第二十四話 森に蠢く影
タイラントベアがカロッゾによって討伐された後。ひと時の平穏を得た魔の森の中を、一人の少年が歩いていた。
黒いマントに身を包み、目深に被ったフードのせいでその表情は伺えないが、身長から考えると歳の頃は多く見積もっても十にも届かないだろう。
周囲に立ち並ぶ木々はいずれも不気味なほどに漆黒に染まり、相当に純度の高い魔木だと一目でわかる。こんなところにいては、幼い子供などものの数分で魔物に見つかり、食い殺されてしまう。
「ガアァ!」
案の定、木々の合間から一匹の魔物が飛び出して来る。
鋭く長い鉤爪は持たないが、その見た目はタイラントベアと酷似した、巨大な熊のような魔物……グレーターベアだ。
タイラントベアに比べれば危険度は低く、黒狼の成体と同程度の脅威として認識されているが、その力は騎士でも魔導士でもない一般人にとっては、化け物以外の何者でもない。
鉤爪が無い分、素早い身のこなしで少年に接近したグレーターベアは、その剛腕で幼い体を叩き潰そうとして……。
「…………」
「ガ……ア……!?」
直前で踏みとどまり、その全身が震えだす。
突然怯えだした魔物を前に、少年はつまらなそうにフードに隠されていた顔を上げた。
怪我でもしているのか、右目を包帯で隠した少年は、残った左目でジロリとグレーターベアを睨みつける。
「ガァ、ガオォン!?」
たったそれだけで、グレーターベアはその場を逃げ出し、去って行く。
それを見て、すぐに興味を失った少年は、そのまま森の奥へと歩を進めた。
「……戻ったか。遅いぞ」
やがて、少年の進む先に、一人の男が現れる。
黒を基調とし、赤色のラインが入った軍服に身を纏ったその男は、幼い少年の姿を見つけるなり鋭い眼差しを向ける。
しかし少年の方はと言えば、そんな男の睨むような視線も軽く肩を竦めて受け流し、なんてことないように笑ってみせる。
「こんなガキを働かせておいて、もう少し労りの言葉があってもいいんじゃないの?」
「お前にとっては簡単な仕事だろう? ……それで、首尾は?」
「やれやれ、おっさんは相変わらずせっかちだな。まあいいや、それで、今回の結果だけど。カロッゾ・アースランドだっけ? やばいねアレ、先代の英雄サマは見たことないから比べられないけど、おっさんよりは確実に強いと思うぞ?」
「そうか」
予想通りだと言わんばかりに、男は動揺の一つも見せることなく頷いた。
そんな男の態度が気に入らなかったのか、面白くないとばかりに舌打ちを一つ漏らした少年は、更に報告を重ねる。
アースランド家の戦力、対応能力、そして研究中と思われる魔道具の存在。
どれも、幼い子供の口から語られるそれはやや抽象的で、報告としては非常に分かりづらいものとなっていたが、男はそれで全く問題ないとばかりに黙って耳を傾け、聞き返すことも問い掛けることもしない。
そんな余裕の態度が益々面白くないとばかりに顔をしかめる少年は、ふとあることを思い出し、ニヤリと口の端を吊り上げる。
「そういえば、そのアースランド家当主の娘……リリアナだっけ。面白いな、あの子。俺がけしかけた魔物を、魔力を使った威嚇だけで正気に戻しかけたよ」
「何……?」
ここに来て、初めて男が見せた驚きの表情に、少年は実に楽しそうな笑みを浮かべる。
「今回は“暗示”程度だったとはいえ、それを押し退けて魔物に恐怖を与えるほどの魔力……凄いよなあ、普通じゃない」
「……なるほど、な。だからか」
「ん? だからって?」
「いや。お前がやけに嬉しそうにしていたからな」
少し気になっていた、と言われ、少年はまた不服そうに顔を歪めた。
何でもかんでも見通すかのような男の態度は気に入らないが、図星なのは確かなので何も言い返せない。
仕方なく、「そうだよ、悪いか」と答えれば、「そんなことはない」と返される。
「だが、俺達は一度戻って上に報告をする必要がある。その子に接触するにしてもその後だな」
「……そうだな、あのクソジジイ共がどんなこと言い出すか分からないけど……くくっ、楽しみだなぁ」
言葉遣いこそ汚いが、年相応の少年のように瞳を輝かせる彼に対し、男は終始無表情を貫く。
感情の読めない瞳の奥で、せめて、今回のようにあまり関係のない者を巻き込むような命令が来ないことを祈りながら。
「それでは、さっさと森を出るぞ。ここは魔物がやたら多くて敵わん」
「魔物避けの結界はどうしたんだよ、壊したのか?」
「あれは燃費が悪くて長時間の使用には耐えれん。アースランドの“賢者”ならば、あるいはそうした物も作れるかもしれないが」
「ふーん、案外面倒なんだな。俺にはよく分からんけど」
「お前は魔物の方から避けてくれるからな。だからこそ、今回の作戦があるわけだが」
「ははっ、もっと感謝してくれてもいいんだぜ?」
「調子に乗るな、全ての魔物が恐れをなすわけでもないことはお前自身が一番分かっているだろう。油断していると喰われるぞ」
「はいはい」
言葉を交わしながら、親子のように年の離れた二人は森の奥へと消えていく。
こうして、カロッゾ達の知らないところで、ようやく本当の意味で魔の森が平穏を取り戻した。
ほんの、ひと時の平穏を。
はい、これにて第一章終了です。
次話からは週に1、2度、まったりと投稿していきたいと思います。




