優翔 L3-2
香椎のあの表情を見てから、どうにも彼女の事が気になって仕方のない自分がいた。
最初の印象から冷徹な血の通っていないロボットのような女だと思っていた。でもあの瞬間、自分の中で香椎の身体中に一気に人間らしさというか、血が駆け巡り感情が宿っていくように感じた。
おいおいだめだぞ。こんな様子じゃ梶にまた暑苦しく絡まれてしまう。
あっという間に一日が終わっていく。
結局僕は彼女に一言も話しかける事は出来なかった。チラチラと横目で確認するだけで意気地のないうじうじとした自分自身に苛立ちを覚える。
しかし同様に、彼女も何度かこちらの方を見ていた瞬間があった。別に自分だけではないのかもしれないし、自分だけに向けられているという自意識過剰ぶりには少々吐き気を覚えるが、気のせいではなかったと思う。だが、ついに彼女から話しかけて来る事もなかった。
どうしてこんなにも香椎が気になる。少し見られただけじゃないか。おかしいぞ。
自分でもこの感情に納得がいかない。だったら、納得させるしかない。
――でも、なんて話しかけたらいい。
意識すれば意識するほど頭の中の自分が行き詰まる。
「どうしたんだい、悩める少年よ」
何かが自分の首に巻き尽き、そのままぐいっと引き寄せられる。ぶわっと梶の熱気に包みこまれる。
「手助けが、必要かい?」
「おえっ、きもっ」
「ショック! ふぁーーー!」
「とにかくお呼びじゃない。離れよ」
「うぅ……ひどす……」
暑苦しいしのでお気持ちだけで結構です。
めそめそ噓泣きしている梶に少しばかり感謝しながら、僕は一歩を踏み出した。どうせ自分に小手先の技術などない。小細工をしかけようがきっと無意味だろう。どう転んでも響かないなら、逆に何も気にすることなどない。僕は帰り支度を始めようと席を立つ彼女に思い切って声をかけた。
「あのさ」
香椎の動きが止まった。
「何か、言いたい事でもあったの?」
あの時の顔が、どうしても頭から離れない。その意味を知りたかった。
無視される。されてもそれはそれだと覚悟は決めていた。止まってくれただけ上出来だ。 香椎は、くるっと首をこちらに向けた。また、あの表情だった。
「……優翔」
「え」
彼女は顔を前に戻した。もう彼女の表情は見えなかった。
答えを知りたかったのに、更に答えは遠ざかった。しかも、思ったより遥か遠くへ。
――なんだよ、今の。
小さく、だが確かに彼女は僕の名を呼んだ。
自己紹介などしていない。藤林は僕の苗字しか言っていない。仮に教室内の会話で僕の名前を耳にしたとしても、初対面の僕を急にそんな風に名前で呼ぶのは、絶対におかしい。
――どういう事だ。
彼女の心へと踏み込もうとした足は、完全にすくんでしまった。