第三十一話 ルルーシュの夢
「ルルーシュ君、来てくれてありがとうございます!」
「まあ、約束したしね」
ランターン商会の二人が来訪した翌日。朝早くから、ルルーシュが約束通り再びアースランド家を訪れた。
昨日と違い、あくまで挨拶ではなく遊びに来たという理由からか、幾分か楽な服装に肩から手製の鞄を提げてやって来た彼を、同じくいつも着ている普段着で出迎えたリリィは、まず隣に立つ兄を紹介する。
「昨日も顔を合わせてますけど、一応改めて紹介しておきますね。私のお兄様の、ユリウス・アースランドです。出来れば二人にも仲良くして貰えると……」
「…………」
「…………」
「……嬉しい、です」
両者、無言。
じっと睨み合い、火花を散らす二人の少年を前に、リリィは乾いた笑いを浮かべる。
どうしたものかと悩んでいると、不意にユリウスが一歩前に出て、ルルーシュにビシッと指を突きつけた。
「リリィはもう気にしてないみたいだけど、俺はお前のことはまだ認めてないからな! お前みたいなやつに、リリィは渡さない!」
「ちょっ、お兄様!?」
いきなり喧嘩腰のユリウスに、リリィは大いに慌てる。
貴族嫌いのルルーシュ相手にそれでは、余計に波風が立つばかりだと思ったのだが……。
「…………」
ルルーシュは無言のまま……しかしそれまでとは違い、怒っているというよりは単に驚いているかのように口を開けたまま固まっていた。
予想外の反応を見せるルルーシュに、リリィが目の前で手を振ると、ようやく再起動を果たしたように目を瞬かせた。
「あの、ルルーシュ君、大丈夫ですか? すみません、お兄様はちょっと心配性というか、過保護というか……」
「ああうん、平気、ちょっと予想外だっただけだから」
この兄あってこの妹あり……いや、もしかしたら親もそうなのか? などと何やらブツブツと呟く姿に、ユリウスまでもが敵対心よりも困惑を表に出し、少し心配そうに様子を見ている。
そんな視線に気が付いたルルーシュは、こほんと一つ咳払いをして誤魔化すと、何事もなかったかのように口を開いた。
「それより、今日も魔法の練習するんでしょ? 早くやろう」
「あ、はい。それでは、今日はこっちに」
気を取り直したリリィは、改めてルルーシュを中へ案内する。
その途中、リリィが自室を使うことを禁止されてしまった経緯を説明し謝ると、「それが普通だよ」とルルーシュに呆れ顔で返され、ユリウスまでもがそれに同意するように頷いた。
実は案外この二人は気が合うのでは、などと考えつつ、辿り着いたのはアースランド家の客間だ。
中に設置された暖炉には既に火が灯され、冬の寒さに冷えた体にはちょうどよい暖かな空気が室内を満たしている。
中央に置かれたテーブルとソファには、この領地の特産品である魔木が使われており、魔力を帯びて黒光りする木目は不思議と心を落ち着かせる美しさがあった。
はっきり言って、執務室でカロッゾが使っている机や椅子より、よほど高価で貴族らしい調度品が揃えられている。
もちろん、ルルーシュが昨日見たリリィの部屋よりも断然上だ。
「……リリアナ、実は冷遇されてたりする?」
「そんなわけないじゃないですか。お客様を招くための部屋ですから、ここだけは貴族らしく綺麗にしろってお父様がいつも言ってるんです」
「いいのか、それで」
内実がどうであれ、人前では見栄を張るのが貴族の義務と言っても過言ではない。
しかしそれにしても、家の中で最も豪奢な部屋を、家人の誰も使用しないというのは中々に悲しいものがある。
「というか、それならそれで何で昨日はわざわざ自分の部屋に招いたのさ」
「客間はお父様とマカロフさんが使うかと思いまして……」
「ああ、なるほど」
客人を招くための部屋ということは、そのまま交渉をするための部屋でもある。
今日のところはリリィやルルーシュのため、船着き場の方で積み荷の検分などをしつつ交渉しているようだが、昨日は突然のことだったためにひとまず自室に、というのも分からないではない。
貴族の子女としては、やはりあり得ないが。
「まあ、それはいいか。とりあえず、始めよう」
「はい!」
深く考えても仕方ないと、さっさと思考を放棄したルルーシュは、そう言って訓練の開始を宣言し、それを聞いたリリィが魔道具を使って昨日と同じ《灯火》の魔法を発動していく。
「えーっと、魔力を抑えるよりも、制御することに集中して……」
昨日覚えたことを一つずつ思い出すかのように呟きながら、リリィはふよふよと頼りなく揺れる光を必死に操る一方で、体から溢れる魔力に対しては意図的に無視するよう心掛ける。
たった一日で目に見えて上達するということはもちろんないのだが、昨日に比べれば上手く出来ている……ような気がした。
「……まあ、昨日よりはマシかな? 後はこれを繰り返して、意識しないでも出来るようになったら、一度に出す魔力を調整出来るように練習すればいいと思うよ」
「はい! 分かりました!」
素直に頷きながら、リリィは言われた通りに繰り返し魔法を発動し、時折ルルーシュのアドバイスを聞いてはおかしな唸り声とともに実践しようと試みる。
そうして練習に取り組む二人の様子を、ユリウスが黙ったままじっと眺めていた。
いっそ一緒に魔法の練習をしないかとリリィが誘うのだが、やはりルルーシュに対する警戒心が拭えないのか、それは断られてしまった。
「ひとまずこれくらいかな、一旦休憩しよう」
「はい、分かりました」
練習を重ねることしばし、ルルーシュから休憩の指示が出る。
カタリナにも無理をするなと言われていた手前、素直にそれに頷いたリリィは、「はふぅ」と息を吐きながら額を拭う。
「どうですか? 私、上達してますか?」
「……まあ、多少は良くなったんじゃない? 昨日の今日じゃそこまで変わらないけど」
「ふふふ、それでも一歩前進したのは確かですね。ありがとうございます、ルルーシュ君」
リリィのお礼の言葉を受けて、ルルーシュは照れ臭そうに頭を掻く。
「それより、昨日はリリアナがお茶淹れてくれたし、今日は僕が淹れるよ」
「あ、それくらいなら私が……」
「いいから、僕に任せて」
そう言って、ルルーシュは暖炉の上で温められていたやかんを手に取った。
客間というだけあり、既にお茶を淹れるのに必要な道具や茶葉などは一式用意されていたため、ルルーシュは手慣れた様子で準備していく。
「ん? なんだそれ?」
その途中、ルルーシュが持ち込んだ鞄から、茶葉とは別の植物を取り出し、擂り鉢や擂り棒まで使って何やら作業を始めるのを見て、ユリウスが問い掛ける。
お茶を淹れるには明らかに不要と思える作業を続けながら、ルルーシュは顔を向けないまま答えた。
「この辺は森が近いから、昨日の内にいくつかハーブを摘んで下処理しといたんだ。お茶に混ぜれば魔力の鎮静に役立つし、リリアナの練習中に飲むならその方がいいかと思って」
ゴリゴリと擂り潰す音を立てながら、何の気なしに呟くルルーシュに、リリィはぎょっと目を剥いて驚いた。
「ルルーシュ君、もしかして森に入ったんですか!?」
「入ってはないよ、手前まで行っただけ。流石に、それくらいは弁えてる」
「なら、いいですけど……森は危ないですから、気を付けてくださいね? あと、それから……私のために、わざわざありがとうございます」
「気にしなくていいよ、好きでやったことだから」
「そんなに好きなんですか? お茶」
相変わらず、つっけんどんな態度でそう答えるルルーシュだったが、その顔はどこか楽しげで、「好きでやったこと」というのが照れ隠しの嘘ではなく、本心からの言葉なのだとすぐに分かる。
だからこそ尋ねたのだが、ルルーシュは小さく首を横に振った。
「お茶というよりは、薬かな」
「薬?」
混ぜ合わされたハーブと茶葉をポットに入れ、お湯を注ぐ。
それが終わると、ルルーシュはそれをテーブルの上に置き、静かに詠唱を唱え始める。
『大地の精よ、光の精よ、水の精よ。その寵愛を授かりし青き生命よ。その尊き加護の力を今ここに』
リン、と鈴の鳴るような綺麗な音色がリリィの耳に響く。
ルルーシュの薄く引き伸ばされた魔力が、ポットの中へと注ぎ込まれ、ゆっくりと浸透していく。
『其は不動にして安寧、其は希望にして祝福、其は移ろい恵みを与える者なり』
まるで朗々と唄うように紡がれていく詠唱を彩るように、ルルーシュの魔力が音楽を奏でる。
リリィにしか聞こえないその音は、まるで一つの名曲であるかのように一体となって心を揺さぶり、加護となって降り注ぐ。
『青の精霊ユリフィスの名の下に、癒しの力ここに結実せり』
どれだけ時間が経っただろうか。
やがて詠唱が終わりを迎えるのに合わせて、涼やかに響いていた魔力の音も消え、部屋の中に元の静けさが戻る。
額に浮かぶ汗を拭い、顔を上げるルルーシュを見て、リリィはパチパチと手を打ち鳴らす。
「凄いです……あんな綺麗な魔力、初めて聞きました! ルルーシュ君、こんな魔法も使えたんですね!」
「まあ、うん……母さんが薬師をやってるから、それで教えて貰ったんだ」
「薬師ですか?」
リリィの問いかけに、ルルーシュはこくりと頷きを返す。
薬師とは、この国においては単に薬を作る職業の人間を指すのではなく、魔法を用いて作られるより効能の高い薬……魔法薬を作る人間を指して使われることが多い。
戦闘や日常生活の中で使われる魔法よりも高度な技術が必要なために魔導士よりも数が少なく、アースランド領では唯一カタリナがいくつか魔法薬を作れるのみで、薬師を専門にしている者は一人もいない。
そんな魔法薬を僅か五歳で作り上げるなど、実際に目の前で見なければとても信じられなかっただろう。
「まだ練習中だから、大した薬は作れないけどね。それでも、普通に飲むよりは心と魔力を落ち着かせるのに効果があるはずだから、そこは保証するよ」
「分かりました、では早速」
魔法薬となったお茶をルルーシュに注いで貰い、一口飲む。
薬というだけに、味の方はあまり期待していなかったのだが、元のお茶より多少渋味が増しただけで、これはこれで悪くない。
温かな熱が喉の奥から体全体へじんわりと広がり、リリィはほうっと一息吐く。
「どうかな……?」
「なんだか、心がスッとした感じがします。今ならどんな魔法でも使えそうです!」
「うん、それはないと思うけど、効果があったみたいでよかった」
ぐっと拳を握って自信を漲らせるリリィの言葉をバッサリと切り捨てるルルーシュだったが、その表情は晴れやかで、とても嬉しそうだ。
元々少女のようだったその顔を喜色に染める姿はなんとも愛らしく、そのまま抱き締めてやりたい衝動に駆られるが、カロッゾから釘を刺されていたことを思い出したリリィはぐっと我慢して、代わりに別のことを尋ねる。
「ところで、練習中って言ってましたけど、上達したらルルーシュ君も薬師になるんですか?」
リリィとしては、特に深い意味があって聞いたわけではなく、単に将来の夢について尋ねただけだった。
しかし、それを聞いたルルーシュは喜びから一転して暗い表情を浮かべ、顔を俯かせる。
「……なれないよ。僕は商人になれって、父さんにずっとそう言われてるから」
基本的に、家は男が継ぐのが当たり前の時代。ルルーシュの兄弟は姉が一人いるだけで、今のところ男子は彼だけだ。
よほどの事情がない限り、ランターン商会はルルーシュが継ぐことになるはずで、だからこそ、アースランド家からすれば今回の婚約話には大きな意味がある。
不本意でも、受け入れるしかない現実に苦しむルルーシュを見て、失敗だったかとリリィは後悔するが、一度口から出た言葉は戻って来ない。
余計な苦しみを思い起こさせてしまったことを、謝るべきかとも思ったが……。
(でも、そんなの寂しいです)
将来は商人になるしかないことは、他ならぬルルーシュが一番分かっていたはずだ。
それなのに、彼は薬作りの練習を重ね、こうしてその成果を他人のために披露している。
それだけ、ルルーシュにとっては諦めきれない夢であるはずなのだ。
薬を作っている時、そして、効果があってよかったと喜んでいた時の彼の表情を思い出し、リリィは意を決して顔を上げる。
「ルルーシュ君、今作れる薬って、これだけですか?」
「え? いや、頭痛薬、痛み止め、傷薬に解熱薬くらいなら作れるけど……」
「それなら、十分ですね」
何が十分なのか、言葉の意図が分からず訝しげな表情を浮かべるルルーシュに、リリィは悪戯っ子のような笑顔で口を開く。
「ルルーシュ君、ここにいる間だけでも、薬師になってみませんか?」
「え? どういうこと?」
「アースランド領にいる間、薬師として村のみんなを診察して回るんです。この季節ですから、風邪気味な人や、木こりの仕事でちょっとした怪我をした人は多いんですけど、多少のことならみんなそのままにしちゃうことが多いんですよ。でも、そういうのはあまり良くないですから、私達で治療してあげられたらなって思いまして」
アースランド領で薬が作れるのはカタリナだけだが、彼女は動物や魔物を遠ざけるための魔道具の研究や、カロッゾの政務の補佐など、他にやることも多い。
彼女自身がそれを言い訳に村人達の診察をしないなどということはあり得ないのだが、その忙しさ故に村人達の方が遠慮してしまう場合があった。
だからこそ、いずれはリリィも魔法薬作りを覚えたいとは思っているが、それには現状、魔力制御の技量がまるで足りていない。
その点、ルルーシュならば既に完璧だ。
「せっかくそんなに才能があるのに、簡単に諦めるなんて勿体ないです! ここで少しでも実績を積めば、もしかしたらルルーシュ君のお父さんも薬師になるのを認めてくれるかもしれませんし、私と一緒にやってみませんか? もちろん、ルルーシュ君さえ良ければですけど……」
そう言いながらちらりとユリウスの方を見れば、やや困り顔ながら小さく頷きが返ってくる。
ユリウスとしても、今目の前で披露されたルルーシュの腕前を認めないわけにいかないし、寒い時期で体調を崩す人が多いのも確かのため、ダメだとは言いづらい。最終的な許可はカロッゾから貰う必要があるだろうが、父の性格からして、そう悪いようにはならないはずだ。
だからこそ、後はルルーシュの意思次第だが……。
「……分かった。やるよ」
しばらく悩んだ末、そう言ってくれたルルーシュに、リリィはぱあっと花咲くような笑顔を見せる。
「えへへ、よろしくお願いします、ルルーシュ君!」
「こちらこそ、よろしく」
リリィが伸ばした手を、ルルーシュが躊躇いがちに握り、握手を交わす。
その表情は、決して明るいとは言えなかったが……隠しきれない期待で、瞳の奥に小さな光が灯っていた。




