第一話 プロローグ
注)この作品は前作『神様の勘違いで女の子に転生しちゃいました』のリメイク版という立ち位置ですが、そちらとは大幅に設定が異なっております、ご留意ください。
「きゃー! 可愛いー!」
穏やかな秋の昼下がり。とある街中の服飾店で、黄色い歓声が響き渡る。
家族連れに人気のこの店は、休日ということもあってたくさんの人が押しかけていたため、当然の結果としてそのような声は注目を集めた。
視線の先にいたのは、恐らく学生であろう数名の少女達。試着室の前に陣取っており、彼女達自身の体に遮られて姿こそ見えないが、中から出て来た誰かをやたらと褒めちぎっているようだ。
年頃の女の子なら、買い物でテンションが上がってしまうのも仕方ないかもしれないが、それにしてもこのような場所で騒ぐのは非常識だろう。
そんな正義感からか、一人の男性が彼女達に険しい表情で近づいていく。
「君達、公共の場では静かに……」
しかし、男性の言葉は不自然に途切れ、その場で硬直した。
一体どうしたのか? と、遠巻きに眺めていた人達もチラチラと男性の視線の先を追い……そして、同じようにその動きを止めてしまう。
人々の視線の先には、一人の少女(?)が立っていた。
黒を基調とした丈の短いワンピースに、フリルの付いた白いエプロンを組み合わせたエプロンドレスを身に纏い、頭の上にはこれまた白のカチューシャを載せたその装いは、所謂メイド服だろうか。
サラリとした艶のある黒髪、透き通るような白い肌、中性的な顔立ちは何かを堪えるようにぷるぷると震え、今にも泣き出しそうな表情がなんとも庇護欲をそそる。周りの少女達に比べても小さな体格と相まって、まるで小動物のようだ。
目の覚めるような美少女……というわけではないが、見ているだけで、誰もが思わず守りたくなってしまうようなオーラを全身から放つ彼女は、未だに固まったままの男性と目が合うと、勢いよく腰を折った。
「ご、ごめんなさい! あの、みんな悪気があったわけじゃないんです、ただちょっとその、今日をすっごく楽しみにしてたみたいで……その、ごめんなさい!」
「あ、ああ、うん……次からは気を付けてね?」
「はい、ご迷惑おかけしました!」
ペコペコと謝るメイド少女の姿に、男性もすっかり毒気が抜かれ、軽い注意を促すのみに留めてしまう。
周りにいた他の少女達も、謝り倒す彼女の姿に慌てて「蒼ちゃんは悪くないって!」「私達がつい騒いじゃっただけで、この子は悪くないんです、ごめんなさい!」と素直に謝罪を告げたことで、大きな騒ぎになることなく、その場は収められた。
遠巻きに集まっていた人達も、可憐なメイド服姿の少女にしばし目を奪われたものの、それ以上特に何をするでもなく、三々五々散っていく。
そんな店内の様子にほっと息を吐いた彼女は、こんな状況になった元凶である周りの少女達を、キッ! と睨みつけた。
「もうっ、だからやめようって言ったのに~!」
「あはは、ごめんね、蒼ちゃん」
ただし、体格のせいでどうしても下から見上げる形になる上、周りの迷惑を考えてか、やたらと小声で文句を付けているせいで、その姿には欠片ほども迫力はない。むしろ可愛らしい、ご褒美だと言わんばかりに、詰め寄られた少女は鼻の下を伸ばしている。
「でも、さっきの男の人、完全に蒼ちゃんを女の子だと思ってたよね~」
「うん、さっすが蒼ちゃん、うちのクラスのアイドルなだけあるよね!」
少女達の言葉に、うっと言葉を詰まらせる。
そう、彼女ではなく、彼――照月 蒼は、メイド服に身を包んではいるが、本来はれっきとした男の子なのだ。
同年代の少女達と比べても頭一つ分以上小さな身長に、女性ならば誰もが羨むほどの髪質と肌艶を持ち、更にはその可愛らしい仕草のせいで何かと誤解されがちだが、彼自身は自分を女の子だとも、女の子になりたいとも思ってはいない。
ではなぜ、こんなところでクラスメイトの少女達にメイド服を着せられているのかと言えば、それは昨日、放課後のホームルームの時間まで遡る。
この季節、彼らの学校では毎年文化祭が執り行われているのだが、その出し物について話し合われた際、男子の一人がこう切り出したのだ。「メイド喫茶にしようぜ!」――と。
当然、次の瞬間には女子一同からの大ブーイングが巻き起こった。
ただの喫茶店ならいざ知らず、メイド喫茶ともなれば当日の接客はほぼ女子任せ。男子にとっては目の保養にもなって二重の意味で美味しいが、破廉恥な服装で仕事まで押し付けられる女子としてはたまったものではない。
加えて、話し合いの進行を担うクラス委員長が女子となれば、そのような不平等な案が通るわけがない。一考の余地もないまま、直ちに却下される、はずだったのだが……。
「だが待てお前ら! メイド喫茶にすればな……照月のメイド姿が見られるんだぞ!」
という爆弾発言によって、話の流れは変わった。
メイド喫茶推進派の男子一同、それに反発していた女子一同はもちろんのこと、それまで学園祭など興味ないと言わんばかりに他所を向いていたヤンキー風の少年や、物静かな図書委員の少女までもが、熱の籠った視線を蒼へと送る。
唐突に話を振られた蒼としては、「なぜ?」という気分だ。何せ、自分は男。どこをどう間違っても、野郎がフリフリのメイド服を着て喜ぶ人などいないだろう。そのはずなのだが……。
「いいわねメイド喫茶! やりましょう!」
「おっしゃあ! 決まりだな!」
なぜか、本人の意志はすっ飛ばし、あれよあれよという間にメイド喫茶を開く流れが出来上がっていく。それも、『蒼ちゃんのラブリーメイド喫茶』などという、とんでもない名称の喫茶店だ。
当然、蒼は全力で反抗した。それはもう、下手をすれば男としての尊厳が失われかねないのだ、必死にもなろう。
しかしながら、幸か不幸か幼い頃よりずっと、それこそ親戚にさえも女の子と間違われ続けたことで、妙な耐性があったこと。そして、悪戯や嫌がらせではなく、クラスメイト達が本気で蒼のメイド姿を見たがっていたことで、その熱意に負け……ついには、本当にその案が通ってしまったのだ。
通ってしまったからにはやるしかなく、そのためには、メイド服がいる。
そういう理由から、今日はクラスメイトの少女達と共に、こうしてメイド服を選びに来たわけだ。
どうしてこうなったと、頭を抱えても仕方がない。
「でもさ、蒼ちゃん、本当に似合ってるよね。凄く可愛い!」
「うんうん、正直羨ましいくらい。ああもう、私も男に生まれていれば! 蒼ちゃんをお嫁さんに出来たのに!」
「そ、そうかな? 僕は一応男だから、出来ればお婿さんがいいんだけど……でも、ありがとう」
しかし、人間望む形と違えど、褒められれば嬉しいものだ。
これがお世辞やからかい混じりならまた違ったのだろうが、蒼を取り囲む少女達の熱っぽい視線を見れば、本音百パーセントであることは疑うだけ野暮だろう。
心からの称賛に、蒼もまた心からの笑顔で応えるのだが、そのはにかむような愛らしい笑顔は、彼女達のハートを容赦なく打ち抜いた。
そんな仕草ばかりしているから、いつまで経っても女の子扱いされるのだが、当の本人にその自覚はない。
私達を萌え死なせるつもりかと、蒼からすれば甚だ不本意な抗議を受けながら、彼等はそのままメイド服をいくつか購入し、店を後にする。
それなりに嵩張る代物であったため、蒼としては当然男である自分が荷物持ちをしようと思っていたのだが、それはクラスメイトの少女達によって却下された。曰く、「蒼ちゃんに荷物持ちなんてさせられない! 大丈夫、私達力持ちだから!」とのこと。
事実、小柄な蒼よりも彼女達の方が力が強いのでぐうの音も出ないのだが、扱いは完全に小さな女の子に対するそれである。クラスメイトの優しさが目に染みて仕方がない。
「それにしてもあの店、メイド服なんてよく置いてあったよね~。しかも蒼ちゃんにピッタリのやつ。絶対オーダーメイドになると思ってたのに」
「ねー、本当にラッキーだったよ」
「これで無事、蒼ちゃんのメイド喫茶が開けるね!」
「せめて、僕のメイド喫茶って言うのはやめてぇ」
よほどメイド服が買えたことが嬉しいのか、今にもスキップしそうな勢いの少女達に、蒼は僅かばかりの抗議を行う。
しかし、彼女達もまたさるもので、蒼を上手く煽て、メイド喫茶に乗り気にさせる方法は熟知していた。
「まあまあ、私達も一緒にメイドさんになるからさ。みんなでやれば、コスプレ大会みたいできっと楽しいよ!」
「そうそう、いっそ他の男子たちもメイドにしてさ、みんなで記念写真とか撮っちゃおう。運動部の連中とかさ、あの体格でメイド服着たら凄い事になるよ、きっと」
「それは……ふふ、確かに楽しそう。言い出しっぺのみんな巻き込んで、僕と一緒にうんと恥ずかしい思いさせてやるんだから!」
「その意気その意気」
蒼は基本的に、みんなと一緒に何かをするのが好きで、みんなの笑顔が自分の笑顔だと言って憚らない。
その明るく前向きな性格と、頼まれごとにも笑顔で応じる優しさこそが、彼の人気の秘訣と言っても過言ではない。
唯一、女装に関してだけは消極的だが、それもこうして何だかんだで引き受け、休日を潰してまで足を運んでいる辺り、中々に筋金入りだ。
メイド喫茶を行う上で、見世物になる以外の楽しみを喜々として語る少女達の笑顔に釣られ、先ほどまでの諦観と悲哀の混じった表情はどこへやら、あっさりと笑顔を浮かべ、ノリノリで少女達との会話に興じている姿を見れば、道行く通行人ですら彼を男とは思うまい。
そうして、楽し気に会話しながら歩く蒼達の前を、不意にボールが転がって行った。
「うん?」
「待て~!」
一体なんだと、足を止めた彼らの前を、続けて子供が駆け抜けていく。
無邪気にボールを追いかける姿に、少女達は相好を崩すが……その先に映った光景は、彼女達を戦慄させるには十分だった。
道路にまで転がり出たボールと、それを追う子供。そして――それに気付かず、大型トラックが突き進んでくる光景は。
「危ない!!」
それを目にして、咄嗟に動けたのは蒼だけだった。
ボールを追いかける子供の体を強引に掴み、迫り来るトラックの影の外へと突き飛ばす。
かなり乱暴なやり方になってしまったが、幸いにして、倒れる際に頭を打った様子はなかった。
やけにゆっくりと動く世界の中、それを確認して、ほっと息を吐き――そんな蒼の体を、凄まじい衝撃が駆け抜けた。
(あ……)
自分が轢かれたのだ、と気付いた時には、既に天地はひっくり返り、どちらが上か下かも分からなくなっていた。
衝撃のせいか視界は歪み、痛みすら感じない。
(僕……死ぬ……のかな……?)
薄れ行く意識の中、走馬燈のように過去の記憶が脳内を駆け巡る。
『ふむ、新しく来た死者の魂か……ええと、書類はどこへやったかな……ああ、あったあった』
女々しいとか男らしいとか関係ないと、その在り様全てを肯定してくれた愛しい家族。
『うん? 何じゃこれは、記載内容が間違っておるではないか……やれやれ、しょうがないのぉ、直しておいてやるか』
カッコよく、男らしくなるためにはどうしたらいいと、馬鹿らしいことにもいつも親身に相談に乗ってくれた友人達。
『これでよしと……ふむ、死因は子供を庇ったことによる交通事故か。若いのに立派なことじゃ』
自分に対する扱いに不満はあれど、基本的には気の良いクラスメイト達。
『儂の立場からは、大したことはしてやれんが……次のそなたの人生に、幸多からんことを祈らせて貰うよ』
彼らとの思い出を一つ一つ思い出し、蒼は死に行く体で、小さく呟いた。
「みん、な……ごめん……なさい……」
その声を最後に、蒼の意識は完全に闇に閉ざされる。
事故現場となった道路に、先ほどまでとは正反対の、少女達の悲痛な叫び声が響き渡った。
『お嬢ちゃん』