第百五話 黒宮殿
「もう、シルヴィアさん、ルル君は恥ずかしがり屋さんなんですから、あまり悪戯しちゃダメですよ!」
「ふふふ、ごめんなさい、彼があんまり可愛らしいこと言うものだから、つい」
「それは分かります、ルル君はとっても可愛いです!」
リリィの勘違い(?)をルルーシュが何とか訂正することに成功した後、「そろそろ帰らないと」というシルヴィアの言葉を受け、見送りのために三人でランドール邸に向かうことになった。一度下級寮に戻っていつもの服に着替え、仲良く揃って歩き出す。
そんな少女達の髪には、出掛ける前にはなかったお揃いの髪飾りがそれぞれ一つずつ輝いていた。
貴族向けに作られたその品には、よく見れば防護魔法の魔法陣が刻み込まれており、目立ちにくいことから見た目を気にする令嬢達の護身具としても人気を博しているという。
そんな二人の髪飾りを選んだ当人であるルルーシュは、なぜか逆に容姿を褒められるという事態に「誰が可愛らしいだ、誰が」と文句をつける。
「リリィの方がずっと可愛いよ。だからもう一度言うけど、他の誰かと結婚する気はないからね」
「あはは、ありがとうございます」
お世辞だとでも思ったのか、軽く聞き流すリリィを見てがっくりと肩を落とす。
そんなルルーシュを見て首を傾げるリリィと、慰めるように肩に手を置くシルヴィアがなんとも対照的である。
そうして、それまでの確執を埋め合わせるように仲良くお喋りに興じながら三人で歩くことしばし。ようやく目的地へと到着した。
「さて、着いたわよ。ここが公爵家の本邸ね」
「うわぁお……これは、凄いですね……」
王都でもっとも豪華な建物と言えば、誰もが王城を思い浮かべる。
王族が住み、国の舵取りを行う中枢部が納められ、更にはそれらを守る目的で王立騎士団の本拠や訓練場すら存在するのだから、そう言われるのも無理はない。
だが、今リリィの目の前にある建物も、それに負けず劣らずの規模を誇っていた。
魔石と呼ばれる高価な石材をふんだんに積み上げて建てられた、漆黒の宮殿。
王城に比べれば確かに随分と小さいが、やはり家族一つとその使用人が暮らすにはあまりにも過剰な大きさのそれを囲うように、広大な庭が広がっている。
一体、ここを建てるためにどれだけの金が動いたのか……想像もしたくないと、リリィは頭を振った。
「そうだ、せっかく来たのだから、二人とも少し上がって行かない? 最近私が下級寮でばかり食事を採るからって、うちのシェフ達が気合を入れて作ったお菓子があるの、中々の出来映えだから、ご馳走するわ」
「い、いいんですか? 私達が入っても」
文字通り、住む世界が違うとしか言い様がない光景に、少しばかり気後れするリリィだったが、当のシルヴィアは涼しい顔で頷き返す。
「ええ、せっかくだし、紹介したい子がいるの」
「紹介したい子ですか……?」
誰だろうかと疑問に思うも、シルヴィアはまだ言うつもりはないらしい。
どうしようかとルルーシュを見て、小さく頷きが返ってきたのを見て、ようやくリリィも心を決める。
「分かりました、ご馳走になります!」
「ふふ、リリアナさんならそう言ってくれると思ってたわ。さあ、いらっしゃい」
妖艶に微笑み、二人を伴って門の中へ。
潜り抜ける際、門番と二、三言葉を交わし、そのまま進んだ先は花の迷宮だった。
外から見ても広い庭だと思っていたが、実際に足を踏み入れてみれば、背の高い生け垣が視界を遮り、見える目印といえば中央の宮殿だけ。複雑に入り組んだこの道を通り抜けられるのは、通い慣れた家人くらいのものだろう。
「ここはね、ランドール家の紋章を持った人間に対してのみ、道標が示される魔法がかかってるの。着けてみて」
そんなリリィの考えを見透かすように、歩きながら紋章の入ったペンダントを差し出して来るシルヴィア。促されるままに着けてみれば、途端にその視界に光が瞬き、空を舞う妖精が溢した鱗粉のようにその先の道を示した。
「おお、凄いです! ルル君、これ、見てください!」
「なるほど、この生垣自体に魔法がかけられていて、ペンダントの魔法陣と反応して道が分かるようになってるのか。光を出現させるというより、人の視界に表示させる魔法? 珍しいな……」
はしゃぎながら光を指さすが、ルルーシュが注目したのはそんなリリィの指先ではなく、瞳の方だった。
どうやらこの魔法は、ペンダントをかけた当人しか光が見えないようになっているらしい。ランドール家の魔法技術の高さを思わせる魔道具だ。
「無駄に凝った防犯対策でしょう? ちなみに、生垣を無理に破壊すると、その場で屋敷全体と騎士団本部に警報が飛ぶようになってるから、面倒になってもショートカットなんてしちゃダメよ?」
「あはは、警報が無くても、とても壊そうなんて思えませんよ」
リリィの視界に映る生垣には、七色の花を咲かせる精霊花や、鋭い棘を生やす薔薇に似た花、他にも様々な花々が咲き乱れ、美しい調和を為している。
庭師のトーマスを手伝って少し自分でも花の手入れをしたことがあるのだが、故郷の小さな庭でさえ、中々に大変な作業だったのだ。これほど広大な庭の花を全て手入れするとなれば、どれほどの労苦が日々支払われていることか。
そんな職人達の苦労を思えば、これを壊そうなどとはとても思えない。
「ふふ、それはいい心がけね。それじゃあ、少し長いけど、行きましょう」
ペンダントを返すと、再びシルヴィアの先導で歩き出す。
右へ曲がり、左へ曲がり、少し戻ったかと思えばまた反転。中々に面倒な道のりではあるが、視界に映る花のお陰か退屈することもなく、体感ではさほど時間もかからずに生垣の迷路を通り抜けた。
間近で見ると益々圧倒されるその本邸を前に一度振り返ったシルヴィアは、大仰な仕草で二人を歓迎する。
「お疲れ様。ようこそ、我がランドール家の誇る《黒宮殿》へ」
黒宮殿の中もまた、外観のイメージと変わらず豪華な造りとなっていた。
リリィも社交のための勉強として多少の審美眼を鍛えたのだが、ところどころに飾られた絵画や壺などの物品は、それ一つでアースランド家の年収が軽く吹き飛びそうなものばかりだ。
絶対に触らないようにしよう、と固く誓うリリィである。
「お嬢様、お帰りなさいませ。そちらの方々は?」
そうしていると、シルヴィア達に気付いた執事服の男性が歩み寄り、丁寧な礼と共にリリィ達二人を流し見る。
その瞳が忙しなく二人、特にリリィの服装を観察し……やがて、注意して観察しなければそうと分からないほど、僅かに嘲りの色が浮かんだ。
「お友達よ。アースランド家のご令嬢と、ランターン家のご子息。大事なお客様だから、丁寧にお願いね?」
「それはそれは、よくぞお出で下さいました。家人一同、歓迎致します」
シルヴィアの言葉に含まれた意図を敏感に察し、穏やかな笑みと共に歓迎の意を示す執事。
相変わらずよく訓練されているな、とルルーシュは内心で呟くものの、そんな心の読み合いが行われているとは露ほども気付いていないリリィは、すぐに笑顔でお辞儀を返す。
しかし、ルルーシュはあえてそうしなかった。
「ありがとうございます。公爵閣下やシルヴィア様には、いつも"対等"な取引をさせていただいておりますが、この上噂に違わぬ立派な宮殿に"友人"としてご招待いただき、感謝の念に堪えません。婚約者共々、どうぞよしなに」
「ええ、お嬢様のご友人方ともなれば、我々も真心込めて対応致しますとも」
少々の牽制と棘が含まれた挨拶に、執事の男は少々引き攣った笑みを浮かべる。
彼の言葉を要約するなら、「こっちはこの家の主人と付き合いがあるんだ、爵位が低いからって使用人風情が舐めた対応するんじゃないぞ」である。婚約者に侮蔑の目を向けられ、ややご立腹な少年であった。
そんなやり取りを見てくすりと笑みを浮かべるシルヴィアと、なぜかご機嫌斜めになった婚約者の様子に首を傾げるリリィ。
微妙な雰囲気が流れ始めたと見るや、執事の男は気を取り直したように三人を奥へと招き入れた。
「では、お茶をご用意致しますので、あちらのお部屋でお待ちください」
そうして通された部屋は、真心込めて対応する、という言葉を裏付けるように高級感溢れる応接室だった。
公爵家が普段から使っている部屋なのだろう。手入れの行き届いた部屋の様子を見たルルーシュは、お茶を淹れるために執事が退室したのを見るや、僅かに留飲を下げて鼻を鳴らす。
「ふふふ、本当に愛されてるわねえ、リリアナさん」
「へ? 何の話ですか?」
「こちらの話よ。ねえ、ルルーシュさん?」
「……そうだね」
シルヴィアに茶化され、ぷいとそっぽを向くルルーシュ。
何の話か全く分からなかったが、ひとまず二人が仲良しになってよかったと思うことにしたリリィは、赤くなったルルーシュへニコニコと笑みを浮かべた。
「それより、紹介したい人っていうのは?」
「そう慌てない、まずはゆっくりお茶でも飲んで過ごしましょう。今日はお父様もお爺様も出かけているから、焦る必要はないわ」
誤魔化すように尋ねるルルーシュだったが、シルヴィアにはあっさりと流されてしまう。
仕方なしに待っていると、先ほどの執事がお茶を持って現れ、呼び出し用のベルと一緒にテーブルへ置くと、「ではごゆっくりどうぞ」と言い残して去っていく。
中々手に入らない、高級な茶葉から立ち上る芳醇な香りに誘われて、ひとまずは彼女の言葉通り、ルルーシュもリリィもゆっくりとお茶を嗜むこととする。
「……紹介したい子っていうのはね、私の妹なの」
そうしてしばしの時間が流れた後、シルヴィアはそう切り出す。
ルルーシュは既に分かっていたことではあるが、リリィは驚きに目を丸くした。
「えっ、シルヴィアさんに姉妹がいたんですか?」
ランドール家に限った話ではないが、上級貴族、特に侯爵家以上になってくれば、貴族にとってその家族構成と名前くらいは知っていて当たり前の前提知識だ。当然、リリィとてそこは抜かりなく、きちんと頭に叩き込んである……つもりだった。
しかし、ランドール家にシルヴィア以外の息女がいるなどという話はついぞ聞いたことがなく、つい本当かと勘繰ってしまう。
「ええ、いるのよ。まあ、存在自体半ば隠されているようなものだけどね。たまに、社交のネタになるくらいよ」
「……どんな子ですか?」
「健気で、優しくて……でも体が弱くてね。魔法もほとんど使えないから、この家から出ることも無いのよ。知っている人には、“公爵家の幽霊”なんて呼ばれ方をされていることもあるわね」
「それは……辛いですね」
リリィとて、かつてはほとんど家から出られず、家族に迷惑ばかりかけていた身だ。存在自体が曖昧で、居ても居なくても変わらない状態だというのは、殊更に精神を苛んでしまう。
表情に影を落とすリリィに向け、「だからね」とシルヴィアは語り掛ける。
「出来れば、あの子とお友達になってあげて欲しいのよ。リリアナさんなら、きっと仲良くなれる気がするから」
「分かりました、任せてください! シルヴィアさんの妹さんのために、私が一肌脱ぎましょう!」
「ふふ、リリアナさんならそう言ってくれると思っていたわ。ありがとう」
ドンと胸を叩いて請け負うリリィに、シルヴィアはふわりと笑みを浮かべる。
いつものような公爵家令嬢としての大人びた笑みとは違う、ただ妹を想う一人の姉としての表情。
それを見て、リリィもまた柔らかく微笑むのだった。




