悲しみを抱いて
古より続いた魔王軍と人類の戦い……。
数千年もの間均衡を保っていた両戦力であったが、それまで周期的に神々によって召喚されていた、圧倒的な戦闘力を誇り勇者として崇められる存在が一向に現れず、その均衡は脆くも崩れ去ってしまう。
この好機を見逃す筈もなく、人類の力を遥かに凌駕する強大な魔力と、人外の圧倒的な身体能力を誇る化け物の集団である魔王軍は、その力差にものを言わせ、永きに渡り最前線の戦場となっていた、人類と魔王軍の国境を突破したのだった。
国境は世界各国の主力部隊が守りを固める難攻不落の要塞……その防衛部隊の決死の抵抗により、魔王軍の侵攻は国境の周辺の街や村の占領だけに留める事に成功、人類の被害は辛うじて最小限に抑えられたのだった。
その後、魔王軍はこの国境の要塞「クレモア」を拠点として少しづつ領土を拡大して行った。
この現状を打開すべく、人類は残る戦力の全てを結束させ、魔王軍に対する抵抗戦を画策しているのだった。
そして……。
要塞クレモアから東に数kmの地点に位置する、人口およそ100人程度の小さな村「ロングード」そこは魔王軍の侵攻により、甚大な被害を被っていた。
そして今まさにロングードは滅びようとしていた。
「……うぅ、川田……私の可愛い孫……」
焼け落ちる家屋の下敷きとなった老婆は、顔をクシャクシャにしながら泣く少女へ、最後の力を振り絞るかの様に声をあげる。
「川田、お前だけでも逃げなさい……」
「そ、そんな……おばあちゃん、いやぁ……いやです」
川田と呼ばれた少女は、泣きながらフラフラと老婆の所へ近付こうとする。
「くっ、くるんじゃないよ!このっバカ孫がぁ!」
「ひぐっ?」
突然怒鳴られた川田はその場で立ち止まる。
「どうして?おばあちゃん……今助け……うぅっ……」
川田が一歩踏み出そうとした刹那、家屋が完全に倒壊し老婆の姿は燃え盛る炎へと消えてしまった。
目の前で肉親が、そして故郷が失われた川田は辺りを取り囲む魔王軍の存在など、気付くはずもなかった。
「人間の生き残りがいたか?ゲヒヒっ、こいつも殺して食っちまおう」
醜悪な表情で涎を垂らす魔物達、彼らは魔王軍の中でも最下級の戦士として位置付けされている「コボルト」と言う、犬の頭部を持つ獣人であった。
川田を囲んだ4体のコボルト、彼らの持つ血塗れのショートソードは、炎の揺らめきに照らされて酷く不気味な輝きを放っていた。
「活きはあまり良さそうじゃねぇが、繁殖出来る様だから拠点まで連れて行きますか?」
「おぉっ?いいねぇ?貧相な身体してるが交尾するのには問題も無さそうですぜ?ぐひひ」
下っ端コボルト達が隊長コボルトに下卑た提案をする。
魔王軍は異種交配を全面的に禁止している。これは異種交配によって起こり得る突然変異を防ぐ為と言う、魔王が直々に定めた軍規である。
突然変異によって勇者が誕生する可能性は万が一にも許す訳にはいかなかったのだ。
「ばーか、軍規を破ると我らとて処刑されてしまう事ぐらい貴様も知っているだろう?」
「それもそうっすね、本当に魔王様の考えは理解出来ない……」
「まぁそう言うな、魔王様なんざ我々一兵卒からしたら雲の上の存在だ、そもそも頭の出来が違い過ぎるんだよ」
「そうすね、それじゃあこいつ、バラしますか?」
「そうだなぁ?残念だけど仕方ねぇか?」
隊長コボルトは言葉とは裏腹に、興奮気味に川田の肢体を舐めるように見回す。
「まぁアレよ?……いつも通り、犯して始末するぞ?」
隊長コボルトの言葉が合図となり、4体のコボルト達は我先へと川田に向かって飛び付いた。
川田より一回り大きいコボルトに押し倒された川田は、抵抗すること無くその場に尻餅をついてしまった。
「……」
川田は叫び声ひとつ上げなかった。恐怖の為に声が出なかった訳では無い、川田は全てを諦めてしまっていたのだ。
「おー?随分と大人しいじゃねぇか?それじゃあ、遠慮なくいかせてもらおうか?」
下っ端コボルトが気を利かせ、一番槍は隊長コボルトに譲られた。
魔物と言えど一国の軍隊に所属する彼らには確かな上下関係が構築され、円滑な作戦遂行を可能にしているのだ。
興奮が頂点に達した隊長コボルトは更に熱く荒い息を吐く。獣独特の野性的な獣臭が鼻をつき、川田の表情が歪む。隊長コボルトはそんな川田の顔を見て満足気な表情になる。
「ぐあぁ?」
そしてそれが隊長コボルトの最後の姿となった。川田に夢中になっていたコボルト達が、背後から迫るその脅威に気付くはずもなく、あっさり隊長コボルトの頭部は宙を舞った。
「た、隊長!?」
コボルト達は突然の出来事に半ば混乱状態で、はね飛ばされた隊長コボルトの頭部へと駆け寄る。
「危なかった……1人でも多くの国民を救う、それが私の使命だ」
この状況において異質とも言える程冷静な言葉は、 確かな信念を感じさせる声であった。
「大丈夫……とは言い難いか」
川田は隊長コボルトの返り血を頭から浴びて、顔面を真っ赤に染めながら視線を泳がせている。
「……まぁいい、この場の敵を殲滅し君を城まで連れて行く、詳しい話はそれからという事にしよう」
川田の返事を聞かずに話を完結させるその女は、鮮血を思わせる真紅で重厚な鎧を身に纏っているが、兜は被らず腰まで降りた金色の長髪が炎の光を反射して美しく輝いている。
「グケケ、聞いたか相棒?人間1人で俺達3人を殲滅するだとよ?」
下っ端の中でも割と粋がっているコボルトが、ニヤけた顔で無警戒に女の鎧に手を伸ばした。
コボルトの手が鎧の胸の部分に触れるや否や、コボルトは縦一文字に切り裂かれ血を撒き散らしながら、真っ二つとなってしまった。
突然の出来事にコボルト達は我が目を疑った。
下っ端とは言え魔王軍の侵略部隊の一員であるコボルト、こと殺し合いに対しての経験や知識等は、並の人間や魔物には負けていないという自負があった。
コボルト達は目の前の美女を甘く見ていた、隊長が殺られたのは油断していたから、相当な重量が有るであろう鎧を装備した、しかもひ弱な人間の女の攻撃など、油断さえしていなければ見切るのは容易いと……。
「み……見えなかった」
そう声を絞り出すのがやっとであった。端で見ていたコボルトですら女の攻撃の出処すらも見えなかったのだ。
コボルトに備わる野生の勘が、この場から1秒でも早く立ち去らなければならないと警笛を鳴らしている、この人間とは戦ってはならない……しかし警笛を鳴らすのがあと数秒程遅かった事をコボルト達は知る由もなかった。コボルト達が後ず去ろうと左足を後ろへ下げようとした時、彼女の戦闘は終わりの鐘を鳴らしていたのだ。
「悪いが魔王軍は一体残らず殲滅させて貰う、逃げる敵にも容赦は出来ない」
そう言うと、女は何かを鞘に収める。
同時に2体のコボルト達は、胴体を横一文字に切り裂かれ物言わぬ肉塊となる。
「キミ、立てるか?私はラディウス国の騎士、レイア、国王陛下のご命令により、クレイモアの周辺の村の生存者を保護する為にやって来た」
レイアは川田の腕を取り起き上がらせる。
川田は力無く立ち上がると燃え盛る村を見つめ、再び涙を流した。
「……すまないもう少し到着が早ければ……」
レイアはなんと声をかけるべきか分からず、戸惑ってしまった。
「……いえ、貴女に責任がある訳では無いです……私に力が無かったから……おばあちゃんも村の皆も、いなく……なって……」
嗚咽を漏らしながら川田はとぼとぼと歩き、コボルトの持っていたショートソードを拾った。
「もう、生きていても仕方ありませんから……」
川田は自らの喉元にショートソードを突き付ける。僅か数時間程で全てを失った川田に、もはや未練など無く生きていく術も無かったのだ。
「なっ!馬鹿な事はやめろ!」
レイアは慌てて川田の腕を掴む、予想される抵抗は無く容易に川田の持つショートソードは地面に落ちる。
「は、離して下さい……い、痛いっ!」
レイアは軽く川田の腕を掴んだつもりだったが、あまりにも非力な川田にとっては万力に挟まれる程の圧力であった。
「あ、あぁすまない、だが自害なんて考えるな……その、アレだ、キミはこの国の大事な国民であり、えっとぉ……将来優秀な兵士となって世界の為に共に戦う同士なのだから!」
レイアはたどたどしくも川田を説得しようと頑張るが、どう見ても説得になってはいなかった。
「兵士?私がですか?喧嘩なんてしたことも無い、ましてや相手の……相手の命を奪う事なんて、私に出来ますか?」
「え?あぁ!勿論だ、きっと素晴らしい兵士になれるだろう、私が保証するさ」
レイアは再び川田の手を取る、なるべく優しく握手をした。
「そうと決まれば早速ここを離れよう、まだ近くに魔王軍の幹部が居るかもしれないしな?」
そう言ってレイアは川田の手を引いて村から離れようと歩き出す。川田も抵抗すること無く後に続いた。
「……」
しかし川田は自殺を諦めたわけではなかった、レイアと一緒にいると自殺は難しいと判断した川田は、レイアと離れるまでの間の辛抱と割り切ることにしたのだ。
「あぁそうだった」
レイアは突然立ち止まり川田の手を離すと、真っ直ぐ川田に身体ごと向けて腕を差し出し握手を求めた。
「改めて自己紹介させて貰う、私はラディウス国の騎士レイアだラディウス城迄の道中、私が命にかえても君の事を守る!以後、宜しく頼むよ」
「……川田です、よろしくお願いします」
川田は力無く握手に応じた。
「よし!それでは出発だ、まずは東にあるスモールードの町までで行き、旅の仕度を整える、スモールードからラディウス城まではかなりある、私の足でも3日かかった程だ」
現在川田達のいるロングード村は魔王軍の占領下にあり、そこから更に数km東にある「ラディウス領スモールードの町」は現時点での最前線の拠点であり、各国の精強な部隊が集結している紛争地域である。
川田とレイアの目指すラディウス城は更に東の地にあり、山を一つ越えなくてはならない。
それに加えて、魔王軍の追撃の可能性や魔王軍の幹部の存在など、不安要素満載の二人旅が始まった。
「あの……血、拭いても良いでしょうか?」
世界の運命を左右するであろう、小さな1歩が今、踏み出されたのだ。
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