第二十六話 真冬の鍛錬
吐いた息が白く染まり、冷えきった体が少しでも熱を蓄えようと震え出す。
そんな儚い努力もまた、吹き付ける風が容赦なく無に帰し、刺し貫くような痛みとともに体温を奪っていく。
タイラントベアの襲撃から早半年が過ぎたアースランド領には、冬の季節が訪れていた。
現代日本のような便利な家電が存在しないこの地では、冬の寒さはダイレクトに人々を襲うため、とても辛い季節となる。降水量の関係で、積もるほどの雪に見舞われることは滅多にないが、だからと言って過ごしやすいということは全くない。
しかし、それを理由に家に閉じ籠るのかと言えば、そんなことはなかった。むしろ、林業を主産業とするこの地において、多くの動物達と共に危険な魔物が活動を止め穴蔵に籠るこの季節は、まさにかき入れ時だ。
夏の間は猟師に転向していた者も加わり、冬の寒気にも負けない男達の活気が村を満たし、次々に伐採された魔木が村に運び込まれてくる。
「それではカミラさん、よろしくお願いします!」
「はい、お嬢様、いつでもどうぞ」
そんな男達の熱気に当てられたかのように、リリィもまた冬の寒さに負けることなく、朝早くから領主館の裏庭で魔力制御の訓練を行っていた。
動物の毛皮から作られた、モコモコとしたコートに身を包んだリリィは、石灰のようなもので地面に描かれた直径一メートルほどの魔法陣の中央に、水を汲んだコップを置く。
その後、魔法陣へと魔力をゆっくりと注ぎ込んでいく。
「む……むむむ……!」
掌をコップに向け、額から汗を滴らせながら、慎重に魔力を制御する。漏れ出た余分な魔力が空気と反応して火花を散らし、その度に魔法陣が明滅を繰り返す。
魔力を強め、弱め、ゆっくりと注ぎ込んでは慌てて止め、まるでチキンレースか何かのように繊細な作業を続けていき……。
「……とりゃーー!!」
やがて、焦れったくなって体に余計な力が入ってしまうのと同時に、全身から魔力が溢れだす。
魔法陣の許容限界を軽く越える膨大な魔力は、あっさりとその構成を粉々に粉砕して炎と成り、上に乗っていたコップを蒸発させながら周囲を薙ぎ払わんと暴れまわる。
『防壁』
そこへ、すかさずカミラがあらかじめ準備していた魔法を発動させた。
爆炎を包み込むように結界が張られ、阻まれた炎は流れるように上空へと解き放たれる。
まるで火山が噴火したかのような轟音が村中に轟き、寝坊助な村人は容赦なく夢の世界から強制的に叩き起こされ、何が起きたかを確認すると、相変わらず領主様達は精が出るなぁなどと呟きながら、呑気に二度寝をしに戻っていった。
下手をすれば屋敷ごと吹き飛んでいたかもしれない規模の魔法を生み出した当人であるリリィは、そんな不甲斐ない結果を前にガックリと膝を突く。
「うぅ、また失敗しました……これで八十三回目です……」
「数えていたのですか……まあ、あれです、次はきっと上手くいきます、八十四回目の正直ですよ、お嬢様」
「そんなことわざありませんからね!?」
適当な励ましの言葉をかけるカミラに、リリィは抗議の声を上げる。
リリィが立派な男になると宣言してからこの半年間、出来る限りのペースで魔法の訓練を行ってきたのだが、訓練内容が多少変わったことを除けばこれといって変化もなく、上達している手応えは中々感じられないでいた。
「うぅ……ただお湯を沸かすだけの《灼熱》はこの有様ですし、《閃光》も相変わらず爆発しますし……魔道具から魔法陣に変わるだけで、魔法ってこんなにも難しくなるものなんですね」
訓練を始めてすぐの頃に使っていた、《灯火》という魔法を発動するための魔道具。
かなり簡単な魔法ではあったが、あの時は暴発の予兆もなかったことを思うと、ただの魔法陣とそれほど性能に違いが出るものなのか……とリリィは思ったが、カミラの表情を伺うに、どうもそうではないらしい。
「普通であれば、さほど違いはないのですが……以前使っていた魔道具の場合は、魔水晶からの魔力供給を受けて魔法を発動する形でしたので、ご自身の魔力を供給しなければならない魔法陣の場合、加減の出来ないお嬢様には難易度が高く感じられるのでしょう」
「つまり、これは魔力を加減するための訓練ってことですか」
「はい、カタリナ様がまずはそちらの訓練を優先すべきだと」
首肯するカミラを見て、リリィはがっくりと肩を落とす。
つまり、リリィの訓練は前に進んだというよりは、ある意味では一歩後退したと言える。
「中々上手く行かないですね……私も、お兄様みたいに上達出来ればいいんですけど」
そう言って、リリィはぼんやりと庭の一角へ視線を向けた。
「どうしたユリウス、もう終わりか?」
「まだ……まだ!」
リリィの視線の先では、先ほど起きた大爆発など気にも留めず、カロッゾとユリウスの二人が激しく木剣を打ち合い、訓練を行っている。
以前からカロッゾの時間が空いていれば行われていたことではあるが、タイラントベアの一件以降、ユリウスはカロッゾがおらずとも自主的に鍛練を重ね、今ではそれなりに“試合”として見れるものになりつつあった。
もちろん、そのまま打ち合ったところでユリウスの勝ち目は薄いのだが、格段に上達した魔法の腕が、その実力差を埋めている。
「でやあぁぁぁ!!」
ユリウスの右手首に巻かれた白い布、そこに編み込まれた魔法陣が輝き、その体を黄色の光が包み込む。
《強化》の魔法により、子供らしからぬ高い身体能力を得たユリウスは、その全力でもってカロッゾへと迫り……。
「甘い」
「っ!?」
あっさりと受け流され、地面を転がった。
すぐに起き上がり、木剣を構え直すユリウスに、カロッゾはアドバイスを飛ばす。
「力で押すだけなら魔物と同じだ、力の使い方を工夫しろ」
「分かってる!」
短く答えながら、ユリウスは再度突撃する。
全く変わらないその攻め口に、カロッゾはやれやれと苦笑しながら、同じように受け流そうとして……ユリウスの攻撃は、カロッゾの木剣に触れる直前に消滅した。
「貰った!!」
一瞬遅れて、実体を伴うユリウスの突きがカロッゾを襲う。
木剣の柄に仕込まれた《幻影》の魔法陣により、防御のタイミングをずらされたカロッゾは、たまらず後ろへ跳ぶことで、その突きを回避した。
「な!?」
「今のは悪くなかったぞ。もう一度だ」
「くっそぉ、今度こそ!」
魔法を使い、必死に立ち向かうユリウスに対し、カロッゾは魔法を使っていない。
その意味では、カロッゾは全く本気を出していないのだが、それでもタイラントベア相手でさえその場から一歩も動くことなく仕留めてみせた彼を後退させたというのは大きいだろう。
剣を握ることも、魔法を使うことも出来ない自分とは大違いだと、思わず溜息が溢れる。
そんなリリィを、カミラが苦笑しながら慰めた。
「お坊ちゃまのあれは、三年間鍛練した結果ですから、そんなに気を落とさないでください。お嬢様はこれからですよ」
「……そうですね、半年でダメなら、三年でも十年でも頑張って、絶対に追い付いてみせます!」
ふんすっ! と気合を入れるリリィを見て、カミラはほっと息を吐く。
時折頑張りすぎてしまうところは相変わらずだが、少なくとも誕生祭以降、何か吹っ切れたように活動的になり、一人で抱え込むことが少なくなったのは確かだ。
今はその変化を喜ぼうと、そう考えるカミラに、「ところで」とリリィが尋ねる。
「いくら筋トレしても、魔法以上に成長の兆しが見えないんですが……どうしたらいいですか?」
「…………」
リリィの問いかけに、カミラは沈黙を返す。
一人で抱え込まずに相談してくれるようになったのはいいのだが、リリィのこの悩みだけは、とても手に余る。というより、もはやリリィが望むほどの筋肉を付けるのは不可能ではないかとすらカミラは思っている。
何せ、リリィはこの半年間筋トレに勤しんだものの……腕立て、腹筋、背筋、どれも未だに一回たりとも出来ていないのだ。
寝たきりに近い期間が長かった弊害……だとは思われるのだが、それにしても毎日チャレンジしているのに、一度も出来ないまま半年が過ぎていったことを思うと、教育係のカミラをしてもう諦めた方がいいのではないかと言いたくなる。それでもめげずに頑張っているリリィを前にしては、とても言えないが。
どう答えたものかと迷っていると、そこに助け船を出すかのように、新たな人物が裏庭に現れた。
「みんな、ご飯が出来たわよー」
「あ、お母様!」
母親の登場に瞳を輝かせるリリィを見て、カミラは先ほどとは違った意味でほっと息を吐く。
世の中知らない方が幸せなこともある。カミラに内心でそんなことを思われているとは露知らず、リリィはいつものようにカタリナの胸に飛び込んだ。
「今日のご飯はなんですか?」
「うん? 今日はね、ソーセージとピクルスのシチューよ」
「そうなんですか! お母様のシチュー大好きです」
「ふふ、ありがとう、リリィ」
リリィとカタリナが和やかな空気を作り出している間に、一区切りついたカロッゾとユリウスも合流し、リリィが沸かしたお湯を回収したカミラも連れて全員で建屋の中に戻っていく。
その途中、当然のように話題は直前までやっていた訓練の話になる。
「お兄様、魔法も剣も最近凄い上達してますよね。妬けちゃいます」
「ははは、俺だって妹に負けるわけにはいかないからな。ていうか、リリィはいい加減木剣くらいまともに持てるようになったのか?」
「それが全然なんですよ……婚約したらどうなるか分からないですし、せめて自主練が出来るくらいには早めに上達しておきたいんですけど。そういえばお父様、結局私の婚約者……候補の子って、どうなったんですか? 全然来ないですけど」
会話の最中、ふと気になったリリィは、後ろを歩くカロッゾにそう問いかけた。
五歳の誕生祭以降、リリィは自身の婚約に対して思い詰めるようなことは無くなったのだが、それにしても、半年間音沙汰なしというのは流石にモヤモヤする。
ひとまず正式な回答は実際に顔を合わせてから、となったのはいいのだが、それにしても遅くないだろうか?
「それが、あれ以来ランターン商会は王都の方で何かと忙しいらしくてな。息子どころか、マカロフ会長自身もこちらに来れないようだし、落ち着くまで保留だろうな」
「そうなんですか……ランターン商会の船が来ても姿が見えないとは思ってましたけど、本当にいなかったんですね」
つまり、余計な盗み聞きさえなければ、今でもまだ婚約について知らなかった可能性が高いわけだ。
そのことに気付いたリリィは、何とも複雑な表情を浮かべた。
結果として良い方に転がったことを思えばそれで良かったのだろうが、こうも長引くとああも荒んで周りに迷惑をかけていた自分が何だか恥ずかしくなってくる。
「まあ、わざわざこんな季節を選んで来ることもないだろうし、続きは春だろうな」
そんなカロッゾの言葉とともに、一旦ランターン商会の話題は終わりを告げる。
王都はアースランド領よりも南に位置し、ここよりは格段に温かいと聞く。カロッゾの言う通り、わざわざこんな寒い時期にやって来るとは思えない。
「そうですね。今気にしても仕方ないですし、しばらく忘れますか」
リリィ自身もそう結論付け、すぐに元の話題に戻す。
魔法や剣、何より、体を鍛えるにはどうしたらいいのか。
そんな切実なリリィの問いかけに、ユリウスだけでなくカロッゾまでもが苦笑いを浮かべながら、賑やかに会話は弾んでいく。
数日後、この二人の予想が早々に覆されることになるとは、この場の誰もが思いもよらなかった。




