第百三話 フェリシア・ランターン
平民街の港付近、大きな船がシンボルのように停泊する桟橋の近くに、リリィの婚約者が生まれ育った家がある。
二階部分が生活スペース、一階部分が店舗として存在するこの店は、ランターン男爵家として叙爵されるよりも前から変わらずここにあり、日用品から外国の珍しい品までなんでも揃うというのが売り文句だ。
豊富な品揃えを実現するために店舗スペースも相当に広く作られており、休日ということもあってか人は多い。
「ルールくーん! 遊びに来ましたよー!」
そんな中でもお構い無く、大声で呼び掛けるリリィの声。
港で荷降ろしする男達のダミ声が飛び交い、それに負けじと客引きの声も大きくなるような街中では、僅か十歳の少女が出す声など大して煩くもないが、喜色満面で飛び込んで来た可愛らしい天使の姿が合わされば、否が応でも人目は引く。
それも、既に男爵となった家の息子を愛称で呼び捨てに出来るとなれば、その身分も察せるというもので……自然、リリィから件の少年までの道がサッと開かれる。
「リリィ! いらっしゃい、今日はどうし……え?」
想い人の来訪に、ルルーシュもまた笑顔で出迎えようとして……傍らに佇むもう一人の少女の姿を見て、笑顔のまま固まった。
帽子で大部分が隠されているとはいえ、隙間から僅かに覗く特徴的な紫の髪。
服装こそ質素だが、立ち振舞いから滲み出る高貴な身分特有の品位。
リリィが連れてくる可能性があり、かつそのような特徴を備えた人物となれば、ルルーシュは一人しか思い付かない。
「……あの、もしかしてそちら、シル」
「ルル君! 早速で悪いんですが、お部屋に上がらせて貰ってもいいですか? いいですよね!」
「えっ? いや、まあいいけど……それよりなんでシルヴィ」
「やったー! それじゃあ行きましょうか」
「え、ええ」
「いや、リリィ、僕の話を……ああもう、仕方ない、トトノ、後お願い!!」
「はい、了解しました」
近くにいた会計士に店番を押し付け、ずんずんと奥に進んでいくリリィを部屋まで案内するルルーシュ。
扉を開け、部屋の中へ足を踏み入れたリリィは、開口一番に感嘆の息を漏らした。
部屋中ズラリと並べられた本棚に、見ただけで頭が痛くなりそうな分厚い学術書や図鑑、更には手書きと思える文書の束まで押し込まれ、もはやちょっとした書斎のようになっている。
にも拘わらず、部屋の中を満たすのは紙とインクの匂いではなく、数多の動植物から採れた素材を混ぜ合わせた、特徴的な薬品の匂い。
これだけの書物を香りから塗り替えるとは、一体普段からどれほどの薬を調合しているのか、想像もつかない。
そうした事情もあるが、この部屋にはもう一つ、リリィの意識を捉えて離さない要素があった。それは――
「凄いですルル君……完璧に片付いてます! 部屋がとっても綺麗です!」
「いやリリィ、僕のこと何だと思ってるの?」
目を輝かせてややピントのズレた褒め方をするリリィに、ルルーシュはなんとも複雑な表情で苦言を呈する。
まさか婚約者に、片付けもロクに出来ないだらしない男だと思われていたのかと、少々自分の身なりを振り返るルルーシュだったが、リリィがそこに注目した理由は別にあった。
「だってルル君、こんなに本があって、しかも薬の調合もこの部屋でやってるんですよね? お母様だったら絶対にとっ散らかします!」
「あー……師匠はそういうとこだけは全然ダメだからね」
五年前の騒動で世話になって以来、ルルーシュはリリィの母・カタリナを師匠と呼び慕っていた。
面倒見が良く、可愛い一番弟子だと様々な薬の知識や技術を授けてくれた彼女とは、今も定期的に文通を続けている。
まさに才色兼備という言葉が相応しい、美しくも優しい賢者には、当然ルルーシュだけでなく実の娘であるリリィとて大変に懐いているのだが……そんな二人から見てもハッキリと分かるカタリナ唯一の欠点が、“掃除と片付けが出来ない”という点である。
何度使用人達が掃除を行おうと、その状態を一日とて維持出来ないことに定評があるカタリナの部屋を見慣れたリリィからすれば、同じような条件の私室が片付いているというのは大変衝撃をもたらすことのようだ。
当然、そんなリリィの気持ちが理解出来たからと言って、褒められて嬉しいかと問われればそんなことは全くないのだが。
「まあ、僕の部屋のことはいいよ。それより……シルヴィア様はどうしてそんな格好でうちに?」
気を取り直し、ルルーシュは再度、リリィの隣に立つ少女へと視線を送る。
それを受け、これまで黙り込んでいたシルヴィアは帽子を取ると、にこりといつもの笑みを浮かべた。
「ふふふ、バレちゃった。流石の洞察力ね、ルルーシュさん?」
「お世辞はいいよ、それより、何しに来たのさ」
ピリッと、僅かに漂う緊迫した空気。
取り付く島も無さそうに見えるルルーシュの態度に、シルヴィアは何も言わずにただじっと見詰めている。
このままでは埒が明かないと考えたリリィは、二人の間を取り持つべく口を開こうとするが――
「ルル、お友達が来てるの? お茶を淹れて来たんだけど、入ってもいいかしら?」
それよりも早く、優しそうな女性の声が聞こえた途端、二人の間に漂っていた空気は霧散した。
代わりに、シルヴィアは初めて目にする狼狽の表情を浮かべ、ルルーシュもそんな彼女を前に悩むような仕草を見せる。
そんな二人を見て、リリィは誰が来たのかをすぐに察した。
「はい、大丈夫です!」
「ちょっ、リリィ!?」
部屋主の意向も聞かず、扉を大きく開け放つ。
すると、そこには案の定、一人の女性が静かに佇んでいた。
ルルーシュと良く似た白銀の髪と、海を思わせる紺碧の瞳。
たおやかな肢体は少々不健康なまでに白く、触れれば折れてしまいそうな儚さを感じさせる。
一方で、リリィに向けられたその表情は太陽を思わせる明るさで満ち、成人だということを忘れそうな無邪気な色を宿していた。
この女性こそ、ルルーシュの母親であり、将来はリリィの義母になる人物――フェリシア・ランターンである。
「ありがとう。あら、可愛らしい、あなたがリリアナちゃんね?」
「はい! お初にお目にかかります、ルル君にはいつもお世話になっています!」
「ふふ、ルルからいつも話は聞いているわ。誰に対しても優しい、とっても良い子だって」
「えへへ、ありがとうございます。私がこうしていられるのもルル君のお陰なので、今後ともよろしくお願いします」
「こちらこそ、息子をどうぞよろしくお願いします」
にこりと明るく笑うフェリシアに、リリィもまた釣られて笑う。
初対面なのだが、どことなく雰囲気の似ている二人はすぐに通じ合ったらしい。
そんなやり取りを終えたフェリシアは、満を持してもう一人の客人へと向き直った。
「そちらの方は、シルヴィア・ウィル・ランドール公爵令嬢様ですよね? 息子のみならず、主人もお世話になっております」
お茶を乗せたトレイを抱えたまま、軽く膝を曲げることで礼を取る。
叙爵されたばかりの夫人とは思えない丁寧な所作に、リリィに対して浮かべていたのと変わらない朗らかな笑顔を添えて話しかけられたシルヴィアは、いつになく困った表情でそっぽを向いた。
「……あくまで、対等の取引を行っているだけよ、そんなに畏まらなくても大丈夫。それより、その……体は、大丈夫なのかしら?」
「はい、息子が随分と頑張って薬の研究を進めてくれていますから、最近ではすっかり外を出歩けるようになったんですよ。これも、ランドール家のご支援があればこそです、本当にありがとうございます」
「そう……良かったわね」
男爵家としての分を弁えつつも、決して壁を感じさせない見事なトーンで語るフェリシア。
一方のシルヴィアは、そんな友好的な態度にどう接したらいいのか分からないのか、その口調にはいつもの自信や妖艶さが感じられない。
「はい。ふふ、お口に合うかはわかりませんが、粗茶です。どうぞお召し上がりください」
では、ごゆっくり。
そう告げて、最後まで笑顔のまま部屋を後にしたフェリシアは、去り際に一つ、ルルーシュにウィンクを残した。
そのお茶目な仕草に、どのような意味が込められていたのか。頭を掻いた少年は、母の残したお茶をそれぞれの令嬢へと差し出した。
「ルル君のお母さん、魔力不感症とは聞いていましたけど、元気そうでよかったです」
「まあ、あれからもう五年も経ったからね。いい加減病弱な体は飽きたって、最近じゃ結構運動もやってるよ。今日も朝っぱらから店の前を全力疾走して、近所の人に驚かれてた」
「そ、それはまた、パワフルですね……」
見た目だけなら深窓の令嬢もかくやという儚げな美女だったのだが、中身は中々に活動的な女性らしい。
人は見かけによらないなぁ、などと呟いてみれば、ルルーシュからは返答代わりの溜息を一つ。
どういうことかと首を傾げるも、どうやら彼は教えてくれるつもりはないらしい。
「……それで、話の続きだけど。シルヴィア様は何をしに……いや、なんで連れて来られたのさ」
大体予想はついてるけど、と、ルルーシュは愛する婚約者へ視線を向ける。
朴念仁を地で行くリリィとて、流石にその視線の意味は理解出来たのだろう。誤魔化すように頬を掻いた。
「二人に、仲直りして欲しいなと思いまして。ルル君だって、シルヴィアさんを本気で恨んでいるわけじゃないですよね?」
「それは……まあ……」
「だから、ここはお互いにごめんなさいして、それで仲直りしましょう!」
ね? と二人に視線を向ければ、それぞれが複雑な表情で顔を俯かせる。
ルルーシュの母が病で失った力は大きく、仲違いしたまま積み重ねてしまった五年という歳月は、僅か十歳前後の二人にとってあまりにも長すぎた。“仕事”の話ならばスムーズに出来ても、“友達”としていざ仲直りとなると上手く言葉に出来ないらしい。
これはきっかけが必要かと、そう考えたリリィは、二人に断りを入れて一時部屋を後にする。
気まずい沈黙が支配する部屋の中、ドタバタと戻って来たリリィの手にあったのは、そこそこ高級な箱に入れられたカードの束だった。
「じゃじゃん! フェリシアさんに借りて来ました、トランプです! これで勝負しましょう!」
「勝負?」
「はい! これで一位になった人は、他の二人に何でも一つ命令できます!」
リリィの発言に、ルルーシュはなぜか顔を赤くし、シルヴィアは怪訝な表情を浮かべる。
一位になった人が、他の二人に命令するということは……。
「リリアナさん……まさかとは思うけど、私達にトランプで勝つつもり?」
「当然です! けちょんけちょんにしてやります!」
「勝負の内容は?」
「ババ抜きです!!」
ぐっと拳を握りしめ、リリィは宣言する。
二人とも優秀なことには違いないが、リリィは一応、精神的には成人しているほどの年月を生きているのだ。ゲームでお子様に負けるはずがない。
割と本気でそう思っていた。
「「…………」」
「な、なんですか、そのかわいそうなものを見る目は! 私に勝ち目がないとでも言いたいんですか!?」
「「当然でしょ」」
「えぇぇ!?」
異口同音に断言され、リリィはがっくりと膝を突く。
とはいえ、一度言った言葉を覆すつもりはないようで、再び二人にトランプを突きつける。
「いいですから、やりましょう!! そして私が勝って、二人を絶対見返してやります!!」
「ねえ、目的が変わってないかしら?」
「気にしたら負けだよ、多分ね」
ぷんすかと可愛らしく憤慨するリリィの勢いに押される形で、二人も渋々ゲームに参加する。
……結局、先に三勝した人が勝ちというルールで始め、決着がつくまでの間、リリィが一度として最下位から脱出出来なかったのは、言うまでもない。
人生であまり喧嘩ってしたことないので、実は仲直りの仕方と言われると返答に困る作者(;^ω^)




