第三十二話 薬屋ルルーナ
子供達だけで大いに盛り上がった巡回診療の話だが、何はともあれ大人達の許可が出なければどうしようもないということで、一旦その話は翌日に持ち越しとなった。
その日の夜、リリィが両親にその話を相談した時は流石に驚かれたが、ルルーシュが作った魔法薬をカタリナが確認し、技量は十分だろうと判断されたことで、リリィの勉強も兼ねて特別に許可が降りた。
「そういうわけで、"薬屋ルルーナ"は問題なく開店可能です、やりました!」
「……許可が降りたのはいいんだけどさ、なにその名前」
「え? 私とルルーシュ君の薬屋さんですから、二人の名前を取ってルルーナです。どうですか?」
「すっごい単純……」
「むぅ、こういうのはシンプルな方がいいんです!」
翌朝、昨日と同じようにアースランド家を訪れたルルーシュにそう報告すると、相変わらず飾る気も容赦もない意見が飛んでくる。
それに対してぶんすかと頬を膨らませながらも、リリィは今日必要となる薬の材料を用意するため、ルルーシュを連れて倉庫の方へと向かった。
「というか、リリアナの兄貴は? 今日はいないの?」
「先に倉庫の方に行って、持ち出していい材料の確認をして貰っています。ほら、あそこ」
リリィが指差した先では、ユリウスがカミラと共に倉庫から薬草の束を取り出しているところだった。
ほとんど使われた試しのないお茶会用のテーブルの上に種類ごとに並べている二人を見て、リリィは手を振って声をかける。
「お兄様、カミラさん! ルルーシュ君が来ましたよー」
「お、来たのか」
「ルルーシュ様、いらっしゃいませ」
「どうも……」
綺麗な所作で出迎えるカミラに対し、ルルーシュは妙に歯切れの悪い挨拶を返す。
貴族相手では強気なルルーシュだが、どうやらこうして敬われることには慣れていないらしい。
意外な一面に思わず吹き出してしまい、ルルーシュからじとりとした視線を向けられると、リリィはそっと目を逸らしながら笑って誤魔化す。
「……随分と仲良くなられたようですね」
「それはもちろん、もうばっちり友達です!」
「えっ」
複雑な表情で呟くカミラに、リリィはにこやかに告げる。
ルルーシュから何やら驚いたような声が聞こえた気もするが、敢えてスルーしてテーブルの方へと向かった。
「ふむふむ……」
ずらりと並べられた材料にざっと目を通し、綺麗そうなものを手に取ってまた眺める。
何度も頷きながら、手に取っては戻してを繰り返していると、ルルーシュから改めて声がかかった。
「何してるの?」
「いえ、薬草と言っても、どれがどれだかさっぱり分からないなと思いまして」
ぶっちゃけるリリィに、ルルーシュはガクッとずっこける。
実際、薬草と一口に言っても様々な種類があるのだが、必要な部分のみを切り取って保管してあるそれを見分けるのは素人には難しい。
リリィとて多少は勉強しているのだが、薬草学に関してはまだつい最近始めたばかり。詳しい特徴以前に、どんな種類があるのかを覚えている段階なので、下処理の済んだ薬味を並べられてもどうしようもなかった。
「それでよく巡回診療なんてしようと思ったね……」
「あはは、その辺りはルルーシュ君が分かるかなぁと」
リリィとしては、この機会に薬について覚えられるだけ覚えようと企んでいるため、むしろ既に知っていることばかりでは困る。
そんな、隠すつもりもない丸投げの姿勢に、ルルーシュは盛大に溜息を溢す。
「まあいいや、それじゃあ、準備が終わったら持てるだけ持って行こうか」
「そうですね。それでは早速……」
指を輪の形にして軽く咥え、ピイィ! と音を鳴らす。
リリィの行動に首を傾げるルルーシュだったが、その直後、どこからともなく凄まじい速度で駆け寄って来た黒い影を見て度肝を抜かれた。
「うわわ!? ま、魔物!?」
「うちで飼っている、ペットのオウガです。まだ子供ですけど、とっても力持ちですから、今日は散歩も兼ねて荷物持ちをして貰います」
勢い良く顔を擦り付けるオウガを抑えながら、リリィはルルーシュにそう言って軽く紹介する。
この半年で随分と大きく育ち、もはや小柄なリリィなら背中に乗せて走れるのではないかという程に成長しているのだが、これでもまだ子供だというのだから驚きだ。ルルーシュが腰を抜かしてしまっても、情けないとは誰も思わないだろう。
そんなオウガをリリィは嬉しそうに撫で回しているが、体格差のせいで、じゃれあっているというよりは猛獣に襲われている幼女の図にしか見えなかった。
端から見れば、何かの拍子で今にも押し潰されそうなのだが、リリィにそれを恐れるような素振りは微塵も見受けられず、ユリウスもさほど気にした様子はない。
そんな光景を、やや引き攣った表情で眺めながら、ルルーシュは小さく呟いた。
「やっぱり、この家っておかしくない?」
「そのうち慣れますので、ご心配なく」
実感の籠ったカミラの一言を聞いて、ルルーシュの表情は益々固く引き攣るのだった。
リリィ、ユリウス、ルルーシュの三人は、薬を詰め込まれた鞄を提げたオウガを引き連れ、アースランドの村へと乗り出した。
唯一、カミラだけはまだ仕事があるからと領主館に残ったが、代わりに昼食用のパンを持たせて貰い、それは現在ユリウスが手に持っている。
「それでリリィ、どこから向かうんだ?」
「取り敢えず、トーマスお爺ちゃんのところでしょうか。ちょうど風邪で休んでますし」
ユリウスの問い掛けに、リリィはさほど間を置かずに答える。
トーマスはアースランド家の庭の手入れを行っている、庭師の老人だ。元は剣を手に戦う従騎士だったらしいのだが、先代アースランド卿、すなわちリリィやユリウスの祖父であるオルトスの死を切っ掛けに剣を置き、庭師として再雇用された経歴を持つ。
亡き主君の孫であるリリィやユリウスのことをそれはもう可愛がっており、事あるごとにオルトスや自身の武勇伝を聞かせてくれるのだが、ちょうどルルーシュ達がやって来る少し前から体調を崩し、庭師の仕事を休んでいる。
放っておけばすぐに治るとは豪語していたが、やはり心配なことに変わりはないので、一度様子を見に行きたかったのだ。
「そういえば、この季節だから体調崩す人が多いって言ってたけど、今はどれくらい風邪が流行ってるの?」
「うーん、全部把握出来ているわけじゃないですけど……聞いた範囲では、トーマスお爺ちゃんと、ココットおばさんと……」
「トールの兄貴も一人寝込んでるって聞いたな。あとペテロのおっさんだっけ?」
「ペテロさんは風邪じゃなくて、森で転んで足を怪我したんですよ。蛇程度で驚くなんて情けないって、クルトアイズさんが笑ってました」
「いや待って、蛇は驚くでしょ普通」
都会育ちと田舎育ちの微妙な認識のズレを経験しつつ、三人は予定通り、近場に住むトーマスの家を訪れる。
「ごめんくださーい」
「はーい」
代表してリリィが戸を叩けば、中からは優しそうなお婆さんが顔を出す。
リリィも何度か顔を合わせたことがある、トーマスの妻、ミミラだ。
「おや、リリ様、ユリウス様も、いかがなさいましたか?」
「トーマスお爺ちゃんのお見舞いと、診察に来ました!」
「診察?」
首を傾げるミミラに、リリィはルルーシュの紹介を行い、彼の薬の知識を借り、期間限定の巡回診療を始めたことを説明する。
「そういうわけなので、上がってもいいですか?」
「はい、わざわざ主人のためにありがとうございます。あの人も喜びますよ」
ミミラから許可を得た三人は、オウガを庭先に残して家の中へと上がっていく。
奥の部屋へと辿り着くと、そこには布団で横になったトーマスの姿があった。
「トーマスお爺ちゃん、調子はどうですか?」
「おや、リリ様、ユリウス様も……! これはお見苦しいところをお見せしましたな」
リリィ達が入って来たのを見るなり、トーマスは布団から起き上がる。
慌てて押し留めようとするリリィだったが、本人は問題ないと手を振って、にこやかに笑ってみせた。
「なに、家内が少々大袈裟にしているだけで、本当は今日も屋敷の方へ向かうつもりだったのです。この通り、それなりに回復しましたからな」
「へえ、それなら明日には来れそう?」
「はい、ご心配には及びません。あまりじっとしていては、それこそ体に悪いですからな」
「それなら良かったです。でも、それじゃあ診察になりませんし、ルルーシュ君、お願いします!」
「分かってるよ」
リリィに促され、ルルーシュがトーマスの診察を行う。
簡単な問診から始まり、《灯火》の魔法を使った喉の状態確認、《情報解析》という感覚強化の魔法を用いた熱の測定などを済ませ、念のため風邪を引く前の様子などをミミラやリリィ、ユリウスにも尋ね、薬を用意する。
「確かに大した風邪じゃなさそうだけど……喉は赤いし熱も少しある。ここで無理すると風邪がぶり返したり、歳を考えれば他の感染症を併発するかもしれないから、ちゃんと治るまでは大人しくしてるんだね。はい、これ薬」
「なんの、儂もまだまだ若いもんには負けんぞ? じゃが、ありがとう、礼を言うぞ」
薬を受け取りながら、トーマスはルルーシュに好々爺らしい柔らかな表情でお礼の言葉を口にする。
それに対して、ルルーシュは「別に、大したことはしてない」と相変わらずな態度で答えながらも、その顔を見れば明らかに口元が緩んでいる。
素直じゃないなと、ひねくれものの弟を持ったような気分で見つめていると、リリィはふとあることを思い出す。
「そうだ、忘れるところでした。トーマスお爺ちゃん、はいこれ!」
「ん? なんじゃこれは?」
リリィがポケットからある物を取り出し、トーマスに渡す。
折り畳まれた白いガーゼの両端を縫い合わせ、紐を取り付けたそれは、リリィの前世ではおなじみだった風邪対策の必需品。
そう、マスクである。
「これで口と鼻を覆っておけば、ミミラお婆ちゃんに風邪を移さなくて済むようになりますし、喉の痛みも多少は和らぐと思いますよ」
この寒い冬の時期、村で風邪が流行り始めていると聞いて、リリィもただ黙って見ていたわけではない。何か自分にも出来ることがないかと考え、この世界ではまだマスクというものが一般的ではないことに気が付いた。
マスクは単に細菌の侵入や飛散を防ぐだけでなく、口内の乾燥を防ぎ間接的に喉を保護するなど、風邪の対策としてはとても有用なアイテムだ。作るのも簡単なので、これならば自力でも用意出来る。
ゴム製品がまだ存在しないため、紐の部分だけ少々工夫が必要だったが……その辺りは経験の差というべきか、カミラに相談したことである程度解決し、こうして満を持して持ってきたわけだ。
「リリィ、この間からそれ言ってたけど、本当にそんな仮面モドキをするだけで風邪になりにくくなるのか?」
「なりますよ! 風邪になった人がするもよし、まだなってない人がするもよしな最強のアイテムです!」
少々……いや、かなり大袈裟だが、リリィは首を傾げるユリウスに、精一杯マスクの良さをアピールする。
前世では特にマスク信者というわけでもなかったのだが、今世において初めて、前世の知識を活かし皆の役に立てるチャンスなのだ。必死になるのも無理はなかった。
「僕も初めて見たんだけど……本当に風邪の予防になるなら、なんでリリアナはしてないの?」
「それが……大人サイズで量産しちゃったので、子供用のがまだないんです……」
「ああ、なるほど……」
トーマスに渡されたマスクは、確かにリリィが顔に着けるとなると、口や鼻だけでは済まなそうに見える。
納得して一つ頷いたルルーシュを見て、いけると確信を持ったリリィは、更にぐいぐいとマスクを勧め始めた。
「というわけで、せめて風邪を引いているトーマスお爺ちゃんだけでもしてください!」
「ははは、分かった分かった。リリ様が儂らのために考えてくださった物じゃからな、使わせて貰うとしよう」
「ありがとうございます!」
なぜかリリィの方がお礼を言いながら、トーマスの後ろに回って着けるのを手伝い始める。
マスクを固定するために、耳の後ろで紐を縛って固定してやらなければならないため、一人では若干着けづらいのだ。
「こんな感じです。どうですか?」
「ふむ、思ったよりちゃんと息も出来るし、そう悪くないの」
少しばかりくぐもった声で、トーマスが答える。
左右両端ではなく、上下の端を通すようにして一本の紐が輪を作る構造になっているので、一度耳の後ろで縛った後でも自分で位置を調整できるのがこのマスクの利点だが、やはりどうしても作りが粗く、口や鼻の周りに少しばかり空間が出来ていた。
この辺りは要調整かと、リリィは心のメモに書き留める。
「さて、それじゃあ私達は巡回の続きがあるので、そろそろ行きますね。まだ風邪が治ったわけじゃないんですから、トーマスお爺ちゃんも今日は大人しくしてないとダメですよ?」
マスクを渡して満足したのか、そう言って立ち上がるリリィに対し、トーマスは深々と頭を下げた。
「ああ、分かっておりますとも。リリ様、ユリウス様、それにお嬢ちゃんも、今日はありがとう」
「大したことしてるわけじゃないから、気にしないで。ただ、これだけは言っておく。僕は嬢ちゃんじゃない、男だ!!」
「ほ、そうなのかの? いや、可愛らしい顔しとるもんじゃから、てっきり女子かと……」
「可愛い言うな!!」
「まあまあ、トーマスお爺ちゃんも悪気はないですから、ルルーシュ君も抑えてください」
「ぐぐぐ……!」
「早く元気になれよ、トーマス爺。ミミラ婆も体には気を付けてな」
「はい、皆さんもお気をつけて。これ、少ないですが、三人でどうぞ」
「わあ、ありがとうございます!」
実はトーマスがルルーシュの性別を勘違いしていたと判明し、騒ぐルルーシュをリリィがまあまあと宥めていると、最後にミミラから蜂蜜の入った瓶を手渡される。
こうして三人は、初めての巡回診療を上々の結果で終わらせながら、外で待ちくたびれた様子のオウガを連れて家を後にするのだった。
マスクに予防効果はないとかなんとか、色々と所説ありますが、ここではひとまず気休めです。
実際、手作りマスクの効果って、唾が飛ばないようにするくらいしかない気もしますし(;^ω^)




