第百十六話 潜入、公爵邸
「お願いします! シルヴィアさんに何かあったかもしれないんです、中に入れてください!」
「そうは言いますが、今日は誰も部外者を入れるなと、旦那様より言付かっておりますので」
シルヴィアからの救援要請らしき信号を受け取ったリリィは、ルルーシュ、ナルミア、そして上手く合流出来たマリアベルと共に、ランドール邸へとやって来た。
しかし、どうやら既に手を回されていたらしく、門番は頑なに中へ入れようとしない。
「リリィ、ここは一旦引こう。すみません、また日を改めます」
「ルル君! そんなっ……」
「いいから、行くよ」
耳元で囁くルルーシュの声音に、諦めの色は見られない。
それに気付いたリリィは、渋々ながらも引き下がる。
「……でも、どうするんですか? 普通に入れて貰えないなら、強行突破しかないと思うんですけど」
門から少し離れたところで、リリィは改めて口を開く。
リリィの頭の中で、入れて貰えないから諦めるという選択肢は既にない。シルヴィアに何かあったかもしれないのだから、最悪一人で押し入ることも辞さない構えだ。
「ルル君が使った《変身》の魔法があれば、多少暴れても私だってバレずにどうにかなると思ったんですが……」
「初見で見破られない自信はあるけど……あの魔法、結構制限も大きいんだ。あまり激しく動くと魔法が解けるし、知ってる相手にしか変装出来ない。ついでに言うと、あんまり体格が違う相手に化けると、魔力が隠せなくてバレやすくなる。少なくとも、門番相手には通じないと思うよ」
「むむ、難しいですね」
魔法は便利だが、万能ではない。
まだシルヴィアの身に何が起きて、どういう状況なのか分からない以上、あまり手荒な行動は控えたいというのもあり、上手い解決策が浮かばなかった。
「でも、宮殿の中で別の騒ぎが起こってれば、変身魔法を見破るのは難しくなると思う」
「別の騒ぎ、ですか?」
しかし、ルルーシュの中には既に考えが纏まっているらしい。
どういうことかと尋ねるリリィに、ルルーシュは緊張を孕みながらもそれを口にする。
「この屋敷のセキュリティを狂わせて、内部を混乱させるんだ。全く別方向からの侵入者があったって誤認させれば、リリィが変身魔法で正面から入っても誰も気に留めない。僕がその場にいなくても、魔法はしばらく持続するから、その隙にシルヴィア様のところまで行くんだ」
「セキュリティを混乱って、まさかルル君が囮になるってことですか? ダメですよ、そんなことしたらルル君が捕まっちゃいます!」
「大丈夫だよ、敷地の周りに設置された魔法陣を少し書き換えて、誤作動を起こさせるだけだから。失敗したら捕まるのは確かだけど、実際に入るリリィの方がずっと危ないんだ、これくらいやらせて」
ルルーシュの提案に対し、反射的に声を上げるリリィだったが、彼の真摯な瞳に見つめられて何も言えなくなる。
彼にとってシルヴィアはもう、ただ憎いだけの他人ではないのだ。助けたいという思いが同じならば、それを止める気にはなれない。
もちろん、だからと言って心配でなくなるかといえばそんなこともなく、複雑な表情を浮かべるリリィ。
そんな彼女に、別のところから声がかかった。
「で、でしたら……その役目は、私にやらせてください!」
「マリアベルさん?」
普段はあまり自己主張の強くない少女からの思わぬ発言に、リリィは目を丸くする。
しかし、マリアベルもまた引く気はないようで、その瞳にはいつか見たのと同じ強い光を宿し、リリィを真っ直ぐに目を合わせる。
「設置型魔法陣の扱いなら、私の方がずっと慣れています! それに、リリアナさんを一人で行動させるのは危ないです、何をしでかすか分かりませんし、ルルーシュさんはいざという時フォローできるように、傍にいるべきです!」
「ちょっと待ってくださいマリアベルさん、一体私にどんなイメージを抱いてるんですか!?」
「人助けのためなら、自分の身の安全なんて平気で投げ捨てるような危ない人です!」
「えぇぇ!?」
そんなに危ないことをしているだろうか? と、もし口に出していれば、知り合い全員から総ツッコミを受けそうなことを考えてしまうリリィ。
そんな彼女の気を知ってか知らずか、マリアベルは一歩も引く気はないと胸に手を合わせる。
「正直、私はシルヴィア様のことをあまり良く知りませんし、それほど親しくしているわけではありませんけど……リリアナさんが助けたいと言うのなら、私はそんなリリアナさんを助けたいんです!」
「マリアベルさん……」
シルヴィアではなく、リリィのために。
嬉しくて、だからこそ申し訳ない気持ちになるマリアベルの言葉に、リリィが二の句を告げられないでいると、更にもう一人、これまで黙っていた令嬢が話に加わった。
「でしたら、私がマリアベル様のフォローを致しますわ。もし何かあっても、私がマリアベル様を守ります」
「ナルミアさん? でも、いいんですか?」
今回の件は、シルヴィアの救援要請に端を発している……が、状況が分からない以上、間違いという可能性も捨てきれない。
もしそうなれば、ランドール家からの顰蹙を買うのはまず間違いなく、荒事に慣れていないナルミアは嫌がると思っていたのだが、そんなリリィの予想こそ心外だとばかりに、ナルミアはふんと鼻を鳴らす。
「私は主戦派貴族だからではなく、シルヴィア様だからお慕いしているのですわ! そんなシルヴィア様の危機かもしれないとあれば、何を差し置いても助けて差し上げるのが私の務め! ここで退いては、ウーフェン子爵家の名が廃りますわ!」
「ナルミアさん……ありがとうございます」
堂々たる態度で語るナルミアに、リリィは彼女を侮っていた自分を恥じる。
シルヴィアを慕う者の中にも、こうして家柄ではなく、彼女自身をしっかりと見て、その上で好いている者もちゃんといるのだ。
そのことを改めて実感し、リリィは改めて決意を固める。
(シルヴィアさんを助けたら、主戦派の子達とも改めてお話したいですね。シルヴィアさんが、本当の意味で学園でもちゃんと笑えるように)
ティアラのため、偽の笑顔で誰ともそつなく付き合いながら、誰に対しても一定の距離を保っていたシルヴィア。
けれど、彼女の本音を受け止めてくれる子は、彼女が思っているほど少なくない。戻ってきた彼女にきちんとそれを伝えて、彼女の背負っているものを分けて貰いたい。
そんな願いと共に、リリィは強く拳を握り締める。
「分かりました。それでは、私とルル君で中に突入しますから、マリアベルさんとナルミアさんは、外でサポートをお願いします。目標は、シルヴィアさんとその妹、ティアラさんの状況確認と、場合によってはその保護です。皆さん、力を貸してください!」
リリィの号令に全員が頷きを返し、各々行動を開始する。
まずは、別行動を取ったマリアベルが、ナルミアのサポートを受けて公爵家のセキュリティを改変、誤作動を起こす。
鳴り響く警報。慌ただしく動き回る多数の人の気配。
それらに紛れ、ルルーシュが記憶にある公爵家の使用人の姿を幻影として自身とリリィに被せ、喧騒に紛れるように内部へと侵入を果たす。
救援要請がどこから来ているのか、その座標を割り出し……そこに向かった二人を待っていたのは、何者の侵入をも阻むように聳え立つ、重厚な扉だった。
「流石に、施錠されてるね……どうやって開けるか」
物理的な重量によって力づくでの開閉を困難にするだけでなく、魔法による補強、許可のない者が触れた途端撃退する罠の存在など、異様なまでに厳重に閉ざされている。
これを突破するのは骨が折れる、と、ルルーシュが少々焦りを見せていると……。
「ルル君、退いてください」
「えっ」
リリィはここに来て自重を止め、腰の木剣へと膨大な魔力を注ぎ込む。
変身魔法の効果が切れ、その代わりに振り抜かれるはリリィの魔力剣。どのような魔法も、どのような物質もたちどころに破壊する、リリィの切り札だ。
切っ先が扉に触れると同時、叩き込まれる膨大な魔力。
漆黒の火花が視界を満たし、宮殿内を暗い明かりが満たすと同時――ズガァァンッ!!
公爵家の秘奥を隠すための扉は、あっけなく崩壊し砕け散った。
「さあ、急ぎましょう!」
「……あのねリリィ、確かに時間がないのも確かだけど、もう少し慎重に……ああもう、なるようになれ……」
せめてもの時間稼ぎにと、ルルーシュはリリィが破壊した扉を、幻影にて再構成。パッと見では破壊などなかったかのように装う。どうせすぐにバレるだろうが、やらないよりはマシだ。
それが済むと、扉の奥に続いていた、地下への階段を駆け下りていく。
長い階段を踏破し、その先にあった扉を、またもリリィが力付くで破壊して抉じ開け……
「……えっ」
そこに広がっていた光景に、声を失った。
「何者だ、貴様等。どうやってここまで来た」
そこにいたのは、一人の男。言うまでもなく、今回シルヴィアが話があると言っていた、彼女の実の父親である、ライボルト・ウィル・ランドールその人である。
そんな彼の足元には、更に二人の人物が倒れていた。
輝くような白い髪と、触れればそのまま消え去ってしまいそうなほど線の細い体をした少女――ティアラ・ウィル・ランドール。
そして、ウェーブがかった紫の髪と、普段であれば、年齢に似合わぬどこか大人びた妖艶な雰囲気を醸す少女――シルヴィア・ウィル・ランドール。
リリィが友人と呼び、親しい関係を築き上げようとしていた二人が今――血溜まりの中に沈んでいた。
「あ……あぁ……」
口の中から、小さく声が漏れた。
心の中がぐちゃぐちゃにかき回され、足元がガラガラと崩れ去っていくような錯覚がリリィを襲う。
二人との思い出が次々と蘇り、その一つ一つが粉々に砕け散っていく。
「リリィ――しっかり――力を――落ち着い――」
すぐそばで、誰かが必死に呼びかけている。
その声は確かに鼓膜へと届いているのだが、頭の中には全く入らない。
ただドロドロとした感情に押し流され、世界の全てが真っ赤に染め上がっていく。
「ぐっ……あっ……」
びきり、と、リリィの中で何かに罅が入った。
しかしそれを、本人は自覚する余裕すらなく。
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
ランドール邸の地下、奥深くで――途方もない魔力が、限界を超えて溢れかえった。




