第二十三話 親愛なる家族へ
リリィは結局、泣き疲れて眠ってしまうほどに泣き続け、誕生祭は主役が不在のまま幕を閉じた。
それを聞いた時は、リリィも何だか申し訳ないことをした気分になったが、やって来た村人達との挨拶自体は済んでいたし、そこは娯楽の乏しい田舎の性。主役がいなくなったからといって、滅多にない宴を途中でやめるような殊勝な者は誰一人おらず、料理が無くなるまできっちりやり通したらしい。
それはそれでどうなんだ、と思わなくもないが、みんなが楽しんでくれたのならそれでいいかと、リリィは早々に思考を切り替えた。
「朝日……は塀で見えないですけど、うん、いい朝ですね」
そんな誕生祭が終わってから数日後。まだ日も登り始めたばかりという頃に、領主館の裏庭を訪れるリリィの姿があった。
今は夏真っ盛りとはいえ、早朝ともなればさほど気温も上がっておらず、それなりに過ごしやすい時間帯だ。
そんな裏庭の中心で、枯れ木を集めて大きめの石で囲い、ちょっとしたかまどを作ったリリィは、それを見て満足気に胸を張る。
「これでよしと。後は火をつけて……」
厨房からこっそり拝借してきた火打石を使って枯れ木に火をつけ、ちょっとした焚火を起こす。
念のため、水を汲んだバケツも持ってきたので火事の心配はさほどないだろうが、これからやろうとしていることに必要なのはあくまで焚火そのものであって、火力ではない。なので、火の勢いは出来る限り小さく、焼き芋一つ満足に焼けないであろう程度に留めておく。
「うん、こんなものですね」
苦戦しつつもなんとか焚火の準備を終えたリリィは、ポケットから一枚の手紙を取り出した。
この国には、送り火という風習がある。
元々はお供え物を火にくべて精霊に捧げ、祈祷を行う儀式だったのだが、それが今ではお供え物の代わりに願い事を記した紙を燃やすようになり、そこから更に転じて、もう会うことのできない死者への手紙を、精霊達に届けて貰うためにも行われるようになった。
だからこそ、リリィが精霊教について勉強する中でこの風習について知った時、ふと考えたのだ。
――死者にさえ手紙が届くのなら、こことは違う異世界に住む両親の元にだって届けてくれるのではないか? と。
もちろん、あくまでこれは言い伝えに過ぎない。精霊の存在自体、国によっては認めておらず、精霊教がその存在の根拠としている魔法にしても、所によって様々な解釈がなされている。仮に本当にいたとしても、異世界にまで手紙を届けてくれるかは分からない。
だからこれは、一種の自己満足。リリィが自分の気持ちに改めて整理を付けるための儀式だ。
「…………」
パチパチと音を立てる火の中へと手紙がくべられ、炎に巻かれて燃えていく。
それを眺めながら、リリィは自らの書いた手紙の内容に想いを馳せる。
――拝啓、お父さん、お母さん。
お元気ですか? 体調を崩されたりしていませんか?
僕の方は、なんと元いた場所とは別の世界で、女の子として生まれ変わっちゃいました。
そうです、女の子です。僕は男の子なのに、おかしな話ですよね。神様が勘違いしたんでしょうか?
まあ、幸か不幸か、元々そういう勘違いが多かったので、案外あっさり馴染みましたけど……うん、それはそれで悲しいですね。今はまだ五歳で、男も女もないから違和感を感じていないだけですよね、きっと。
ともあれ、女の子になった僕は、優しい家族に囲まれて、今も元気にやっています。
色々と辛いことも、悲しいこともあるけれど、僕はもう、一人でも大丈夫です。この世界で、最後まで精一杯生きていきます。
だからお二人も、僕のことは時々思い出すくらいで構わないので、どうか幸せに……僕の大好きな、笑顔溢れる夫婦でいてください。
そしていつか、こことは違う別の世界で、また巡り会えたその時は……僕のせいで止めてしまった家族としての時間を、もう一度、みんなで過ごせることを祈っています。
最後に、これだけ言わせてください。
「あ……」
唐突に風が吹き、燃え尽きようとしていた手紙が巻き上げられる。
高く、高く、世界の壁すら越えそうなほどに舞い上がり、空に溶けるようにして消えていく。
風になびく髪を押さえながら、リリィはその光景を見て、柔らかく笑みを浮かべる。
――お父さん、お母さん。
何度生まれ変わっても、どれだけ姿形が変わっても。
「ずっと、ずっと……愛してます!!」
天まで届けと言わんばかりに、溢れる想いを口にする。
そんなリリィだったが、背後から誰かが走ってくる音が聞こえ、慌ててバケツの水を焚火にぶっかけ、証拠隠滅を謀ろうとする。
もっとも、その跡を見れば何をしていたのか丸わかりなので、無駄な努力というものだが。
「リリィ、何してんの?」
「な、なんでもないですよ? それより、お兄様こそどうしたんですか?」
リリィの元にやって来たのはユリウスだった。
動きやすい格好に、魔木で出来た黒い木剣を腰に差したユリウスは、あからさまに話題を逸らそうとするリリィに「悪戯もほどほどにな?」などと呆れ顔で告げる。
まさか前世の家族に手紙を出していたと言うわけにもいかないリリィとしては、深く聞いて来ないその対応は正直ありがたいが、ユリウスに悪戯を諌められるというのは何だか釈然としない。
「俺は見ての通り、剣の訓練をしに来たんだよ」
「こんなに朝早くからですか?」
なんとも微妙な表情を浮かべるリリィだったが、続く彼の言葉には思わず目を丸くする。
ユリウスは最近、訓練に熱心に取り組んでいたが、それはあくまで訓練の時間中の話だ。時間がある時はやはり遊びに行くことの方が多く、自主練している所は見たことがない。
ユリウス自身もその自覚があるのか、頬を掻きながらばつが悪そうに口を開く。
「いや、ほら、リリィのこと守るって言ったのに、結局傷付けちまったし……早く父様みたいになるためにも、頑張らないとって思ってさ」
「お兄様……」
確かに以前、何かあった時は守ってやると言われた覚えはあるが、まさかあんな些細な約束を律儀に守ろうとしてくれていたとは思わなかった。
嬉しくなり、思わず笑顔が溢れたリリィは、ならばと拳を握り締める。
「だったら、私も付き合います! お兄様と一緒に、剣の訓練をします!」
「え? ……リリィが、剣を? ……無理じゃないか?」
「な、なんでですか!? やってみないと分からないじゃないですか!」
冗談でもなんでもなく、本気で言っているのがはっきりと分かる口調と表情で切り捨てられ、リリィは抗議の声を上げる。
それに対し、ユリウスは非常に言いづらそうにその理由を口にした。
「だって……リリィ、そもそも剣も持てないだろ? 木剣だって真っ直ぐ構えられないだろうし」
「き、筋トレすれば大丈夫です!」
「それに、体力ないし」
「そ、それもこれからつけていけば……」
「あと……そもそもリリィ、剣を覚えたいなんて、父様が認めると思うか?」
「…………」
基本的に、カロッゾは体の弱いリリィが危険に晒されるようなことを忌避していた。今回の魔物騒動にしても、最後までリリィの精霊の耳の力を頼らず、それならばと他領に援軍を求めようとしていたくらいだ。そんな彼が、また魔力暴走で絶対安静状態になってしまうようなリリィに、剣の扱いなど教えてくれるかは怪しいものだ。
「諦めろ、リリィ。大丈夫、リリィには魔法があるさ」
「うぅ、その魔法にしたって、魔力暴走のせいで全然訓練出来ないじゃないですか! 私は諦めませんよ、何せ……」
ボンボンと慰めるように頭を撫でるユリウスに、リリィは目一杯の声を上げて、宣言する。
「私は決めたんです! いつかお父様みたいに強くなって、大切な人達を守れるような立派な男になるって!」
今いる家族も、この世界で知り合い、親しくなった人達も。そして……いつか新しく家族になる人も、みんな。
そんな、威勢と目標だけは立派なリリィの夢を、ユリウスは仕方のない子供を見るような目で温かく見守る。そもそもお前、女の子だろ、と言外に告げながら。
その視線に耐えきれず、リリィが拗ねたように頬を膨らませてそっぽを向けば、ユリウスは「悪い悪い」と軽く謝る。
仲睦まじい兄妹のそのやり取りを、登り始めた朝の日差しが暖かく見守るように照らし出し、涼やかな風が新緑の伊吹とともに駆け抜け、二人の新しい門出を祝う。
そうして、新たな夢を抱いたリリィの表情は、どこまでも明るく澄みわたり――
まるで、どこまでも広がる蒼い空のように、希望の輝きに満ちていた。
「……?」
「どうかしたかい?」
とある病室の中で、突然窓の外を眺める女性に、一人の男性が優しい声色で尋ねる。
どこか調子が悪いのかと、そう心配する彼に、女性は明るい笑顔を浮かべながら、何でもないと首を振る。
「ちょっと、懐かしい声が聞こえた気がして」
「懐かしい声?」
「ええ、それが……」
「あぁ……あぁー!!」
「あら、よしよし、どうしたの?」
首を傾げる彼に、女性は詳しく説明しようとするのだが、それよりも前に胸に抱いた赤子が突然泣き出したことで会話が中断され、意識が赤子に移る。
愛らしい我が子をあやすように、悪戯っぽく笑いながら「いないいない、ばぁ~」などとしてみせる妻の姿に、男性もまた笑顔を溢す。
「そういえば、その子の名前は決まったのかい? 今回は君が付けると言っていたが」
「そうね……大丈夫、もう決まったわ」
もう一度、窓の外を見ながら、女性は呟く。
そして、再度赤子へと視線を落とし、その名を告げた。
「この子の名前は、璃利。璃利なんて、どうかしら」
送り火は、リアルではお盆に死者の魂を送り出すための行事ですが、名前だけ頂戴しました。
これでようやくリリィも今後は男らしく振る舞うように……なる……わけないな、うん(ぉぃ




