第百十話 婚約者のスキンシップ
「いでででで! モニカ、悪かった、悪かったから離してくれって!!」
「あら、別に何も悪くないわよ? 妹が大切なのは私も同じだもの、仮に赤の他人でしかない私との約束があったからって? たとえ頼まれたというより、自分から任せろと太鼓判を押していたからって? まあ妹の手助けに比べたら大したことない些事に過ぎないものね?」
「あだだだだ!! 悪い、本当に悪かったよ!!」
魔道具研究会の部室で体を休めていたリリィの元に、買い出しを終えたユリウスがやって来たのだが、顔を見せるなりモニカに捕まり、背後から思い切り締め上げられていた。
最初は止めようとしたリリィだったが、本気で怒っているというより、どこかじゃれあっているような雰囲気を放つモニカの姿に止める気も失せ、大人しく兄を差し出すことにしたのだ。
「二人とも、本当に仲良しですね。まだ付き合ってないのが不思議なくらいです」
「お姉様、素直じゃないですから……私がそれとなく、ユリウスさんのことをどう思ってるか聞いても、バカとか脳筋とか単細胞とか、無神経とかお人好しとか、罵倒する言葉しか出てきませんし。そもそも、お姉様がそうやって容赦なく扱き下ろす人自体、ユリウスさんしかいないんですけど」
「なるほどー、だからあんなことしてるんですね。関節技にしては不自然な体勢だと思っていましたけど」
リリィの視線の先では、今尚モニカの手によって技が仕掛けられ、ユリウスが悲痛な叫び声を上げている。
しかし、技を仕掛けるその体勢はリリィの目から見ても分かるほどに不自然で、その気になればどうとでも抜け出せそうにも見えた。
最初は、本当に限界が訪れたら自力で逃れられるようにという、モニカなりの気遣いかとも思ったが……やけに体を密着させていること、彼女の顔がほんのり赤いことを見るに、これもまた一種のハニートラップ(?)のつもりなのだろう。
もっとも、肝心のユリウスは痛みのせいで体勢の不自然さにも、体に当たる女の子特有の二つの膨らみの感触にも気付いていないようだが。
「なんというか……不器用ですね、モニカさん。それとも、お兄様が鈍いだけでしょうか? いっそ、気付くように私が蹴っ飛ばした方がいいですかね?」
「あ、あはは……そ、それよりリリアナさん、それ、そろそろいいのではないでしょうか」
「あ、そうですね、そろそろです」
なんとも微笑ましい(?)兄や姉のやり取りを眺めるリリィとマリアベルの二人が何をしているかというと、ユリウスが持ち込んだ食材を使った料理である。
研究会の部室には、歴代の部員達が作り上げてきた数々の魔道具が納められており、その中に前世で馴染み深かったある物に似た品があったので、試しに使ってみることにしたのだ。
そう、中に入れた物を細かく砕き、あっという間に擂り潰してくれる便利アイテム――ミキサーである。
そこに、王国各地で病に効くとされている野菜をブレンドしてぶちこみ、ジュースにしたのが今回の料理だ。
食べ物ではないが、最初はこの方がとっつきやすくていいだろうという狙いである。
「ふふ、こうしてると昔を思い出します。小さい頃、こうやってお兄様とジュースを作ったりしてたんですよ」
その時は手絞りでしたけどね、と笑うリリィに、マリアベルは微笑ましそうに相槌を打つ。
「リリアナさん、お兄さんととっても仲良しですよね。ルルーシュさんがよく愚痴っていましたよ、『三人でいるとよく目の前でイチャイチャされてハブられる。僕婚約者なのに』って」
「えっ、そうなんですか?」
思わぬ情報に驚くリリィに、マリアベルは「はい」と頷きを返す。
マリアベルがルルーシュと魔道具や魔動器の共同研究をしているのは既に周知の事実だが、そこでそんな会話が交わされていたとは露ほども思わなかった。
「うー、確かに、私はよくお兄様に甘えちゃいますけど……でも、それは仕方ないと思います! お兄様に甘えるのは私の本能なんです、甘えないと死にます!!」
「そ、そうなんですか」
自信満々に胸を張り、それが自然の摂理であるかのように語るリリィに、マリアベルは曖昧に笑う。
後ろでは、未だじゃれあっていた二人の間で「あんた本当に妹相手にどういう教育してんの!? この変態!!」「いや、別に俺がどうこうしてああなったわけじゃないからな!?」「問答無用よ、悔い改めなさい」「ぎゃあああ!? ギブギブ!!」などと仲睦まじい(?)やり取りが展開されていたが、リリィやマリアベルは気にしないことにした。
「でも、ルル君も大切な家族に違いないですからね、まだそうなる予定っていうだけですけど、寂しがってるなら私が甘えさせてあげないと!」
リリィの中では、ルルーシュも既に家族の一員だ。家族が寂しい思いをしていると知って、放ってなどおけるはずがない。
相変わらず、ルルーシュのことを弟か何かだと思っていそうなリリィの口振りに対し、マリアベルはまたも曖昧な笑みを浮かべて内心を誤魔化しつつ、完成した野菜ジュースを専用の魔法瓶――本当に魔法の効果で保温・保湿される――に納めた。
「それでは、約束通りランドール家に向かいましょうか」
「はい、そうですね、ルル君ももう待ってると思います。それではお兄様、モニカさんも、また後で!」
「ええ、また後で。マリア、ランドール家の方々に、くれぐれも粗相をしてはダメよ」
「はいお姉様、行って参ります」
「いやちょっと待てリリィ、行く前に一度俺を助け……リリィ、リリィーー!!」
兄の悲鳴を部屋に残し、リリィは少しばかり手を合わせて黙祷を捧げる。
そんなやり取りを挟みつつ、準備万端整えた二人は、ルルーシュと待ち合わせた学園の校門まで移動した。
少々時間に遅れてしまったからか、そこには既に銀色の髪を持つ少年の姿があり、何やら考え事をしているのか、こちらに背を向けたまま空を眺めている。
早速声をかけようとしたリリィだが、まだこちらに気付いた様子がないのをいいことに、ちょっとした悪戯を思い付く。「しーっ」、とマリアベルに静かにするようジェスチャーを飛ばすと、そのまま気配を殺してルルーシュの後ろに回り込んだ。
「喘息ならコーヒー豆も効果はあるけど、そのままだと苦すぎるし、十八番の術式で調整を……でもあの様子じゃ大分慢性的な症状だし、出来るだけ簡単な物にしないと継続的な服用が……」
「ルール君!」
「うわっ!?」
後ろから飛びかかり、両手で彼の目を覆い隠す。
そのままそっと耳を寄せ、甘く囁くように言った。
「だーれだ」
「っ!!」
リリィとしては、少しばかりシルヴィアの真似をしただけだった。
自然と体ごと寄り掛かるような仕草に、甘く艶っぽい声。自分はやっぱり女の子なんだなぁと改めて自覚し、少しばかり後悔するリリィだったが、果たしてそうまでしてからかった効果はどうか。
すると、ルルーシュは横からでも分かるほどに顔を真っ赤にし、されど身動ぎ一つ出来ないまま声を上げた。
「り、リリィ!? いきなり何するのさ!」
「ふふ、正解です。いえ、マリアベルさんから、私がお兄様に甘え過ぎてルル君が寂しがってると聞いたので、それならもっとスキンシップをと思いまして」
「マリアベル!? 何バラしてんの!?」
顔から手が離れると同時、抗議の声と共に視界の端に映ったマリアベルへと振り向くが、そっと目を逸らされる。
どうやら、他人には言わないようにと二人の間で取り決めがあったらしい。隠し事は良くないと、リリィは頬を膨らませながら益々強く抱き締める。
「大丈夫ですよルルーシュ君、家族で触れ合うなんて当たり前のことです! ささ、存分に甘えてください!」
「いや、だから、まずは離れて……!」
遠慮も容赦もないリリィを前に、ルルーシュはひたすら戸惑うばかり。
リンゴのように顔を赤らめ、慌てふためく少年と、それを楽しげにからかう少女の姿を視界に納めながら、マリアベルは呟く。
「不器用、というか、無自覚過ぎますね……蹴っ飛ばした方がいいんでしょうか……?」
先ほどリリィが考えていた手段に出た方がいいのかと、半ば本気で考え込むのだった。




