にまだ余裕があるので、普段はただ周りに迷惑をかけるばかりな自分の魔力量を活かす時だと、リリィはいつも以上に張り切っていた。
しかし、カミラが心配するのも無理はない。
何せ、リリィが魔力を充填した魔水晶は、それ一つで一般的な成人男性半日分の魔力を溜め込むことが出来る代物なのだ。
いくら魔力量が多い人であっても、ここまで消費すれば流石に疲れも見えて来る頃。ましてや、たかが五歳の子供ともなれば、とっくに枯渇していなければおかしいくらいだ。
ここ半年、度重なる訓練のせいか益々魔力量が増えているのはカミラも気付いていたが、こうして実際にその規格外さを目の当たりにすると、その成長ぶりには舌を巻く思いだった。
その成長が、必ずしもリリィにとって良い事だとは限らないのだが……。
「カミラさん?」
「……いえ、魔力の充填はそろそろ十分ですから、やはりお嬢様は一度休憩なさってください」
「そんな、私、本当に体はまだ大丈夫ですよ?」
「これだけ魔力があれば、しばらく持ちますから」
必死に食い下がるリリィを、カミラはそう言って宥める。
何せ、大人三人分の魔力だ。丸一日は持たないとは思うが、だからといってそうすぐに使い果たす物でもない。魔力量で言えばカタリナとて十分に多いのだから、リリィだけが全てを負担する必要はないのだ。
「魔水晶は私が届けておきますので、お嬢様はどうぞお部屋へ」
「いえ、そういうことなら、私もみんなの看病をお手伝いします。人手は多い方がいいですから」
「ダメです。お嬢様は体が弱いのですから、もしベラ熱に罹れば他の誰よりも危険です。旦那様もそう言っておられましたでしょう?」
「うっ、それは……」
リリィとしても、カロッゾやカミラが自分のことを心配してくれているのは分かっている。
しかし、だからと言ってみんなが苦しんでいる中、一人だけ保身のために安全な部屋に閉じこもっているなど出来るはずもない。
見事にカロッゾが予想した通りの思考に至ったリリィは、どうすれば自分でもみんなの役に立てるかと考え……そして、思い付いた。
「分かりました、私、部屋で大人しくしています! カミラさん、魔水晶のことお任せしますね、それでは!」
「…………」
輝かしい笑顔を残して走り去っていくリリィを見送りながら、カミラは思う。
この子、絶対に大人しく休むつもりなんてないな、と。
カミラの予想を一ミリも外すことなく、部屋に戻ったリリィはこれまで作ったマスクを引っ張り出すと、それを見て一つ頷きながら考えを巡らせていた。
「これだけあれば、ひとまず看病する人達の分は足りますよね」
リリィがしようとしているのは、これから看病をする人達、そして今のところベラ熱に罹らずに済んでいる人達の予防対策だ。
ベラ熱のような感染力の強い病が発生した時、患者自身を治すことも大事だが、感染が拡大して治療が追いつかなくなることが一番恐ろしい。
体が弱く、患者の看病をする許可が下りないリリィにも出来ることがあるとすれば、そうした事態を防ぐ手立てを考えることだと思ったのだ。
「後、対策と言えばー……」
顎に指を置きながら、リリィは唸る。
病気の予防と言っても、元々特別専門的な知識を持たないリリィには、誰でも出来る基本的なことしか知らない。
すなわち、外出時にはマスクをして、出来れば人ごみを避け、帰ったら手洗いうがいをちゃんとして、栄養のある物を食べ、体を温かくしてしっかり寝る、である。
このうち、人ごみについては考える必要はない。ランターン商会の人々が訪れ、多少なりと人が増えた今であってさえ、前世の基準からすれば十分過ぎるほどに過疎状態だからだ。
マスクに関してもこの通り事前準備がある程度出来ているので、残る対策は手洗いうがい、食べ物、そして温かい寝床の三つである。
「寝床に関しては、正直どうしようもないですね……薪が足りていない家がないか確認するくらいでしょうか?」
流石にいないとは思うが、ベラ熱が流行っている今、下手に薪をケチって寒い夜を過ごせば、免疫力が落ちて瞬く間に感染してしまう恐れもある。
あまり過剰に忠告して火事になりました、では洒落にならないが、リリィと違ってこの村の人々は皆暖炉の扱いに慣れているので、それはさほど心配する必要もないだろう。
「その辺りのことは、クルトアイズさんにお願いしておきますか。じゃあ、みんなに手洗いうがいをして貰うために、準備しないと……」
この領地には、まだ上水道は整備されていない。
水を使いたければ井戸や川から汲んでくる必要があるのだが、川の水は綺麗に見えてもさほど清潔ではない上に、この季節は恐ろしく冷たい。
井戸の水ならば冬は温かいし、川に比べれば大分綺麗なのでその点ではちょうどいい。出来れば煮沸消毒もしたいところだが……そこは魔法でどうにかなるだろうか?
「とりあえず、早速汲んできますか」
部屋に滞在していた時間、およそ五分。
清々しいほどにカミラからの「休憩しろ」という指示を無視したリリィは、裏庭に設置された井戸へとやって来た。
「よいしょっと」
井戸から水を汲み上げるのは、本来は中々に重労働だ。
しかし、そこは貧乏田舎貴族とはいえ、領主の家。人手が足りないこともあり、その労力を節減するための魔道具が設置されている。
特に難しい物ではなく、滑車を使って桶を上げ下げする部分を人力ではなく魔力で動かすだけの物なので、これくらいならばリリィでも何とか動かすことが出来た。
こんな簡単な魔道具でも、うっかり魔力を注ぎ過ぎて壊さないよう、神経を使う必要はあるが。
「む、むむ……!」
そうして幼い子供の体で水を汲むことに成功したリリィだが、それで運ぶ労力まで節減されるかというと、そんなはずもない。なみなみと注がれたバケツを持って歩こうとするも、ふらふらと覚束ない足取りで、ロクに前に進まない。
それでもえっちらおっちらと、進む度に中身を零しながら歩いていくと、不意に足元に影が差した。
「……お嬢様、お部屋で休憩なさっているはずでは?」
「あ、あはは……」
リリィが顔を上げると、そこにはジト目で見つめるカミラの姿があった。
特に怒っているような素振りは見せず、いつも通りの綺麗な姿勢で立っているだけなのだが、その背後に般若の面が見え隠れしているのは決してリリィの錯覚というわけでもないだろう。
ぬっ……と伸ばされた手に、思わずびくりと体を縮こまらせるリリィだったが、そもそも使用人の身分で主人の娘を叩くはずもない。その手はリリィの持っていたバケツの取っ手を掴み、掠め取る。
「全く、服が濡れているではないですか。こんなところで体を冷やしてしまえば、本当にお嬢様までベラ熱に罹ってしまいますよ」
「うぅ、すみません」
バケツを置くと、カミラはハンカチを取り出してその場にしゃがみ、リリィの濡れたスカートの裾を拭き始める。
それが終わると、しゃがんだままリリィの目を真っ直ぐ見つめる。
「それでお嬢様、改めて聞きますが、何をしようとしていたのですか?」
「ええと、水を汲んで、みんなが手洗いうがいをちゃんと出来るように準備しようかと思いまして」
「手洗いうがいですか……どうしてまた、そんなことを?」
「もちろん、病気の予防です。綺麗にしていないと病気が移っちゃいますから、離れに出入りする際はみんなにして貰えるよう徹底します」
リリィの説明に、カミラは目を瞬かせる。
マスクもそうだが、この世界ではまだ衛生状態が病気と密接な関係にあることはあまり知られていない。細菌などという物の存在も確認されていないのだから、それも当然だ。
仕事で汚れた手を食事の前に洗うくらいのことはするが、それが病気の予防になると言われたところで、信じられるはずもないのだが……。
「……分かりました、お手伝いしましょう」
「えっ、いいんですか?」
予想外の答えに、今度はリリィの方が首を傾げる。
まさか、たかが五歳児の言い分を聞いて、それまで存在しなかった予防策を信じ、ましてや手伝って貰えるなど思いもしなかった。
しかし、カミラが手伝いを申し出た理由は、もっと単純なものだった。
「お嬢様のことですから、一度決めたら止めても聞かないでしょう? それでしたら、せめて私がお手伝いした方がいいです」
「あはは……すみません」
言われて思い返せば、三歳の頃に自分の手で父親にお茶を淹れてあげたいと言い始めたことに始まり、四歳の頃は書類仕事を手伝うためだと勉強をねだるなど、中々に厄介な子供だったように思う。
これは本当に、近々何かお礼をした方がいいだろうかと真剣に検討するリリィだったが、それはベラ熱の件が片付いてからだと、一旦頭の隅に片付ける。
「しかし、手洗いうがいの徹底など、どうなさるおつもりですか? 私もそうですが、それだけで病気の予防になるとはとても思えないので、ちゃんとやって貰えるかどうか……」
「大丈夫です、それについては、私に考えがあります!」
自信満々に宣言するリリィに、なぜか一抹の不安を覚えたカミラは、せめて無茶なことだけは止めようと、硬く心に誓うのだった。




