第十二話 商会の長
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桟橋の方に戻って来ると、そこには既にバテルが立っており、一人の男と何やら談笑している様子だった。
先んじて小舟を使って船から降りてきたのか、商会の従業員と思しき男達が集まり、魔導船を桟橋に寄せる様を見物している彼らを見て、リリィは元気よく声をかける。
「バテルさーん!」
「おや、お嬢様、お坊ちゃんも。いかがなさいましたか?」
「オウガのお散歩ついでに、お父様を探してたんですけど、忙しいみたいなので商船を見に来ました。お兄様とお買い物するので、その下見も兼ねてですけど……こちらの方は?」
「これは初めまして。私、ランターン商会の会長を務めております、マカロフと申します。以後、お見知りおきを」
「あなたがランターン商会の……えっと、初めまして、リリアナ・アースランドです。こちらこそ、よろしくお願いします」
軽く頭を下げて名乗りを上げる男に対し、リリィも慌ててスカートの裾をつまみ、貴族らしい仕草で挨拶を返す。
質の良い服に身を包み、気品すら感じられる優雅な礼をとる彼の仕草を見るとまるで貴族のようにも見えるが、単に仕事柄、貴族の相手に慣れているというだけだろう。
何せランターン商会と言えば、王都の大物貴族とさえコネを持つと言われるほどの大商会。魔木という、ストランド王国にとっても重要な資源を産出する土地でなければ、たかが騎士爵領に会長自らが足を運んでくることなどなかったに違いない。
そんな彼が、リリィの姿を見て何か考え込むような仕草を取るが、そのことについてリリィが尋ねるよりも早く、一緒にいたユリウスが声をかける。
「マカロフさん、久しぶり!」
「ユリウス様、お久しぶりです。妹さんがおられたとは、知りませんでした」
「あー、リリィは産まれてからずっと体が弱かったからな。最近ようやく出歩くようになったんだ」
「なるほど、そういうことでしたか。して、もう一つ気になっていたのですが……そこの狼は、一体?」
身分はともかく、立場としてはどちらが上とも言い難い相手にも平然と軽い口調で話すユリウスに、若干慌てるリリィだったが、マカロフの方はそれに気を悪くする素振りもなく、リリィの後ろに控えるオウガについて尋ねた。
それを聞いて、なぜかユリウスが自慢げに鼻を鳴らし、胸を張って答える。
「こいつは黒狼のオウガ、うちのペットだ!」
オウガの紹介を聞いて、マカロフは僅かに目を見開く。
マカロフには魔物についての詳しい知識はないが、黒狼の名くらいは知っている。同時に、これを飼い慣らしている貴族など、少なくとも現在は国中どこを探してもいないであろうことも。
過去に例がないわけではないことは知っているが、彼自身はそのような話、てっきりお伽噺の類いだと思っていたのだ。
「まさか黒狼とは……さすがは英雄の後を継ぐ者と名高いカロッゾ様、このような存在まで手懐けていたとは」
「うん? オウガが懐いてるのは父様じゃなくてリリィだぞ。森から拾って来た時からずっとな」
「なんと!?」
ユリウスの話がにわかには信じられず、マカロフは商人としての仮面を被ることも忘れ、今度こそ驚きを露にする。
魔物が人に懐いたというだけでも驚きなのに、それを成したのが見るからにか弱い幼女だというのだから、驚くなというほうが無理がある。
「一体どうやってそのような……」
リリィに金の匂いを嗅ぎとったのか、その瞳に、商人らしい怪しい光が灯る。その全てを見定めようとするかのような強い視線に気圧され、リリィは思わず一歩後退ってしまう。
「それよりさ、俺達鳩を獲って来たんだけど、買い取ってくれない?」
すると、ユリウスがその間に割り込むようにして、手に持った袋を差し出す。
それを受けて、マカロフは何事もなかったかのようにすぐさま元の柔和な笑みを浮かべると、「構いませんよ、それでは確認させていただきます」とユリウスから袋を受け取った。
ほっと息を吐くリリィに、オウガが元気付けようとするかのように体を擦り付ける一方で、マカロフとユリウスの二人はそのまま値段交渉へと入っていった。
「ふむ……これならば、そうですね、銀貨二枚といったところでしょうか」
「えー、ほら、一羽は生け捕りなんだしさ、もうちょっと色付けてくれてもいいんじゃない? 銀貨三枚で」
「もう一羽の状態が悪いので、三枚はないでしょう。銀貨二枚に銅貨二枚」
「売った金でちゃんと別の物買うからさ、もうひと声。銀貨二枚と銅貨六枚」
「それにしても六枚は高いです。銀貨二枚と銅貨四枚」
「ちぇ、分かったよ。俺だって子供なんだから少しくらい手加減してくれてもいいのに」
「カロッゾ様から、ご子息には手加減せずとも良いと言われておりますからね」
「ぐぅ、父様め……」
あっという間に交渉が纏まり、鳩とお金を交換しつつ悔しそうに呻く。
そんなユリウスの背をリリィが慰めるように撫でていると、それまで静かに待機していたバテルが口を開いた。
「マカロフ様、そろそろ荷降ろしが始まるようですから、積み荷のチェックを始めてもよろしいでしょうか?」
「構いませんよ。それではユリウス様、リリアナ様、続きはまた後で」
「はい! ……あ、そうだ、出来ればでいいんですけど、商品のチェックに私達もご一緒してもいいですか? 邪魔はしませんから」
ふと思い付き、リリィはマカロフとバテルに問い掛ける。
ユリウスは若干不満そうだが、予定通りお金は作れたのだから、後は買う物を決めるだけ。そうなると、実際に商品を見せて貰うのが早い。
私的な買い物は、領主家のチェックと買い付けが終わった後に開かれる、ちょっとした市でしか出来ないのだが、早いうちに並ぶ商品を確認出来ればそれだけスムーズに欲しい物を買うことが出来るだろう。
同じように市で買い物をする領民達のことを思うと、少しばかりズルだが。
「ええ、もちろん。見学くらいでしたらご自由にどうぞ」
「ありがとうございます!」
ほら、お兄様も。とお礼を促しながら、バテルとマカロフの後に続いて、船から降ろされる荷物を眺めていく。
基本的にどれも似たような木箱に納められているのだが、縮こまればリリィの体もすっぽり入りそうなそれを、屈強な男達が次々と運び出していく様は中々圧巻だ。
そうして運び出された箱を、マカロフ立ち合いの下、バテルが一つ一つチェックして回る。
「ふむ……今回は中々、質の良い魔水晶が入荷したようですね。東部で新しい鉱脈でも見つかりましたか?」
「いえいえ、そういうわけでは。ただ、ジーベルト侯爵閣下と懇意になる機会がありまして、そのご縁で魔鉱石を安く仕入れられただけですよ。加工に関しましても、とても良くしていただいている工房がありまして」
「ほほう、それはそれは……」
中身を改め、手元のリストにチェックを入れながら、バテルはマカロフと会話を重ねる。
そこそこ大きい箱の中身は、そのままだとリリィには見辛いのだが、中に入っている品物の名前とイラストが、分かりやすいように紙に描かれて貼り付けられていたので、ひとまず何があるのかは問題なく分かった。
長期保存のための魔道具でもあるのか、ややひんやりとした空気を纏うその箱を、ユリウスと二人で覗き見ていく。
積み荷の中身は、やはり保存食を作るための塩などといった必需品が多いが、そこは子供というべきか、甘味を求め果物などを重点的に物色する。
「なんだこれ? 見たことないな」
「桃ですね。そのまま食べても美味しいですよ」
「へー、そうなのか。お、こっちはぶどうだな、ワインでも作るのかな?」
「あはは、残念ですけど、そんなノウハウが家にないですよ。それより、ジャムにしてパンに塗る方がいいと思います。パンだけじゃやっぱり寂しいですし」
「じゃあこれは?」
「マンゴーですね。普通に食べてもいいですけど、出来ればマンゴープリンとか作りたいですね……」
かつて趣味で作っていた物を思い出し、はあ、と溜息を吐く。
作りたいのは山々なのだが、材料は元より冷蔵庫がないというのがどうにも致命的だ。
母に頼んで、魔法を使って貰えば代用になるだろうか? いやいや、良くてシャーベットになる未来しか見えない。それならば擂り潰してジュースにする方が現実的だし、仕事で疲れているであろう父にはそちらの方が受けがいいかもしれない……と、頭の中で思考を巡らせていると、ふとユリウスが自分の方をじっと見つめていることに気付き、リリィは首を傾げる。
「お兄様、どうかしましたか?」
「いや、俺も初めて見る果物なのに、よく知ってるなーと思って」
やっぱリリィはすげーな、と言われ、その理由に思い至ったリリィは誤魔化すように笑う。
つい前世の知識に照らし合わせて答えていたが、よくよく考えてみれば、果物など目にする機会もほとんどない筈のアースランド領で、つい先月まで引きこもりだった自分が、ユリウスが見たこともないような果物の知識を持っているのは不自然だ。魔物や魔法とは違い、果物については領主家としても特に資料などを集めている訳ではないのだから。
ユリウスはそうした物をほとんど読まないため、リリィはどこかでそれを目にしたんだろうと一人納得しているようだが、バテルなどは少々訝しげな表情を浮かべている。
「確かに、よくご存知ですね。マンゴーなど、私どもも今回初めて取り扱うのですが、まさか調理法までご存知とは」
どう説明したものかと悩んでいると、マカロフによる更なる追撃が加わり、リリィは益々言葉を詰まらせる。
よほど熱心に勉強なされているようだ、と褒められて、もはや曖昧に頷くくらいしか出来なかった。
その後は、少し自重してユリウスの疑問を不自然にならない程度に分からないと言って流しつつ、その分タイミングを見て何度かマカロフへ質問を投げ掛けていく。
ただ、やはりこれまで自分が知り得なかったアースランド領の外について、多くのことを知っているマカロフの話は非常に面白く、気付けばリリィ自身からも熱心に質問を重ねるようになっていた。
商会で主に取り扱っている商品の内容や、アースランド領で仕入れた魔木の卸し先、用途。話せる範囲で構わないからと、色々なことを尋ねては、勉強になると相槌を打つ。
「失礼ながら、リリアナ様の御年齢は……?」
そうしていると、不意にマカロフの方からそう尋ねられ、リリィは首を傾げながらも正直に答えた。
「四歳です。もうじき五歳にはなりますけど……それがどうかしましたか?」
「いえ、とても聡明でいらっしゃるので、気になりまして。いやはや、四歳で既にこれほどの知識をお持ちとは、感服いたしました。流石は、賢者と名高いカタリナ様のご息女ですな」
「お母様と使用人の方が、熱心に色々と教えてくれるお陰ですよ。私自身は大したことないです」
手放しの称賛に、リリィはくすぐったい思いを抱きながら否定の言葉を紡ぐ。
実際、リリィは前世においてもさほど成績が良かったわけでもないので、同年代に比べれば知識量は当然多いにしても、聡明かと言われると首を傾げざるを得ない。
しかし、そんなリリィの発言に、マカロフは益々興味深そうに目を細める。
「ははは、ご謙遜を。リリアナ様が大したことないのでしたら、私の子供達が出来の悪い子になってしまう」
「えっ、あ、すみません! そういう意味では……えっと、マカロフさんのお子さんって、どんな子なんですか?」
「そうですね、リリアナ様ほどではありませんが、優秀な子達です。上の姉は今も王都の本店で修行を積んでおりますし、下の子も、リリアナ様と同い年なのですが、とても将来が楽しみな能力がありまして。少々、頑固者なのが玉に瑕ですが」
「へ~、そうなんですか。一度会ってみたいですね」
マカロフの話に釣られ、何の気なしにリリィはそう答える。
特に何かを考えて発言したわけではなく、単に優秀な同い年の子というのに興味があっただけなのだが。
「それはそれは……うちの子も喜ぶと思います」
そんなリリィの発言に、マカロフは僅かに目を細めるのだった。