第十三話 感謝と親愛の果実ジュース
隣領からも行商人はやって来るのだが、やはり船一隻丸ごとやってくるランターン商会との取引ともなれば否応にも村は沸き立ち、一種のお祭りムードとなる。
領主家による検問を終えた荷物が村の中央に続々と集められ、ついに開かれた市に多くの村人達が詰めかけては、それぞれに収穫した農作物の一部などを売り、手に入った金で塩などの必需品を購入していく。
高価な物はやはりそう簡単に売れない様子だが、それでも木こりなどは危険な森の奥まで足を踏み入れるだけに収入も多めで、時折そうした物も売れている様子だ。
「それで、リリィは何を買うんだ?」
「うーん、どうしましょう? 迷ってるんですよね……」
そうした中、いち早く商品の内容を把握していたリリィだったが、何を買おうか未だに迷っていた。
一応、ユリウスは早々に買う物は決めており、そのままでも食べられる物をと言って桃を購入しているのだが、リリィが全く決められないでいた。
「せっかくですから、お父様とお母様に何か贈り物をしたいんですけど……」
初めての買い物だ、出来れば記念になる物をと思わないでもないリリィだったが、そもそもの資金が少ないため、買える物はそう多くない。
それならばせめて心を込めた手料理でもと言いたいのだが、四歳の体では火を扱うのは危険だし、何より家族みんなに振る舞うにはこれもまた資金の壁にぶち当たってしまう。
ユリウスのように適当な果実を切り分けて、というのも考えたが、自分で食べる分にはともかく、贈り物としてはなんだか味気ない気がする。
「父様と母様なら何貰っても喜ぶと思うぞ」
「お兄様、それは適当過ぎますよ、もう」
ぷくっと頬を膨らませるリリィだったが、ユリウスの言うことは案外的を射ている。
カロッゾもカタリナも、基本的に子供に甘く、何なら労いの言葉だけでも相当に喜ばれるのは間違いない。
しかし、その程度のことで納得するようであれば、最初から悩むことはなかった。うんうんと何度も唸り声を上げ、露店を覗きながら考えを巡らせていく。
「うーん……やっぱりここは飲み物でしょうか。オレンジならギリギリ買えますし、確か家に蜂蜜もあったはずですから……うん、それで行きましょう!」
悩みに悩んだ末、リリィは果実ジュースを作ろうと心に決める。
基本的には、果汁を絞って調味料で味付けするだけなのでリリィの体でも出来なくはないし、柑橘系の食べ物は疲労回復にも良いので、最近忙しい両親に贈るならうってつけだろう。
「決まったか?」
「はい! 取り敢えずこれで……」
「待ちなお嬢ちゃん、それよりも、もう一つ隣の奴の方がいいぜ」
「へ?」
並べられたいくつかのオレンジから一つを選び、手に取ろうとしたところ、それまでずっとリリィが悩む様子を眺めていたランターン商会の男店員が、そう言ってすぐ隣のオレンジを指差した。
まさか話しかけられるとは思っておらず、手を伸ばした格好のまま固まってしまったリリィを見て、見るからに若いその男店員は苦笑を浮かべた。
「騙そうとはしてないから安心しな、今ここに置いてやる物の中じゃあ、そのオレンジが一番美味い。親父さん達への贈り物なんだろう? だったら、少しでもいい物を持っていってやんな」
「あ……はい! ありがとうございます!」
見た目の年齢からしてまだ新入りなのか、リリィやユリウスが領主家の人間であると気付いた様子はなく、口調も少々荒っぽいが、だからと言ってそれを咎めるつもりなどリリィにも、そしてユリウスにもサラサラない。
素直な感謝の気持ちを込め、リリィが笑顔と共にお礼を言えば、男もまた釣られて微笑ましそうに笑みを浮かべる。
「ありがとな兄ちゃん。けど、どうせなら親切ついでに少しまけてくれてもいいんだぞ?」
「はははっ、そっちの坊主は容赦ないな。いいだろう、それじゃあ……」
そんな男店員に、ユリウスが容赦なく値切り交渉を始め、何のかんので表記の値段より三割ほど安くなったオレンジを購入する。
中々容赦ない交渉にリリィは小さく頬を引きつらせるが、この国ではこれくらいは当たり前のようなので、いずれは慣れていかなければならないだろう。
「それじゃあ、次があったらまた買ってくれよー」
「はい、お兄さんもまた」
「次はもっとまけてくれよー」
「あはは、そいつは勘弁してくれ、俺が会長に怒られちまう」
軽く手を振って男店員と別れながら、リリィは大事そうに購入したオレンジを抱えて家路に着く。
今にもスキップを始めそうなご機嫌な様子に、隣を歩くユリウスは苦笑を浮かべた。
「嬉しそうだな、リリィ」
「はい、お買い物はひさ……初めてですから、楽しかったです。いつもこんな感じだったんですね」
「ああ、来たときは大体こんな感じだよ。今回は結構見たことない食い物も多かったけど」
「へー、そうなんですか?」
ああ、と答えながら、家まで待ち切れなかったのか、ユリウスは買ったばかりの桃に齧りつく。
洗ってから食べましょうよとリリィが言ったものの、当のユリウスはそのままでも十分満足いく味だったのか、特に気にすることなく「うめぇ!」と言って二口目を口にした。
「せめて、前はちゃんと見て歩いてくださいね? 転んだら危ないですから」
「はいはい、リリィは心配性だな」
「お兄様が気にしなさ過ぎなんです」
もう、と抗議するリリィの膨らんだ頬を、ユリウスが指で突いて溜まった空気を抜く。
にやにやと悪戯っぽく笑うその仕草に、リリィが負けじと頬を思い切り膨らませて指を押しのければ、ユリウスは我慢できないと言わんばかりに噴き出した。
そんな兄にリリィがジト目を送ってやれば、ユリウスは悪い悪いと手に持った桃をリリィの眼前に差しだした。
「ほら、リリィも食うか?」
「いいんですか?」
「ああ、一口だけな」
「では……はむっ」
促されるままに桃を一口齧ると、じゅくりとした瑞々しい食感と共に優しい甘味が口に広がり、思わず表情が緩む。
「美味いだろ?」
「はい、美味しいです!」
「ガウッ、ガウッ」
「あれ? オウガも食べたいんですか?」
「ガウ」
二人で笑い合っていると、傍にいたオウガが物欲しそうにリリィに擦り寄って来る。
桃って狼……もとい、犬が食べても大丈夫でしたっけ? とリリィは首を傾げ……。
「後で干し肉あげますから、我慢してください。待てです、待て」
「アウン……」
ショボーン……と見るからに悲しそうな鳴き声を上げながら顔を俯かせるオウガに苦笑しながら、リリィはその頭を撫でる。
そもそも、仮に犬が食べられたとしても黒狼が食べていい保証にはならないし、やはり自然に食べている肉をあげるのが一番だろう。
(あれ? でも干し肉ばっかりだと栄養偏りますよね? そもそも塩分過多ですし。……やっぱり、食べさせた方がいいんでしょうか?)
微妙に先行きが不安になったが、黒狼の育て方など誰も知らないため、食べていいものとよくないものの違いなど誰に聞いたところで分からないだろう。やはり、少しずつでも食べられる物を調べていった方がいいだろうかと心に決める。
しかし、その前に。
「オウガのご飯もそうですけど、帰ったら明日にでもジュース作らないといけないですね」
「一人で出来るのか?」
「大丈夫ですよ。……多分」
絞って、調味料を少し加えるだけ……とは言うものの、ミキサーのような便利な物はないので、人力で絞らなければならない。
四歳の体でそれが出来るかどうかというと、今にして思えば微妙なところだ。
「仕方ないな、作る時は手伝ってやるよ」
「本当ですか? ありがとうございます!」
西に沈み行く太陽が、家に向かって歩く二人と一匹を仄かに照らす。
笑顔の絶えない彼らの後を、足元から伸びた影がいつまでも追いかけていた。
市で買い物を行った翌日。リリィは厨房が空いたタイミングを見計らって、ユリウスの協力の下、早速オレンジを使ったジュース作りに挑戦することにした。
とは言っても、絞る工程さえユリウスに手伝って貰えば、後は自ら蜂蜜やその他調味料で味を調えるだけなので、作業自体はすぐに終わる。
念のため味見もしたのだが、リリィとしても満足の行く出来栄えに仕上がり、ユリウスからも太鼓判を押して貰うことが出来た。
味が良すぎたのか、ユリウスが味見と称して全て飲み干すのではないかというほど舐めまくるので、それを止めるのが最も大変だった部分かもしれないほどだ。
「お父様もお母様も、喜んでくれるでしょうか?」
そうして出来上がったジュースを、大きめのポットに入れて運びながら、リリィは今世における両親の顔を思い浮かべる。
カロッゾは、見た目こそ見るからに歴戦の武人ではあるのだが、実際に戦っているところを見たことがないリリィからすれば、英雄というよりもどこにでもいる子煩悩な父親というのが、彼に対する印象だ。
基本的にいつも忙しく、構って貰ったことは少ないが、それでもリリィが不安定だった時期はいつも気に掛けてくれていたし、それは復調してからも変わらない。それでいて、心配な気持ちを押し殺して外に連れ出してくれたし、森に勝手に足を踏み入れた時はユリウス共々叱ってもくれたりと、子供を甘やかすばかりでない厳しい一面も見せる、いい父親だ。
カタリナも、辛い時には誰よりも傍にいてくれた。自分の仕事もあるだろうに、泣き喚く娘をずっと抱き続けるなど、今にして思えば育児ノイローゼになっていてもおかしくはないのに、疲れた顔一つ見せることなくその温もりで包み込んでくれた日々は、今でもリリィの心に残っている。
みんなの役に立ちたいと、そう願うリリィの言葉を受けて、色んな資料や書き記すための紙を融通してくれた上、カミラが子供達の教育に専念できるようにその仕事を請け負うなど、いつも子供のことを一番に考えてくれた彼女がいたからこそ、リリィはこうして今もここに在れる。
「それに、お兄様も……最近はずっと一緒にいてくれましたし、もうちょっと飲ませてあげても良かったかもしれないですね」
先ほどは、飲み過ぎると両親の分がなくなるからと引き留めたが、オウガの散歩や訓練にいつも付き合ってくれたのも、そもそもリリィが領主館の外に出る切っ掛けをくれたのも紛れもないユリウスだ。
二人に飲んで貰った後に残った分はユリウスにあげようかと、ぶーぶーと文句を言っていた彼の顔を思い出してくすりと笑いながら考える。
「出来れば他にも、分けてあげたい人は多いんですけど……流石に、みんなに配るには少ないでしょうか?」
ずっと勉強を教えてくれているカミラに、仕事熱心でいつもアースランド家を支えるために頑張ってくれているバテル、飄々としていながらも周りへの気配りが上手なクルトアイズに、コアン、トールといった村の子供達。
まともに動けるようになってから二年にも満たない僅かな間に、この世界には大切な人がたくさん出来た。
「まあ、きっと来月もありますし、続きはその時にしましょうか」
彼らのためならば何でもできるし、何でもしてあげたい。
困っていることがあれば力になりたいし、仮にそんなことがなくとも喜んで貰いたい。
「と、それはそうと、お父様、さっきマカロフさんを客間に招いて何か話し合ってたみたいですけど、もう終わったでしょうか? そうでなければ、先にお母様のところに行くんですけど……」
そんな想いを胸に、ポットを大事そうに抱え直しながら、リリィは執務室の前に辿り着く。
まだ話し合いの途中だとすれば誰もいないはずだが、少し聞き耳を立ててみれば、カロッゾに加え、バテル、カタリナの声も合わせて聞こえてくる。
ならば大丈夫かと、ノックをするために手を伸ばし――そこで、リリィは彼らが話し合っている内容の一部を耳にした。
耳にして、しまった。
「今回のランターン商会の御曹司とリリィの婚約。前向きに検討しようと思う」
「えっ……」
ゴトン、と。
リリィの手から零れ落ちたポットが地面に落ち、音を立てて転がっていった。