第十六話 奔走する大人達
リリィが熱を出してから、一週間が過ぎた。
寝込んだことは翌日には村中に広まってしまっていたため、当然マカロフ会長も知るところとなったはずだ。
貴族社会においては家の存続こそが第一とされているため、他家に嫁ぐ女性に何よりも求められるのは、丈夫な子供を産むことが出来る健康な体だ。これは、一族経営が当たり前の商家にとっても変わらない。
それを知っていたからこそ、婚約話がどうなったのか、リリィとしては非常に気になったのだが……まさか盗み聞きした結果知ったことについて自分から聞くわけにもいかず、不安な日々を過ごしていた。
(まあ、私の体が弱いことは、遅かれ早かれバレていた……というより、王都で有名になるくらい大きな商会なんですし、全部承知の上で話を持ち込んだはずですから、気にしても仕方ないですよね。それよりも、今は自分に出来ることを精一杯やらないと……)
「……様、……お嬢様!」
「ふあ、はい、なんですか?」
考え事をしている最中、呼びかけられていることに気付いて慌てて顔を上げれば、そこには心配そうに自分の顔を覗き込むカミラの姿があった。
「いえ、ぼーっとされておりましたので……疲れたのでしたら、そろそろ休みますか?」
「いえ、大丈夫です。まだまだやれます!」
沈んだ心を笑って誤魔化しながら、リリィは再び手元に視線を落とし、集中する。
体調が戻ったリリィは、カタリナに頼みこんで魔力制御の訓練を始めた。
元々五歳の誕生日が来たら訓練を始めるつもりだったことと、幼い頃から続くリリィの体調不良の原因を取り除く一助になるということでカタリナもそれを認め、勉強に引き続きカミラにリリィの監督を任せたのだ。
そのため、今は領主館の裏庭にて、魔道具を使って光の魔法を発動し、地面に好きな絵を描くという遊び混じりの訓練を行っているところだった。
『四角……三角……丸……』
魔木で作られた板の中央に、黒い水晶がはめ込まれたその魔道具に手を翳すと、木板の部分に刻み込まれた魔法陣が淡く輝き始め、そこで魔力を込めた簡易な詠唱を唱える。
すると、水晶から溢れ出た光が地面を這い、そこに四角、三角、丸と簡単な図形を描いていくのだが……その形は、お世辞にも綺麗とは言い難かった。
「はあ……はあ……やっぱり、難しいですね……」
魔法や魔力の制御は、当人のイメージと精神力によって行われる。
どれだけ正確にイメージを描けるか、そしてそれを上手く魔力に乗せて意志の力で操り、魔法という形で出力できるか。これらは多分に感覚的な要素を含むため、特にこれと言ったコツなどはなく、とにかく回数をこなして自分なりのやり方を掴まなければならない。
一応、それを補助するために存在するのが魔道具なのだが……まだ始めたばかりのリリィでは、どれだけ必死に魔法を操作しようとしても、ただの丸や四角すら上手く描けなかった。
「最初は誰しもそんなものですよ。それより、お嬢様ももう限界のようですし、少し早いですが、今日はここまでにしましょう」
そうして訓練しているうちに、リリィの息が不自然に上がり始め、カミラからストップがかかった。
魔法の発動も、魔力の消費も今はほぼ全て魔道具が代行してくれるため、純粋に制御能力の訓練が出来るのだが、それでも自身の魔力を全く使わないわけではない。リリィの場合、魔力量が多いためにそれが枯渇し魔力欠乏に陥る心配はほぼないが、代わりに魔法の連続行使によって活性化した魔力が暴れ出し、また魔力暴走を起こしてしまう恐れがある。
カミラも、元は貴族家の子女だっただけに魔法を学んでいるため、いざという時は魔力を沈静化させて抑えるための《沈静》の魔法を使うことが出来るが、そうなる前に自主的にやめる方が良いに決まっている。
もちろん、リリィもそのことは分かっているし、以前なら素直に聞き入れているところだが、今はどうしても苦々しい表情を浮かべてしまう。
「も、もう少しだけ……ダメですか? 昨日から全く上達してませんし、これで終わりじゃ、いつまで経っても……」
「ダメです。カタリナ様であればともかく、私の魔法ではお嬢様の魔力を抑えきれるか分かりませんから、安全第一です。それに、魔力量が多い人ほど訓練の成果が表に出にくいという話は、カタリナ様からお聞きになられましたでしょう? どうか今日はお休みになってください」
「うぅ……それは、分かっていますけど……」
強い口調で窘められ、リリィはがっくりと肩を落とす。
魔力制御は、一生訓練しても尚足りないと言われるほどに奥の深い技術だ。ましてや、魔力量の多い人ほど体内の魔力を抑えるために多くの制御能力を割いているため、実際に魔法を扱う際には、魔力量が少ない人に比べ操作が粗雑になりやすいと言われている。何もせずとも魔力過多で体調を崩すようなリリィの上達が遅いのは、ある意味必然と言えた。
一応、カタリナのように国内屈指の魔力量を誇りながらもそれを完全に制御し、高難度の魔法を行使している例外がいないことはないのだが……彼女にしたところで、元々の才能に加え、二十年以上かけて訓練を続けた努力の結果がそれであって、誰でも出来ることではない。“賢者”の称号は伊達ではないのだ。
「……だったらせめて、昨日習った王都の経済について、続きを教えてくれませんか? 無理なら、アースランド領の過去の取引記録を見せて貰えるだけでもいいですから」
「……お嬢様、お勉強は休憩ではないと思うのですが」
「魔力は使ってないんですから休憩です! だから大丈夫です!」
「お嬢様……」
リリィの言い分に、カミラは頭を抱えた。
元々勉強熱心な子ではあったのだが、熱を出して寝込んで以来、以前にも増してそれに拍車がかかったような気がする。
熱心なのは本来いいことなのだが、今のリリィは少々それが行き過ぎていて、いつ破綻するか分からないような危うさがあった。
(一度、カロッゾ様達に報告しておきましょうか……)
そう考えながら、ひとまず今はどうやってリリィを宥め、休ませるべきかと、カミラはひたすら頭を悩ませるのだった。
「バテル、ランターン商会の調査結果はどうだった?」
いつもの執務室で、カロッゾはバテルへと問いかける。
リリィに対する婚約の打診を受け、アースランド家としてもなけなしの情報網を使い、その思惑を掴もうとしていたのだが、ひとまずの中間報告が上がって来たのだ。
それを受け、バテルは手元の書類に目を通しながら口を開く。
「ランターン商会について現時点で判明したのは、最近になって新型の魔導船開発に着手し始めたということと、それに搭載する魔道具の研究のため、優秀な魔導士や高魔力保持者を探しているということです。お嬢様はかなりの魔力量をお持ちなようですし、そうでなくとも我々にはカタリナ様がいらっしゃいます。やはり、そうした魔法技術の面で協力体制を築くために此度の縁談を持ち込んだ可能性が高いかと」
魔道具を開発するためには、実際にそれを形作り、魔法陣を刻み込むための魔導士と、作られた魔道具を起動し、試運転を繰り返すための魔力が必要となる。魔導士は高い魔力制御能力が求められる役割なために魔力量の少ない者が多く、魔道具開発は魔導士と高魔力保持者がチームを組んで取り組む場合がほとんどだ。
未だ訓練を始めたばかりのリリィにどれほどの魔力量が宿っているのか、正確なところは分からないが、魔力過多で虚弱体質になってしまうほどであれば、あるいはカタリナの幼少時代よりも多い可能性がある。
それがハッキリとしたのは婚約打診よりも後だが、カタリナの娘で、しかも黒狼を従えているとなれば、将来的な素質は十分と判断されていてもおかしくはない。
魔導船はまだ伸び始めたばかりの事業のため、今からでも参入すれば十分に利益は見込めるだろうし、今後も研究開発を続けていくつもりなら、婚約による両家の結びつきによって短期的な協力体制を築きつつ、リリィを囲い込むことで長期的な利益を得ようと考えていても不思議はなかった。
「そうか……それならひとまず、ランターン商会がリリィを冷遇することはなさそうだな」
「少なくとも、今のところは。今後も調査は進めていきます」
「分かった。……ならば、ひとまずこの件については問題ないな……」
バテルの話を聞き終えたカロッゾは、大きく息を吐きだすと、背もたれに体を預ける。
ギシリと椅子が悲鳴を上げるのに構わず、完全に脱力しきった状態で天井を見上げる彼の姿を、バテルは何を言うでもなく見守っていた。
「これでやっと一つ、片付いたわけだが……はあ、情けないな、俺は」
「突然どうしました? カロッゾ様」
やがて、力なく呟かれた言葉の意味を理解しながらも、続きを促すようにバテルは問いかける。
ここのところ、カロッゾはとにかく働きづめで、何かと溜め込んでいる様子だった。ここは当主を支える家令として、何より幼馴染のよしみとして、愚痴くらいは聞いてやらねばならない。
そんなバテルの気持ちを汲んでか、カロッゾは今この時ばかりは当主としての仮面を脱ぎ、素直に弱音を口にし始めた。
「娘が熱を出して倒れていたというのに、結局見舞いの一つも行ってやれなかった。一か月もかけて魔物の一体もロクに倒せないようでは、英雄の息子が聞いて呆れる」
「今回ばかりは仕方ありません。初めてのケースですから」
この一か月、カロッゾ達の懸命の討伐作業や見回りにも拘わらず、村の近くに出没する魔物の数は増え続けていた。
時折見つかる魔物の死体……鋭利なモノで胴体を寸断されたかのようなその痕跡を見るに、一か月前にオウガの親と思しき黒狼を仕留めた魔物が原因であることは疑いようもないのだが、カロッゾ達は未だにその個体を発見できずにいる。
食料とするでもなく、ただ魔物を殺すだけのその行動からして、相当に好戦的な個体であることは間違いないはずなのだが、カロッゾがいくら森の中で魔力を放ち挑発しても、関係のない下位の魔物が寄って来るばかりで、肝心の“敵”は一向に姿を見せない。
今までにない事態を前に、どうすべきかと議論を重ねながら、従騎士二人の力を借りつつ何度も現れる魔物に対応していたのだが……そんな厳戒態勢を続けるにも、そろそろ限界が迫っていた。
「出来る限り自分達で解決しなければと思っていたが……やはり、スクエア侯爵家に援助の申し入れをする必要があるかもしれん。……これでまた予算調整で忙しくなると思うと、益々時間が取れんな」
スクエア侯爵家は、王国西部を取りまとめる大貴族だ。現当主とはカロッゾもそれなりに親交があり、魔物被害で困っているとなれば、援助の一つもしてくれるだろうと確信できる相手だ。
しかし、どれだけ懇意にしている相手だろうと、魔の森に入り強力な魔物の討伐を手伝って欲しいと願う相手に、まさか謝礼の一つも無しというわけにはいかない。流石に家が傾くような見返りを求められることはないだろうが、相応に資金繰りが苦しくなることは予想される。
そうなれば、減った資金をどこかから捻出する必要があり、それを決めるのも領主の仕事だ。
しかし、そうした仕事の多さも落ち込んでいた理由と関係はあるのだが、直接的な理由は別にあった。
「最近、リリィの様子がおかしいと聞くし、寝ている子供達の顔を見に行くばかりではなく、きちんと会って、話を聞いてやりたいんだが……」
「カミラから報告のあった内容ですか。確かに、少々気になりますね」
リリィは熱が下がってから、表面上はいつも通りに振る舞っているが、どこか無理をしているような気がすると、先ほどカミラからカロッゾへ報告が上がっていた。
魔力制御の訓練や勉強を必死でやってはいるのだが、集中力が切れてぼーっとすることも多く、話かけても反応が鈍い時がある。
ただでさえ少なめだった食事量が更に減り、夜もあまり眠れていないのか、日に日に元気を無くしているように見える。
どれも、高熱を出してからそれほど日が経っていないということを考えれば、単にまだ本調子でないだけとも取れるのだが、普段から勉強を教える教師として、リリィを間近で見て来たカミラの言葉だ。大事な娘のことというのもあって、無視することなど出来るはずもなかった。
「あの子は、少し一人で頑張りすぎるところがあるからな……誕生祭も近いことだし、何か悩み事があるんだとしても、そこでちゃんと話を聞くことが出来ればいいんだが」
「お嬢様にとって、生まれて初めての誕生祭ですからね」
この国では、誕生日を毎年祝う風習はない。
その代わり、五歳、十歳、十五歳の節目に、無事に生まれて来たことと、それまで無事に成長出来たことを感謝するとともに、今後とも健やかに育つことを願い、精霊に祈りを捧げる習わしがある。
特に、貴族家の子息子女の誕生祭ともなれば、その権威を領民達に知らしめる意図もあって、領内全体を挙げてのお祭り騒ぎとなることも珍しくない。親バカの異名をとるカロッゾとしては、何が何でも実施しなければならないイベントだった。
「ああ。あの子はあれで寂しがり屋だからな。俺達全員揃って、誕生祭をきちんと祝ってやるためにも、まずは魔物の件をきっちり片付けなければ」
「ふふ、やっといつもの調子に戻ってきましたね。やはりあなたはそうでなくては」
瞳に輝きが戻り始めたカロッゾを見て、バテルが嬉しそうに呟く。
そんなバテルの言葉に、カロッゾもまたニヤリと笑みを零した。
「心配かけて悪かったな。しかしお前も、こうして二人っきりの時くらい、昔のように砕けた口調で愚痴を零してくれてもいいんだぞ? 前はよく、クルトアイズの扱きが辛いとグチグチ言っていただろう」
「十年も前の話を持ち出さないでください。あの頃はともかく、立場が変わった今はそういうわけにもいきませんから」
「強情だな、お前も」
取り付く島もないバテルに肩を竦めつつ、二人は改めて、謎の魔物に対する今後の対処について話し合う。
しかし……結果として、この時話し合った内容は全て、無駄に終わることとなる。
姿を見せず、痕跡ばかりを残していく謎の魔物。その裏に隠された悪意は既に、彼らのすぐ傍まで迫っていた。
誕生祭、ようするに七五三ですね。十五の誕生祭は成人式も兼ねています。
今までも大概でしたが、今回は特に説明文が多くなってしまった気がする……(;^ω^)