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Loop end 2

 不思議な感覚だ。

 目の前に母さんがいる。でもそれは母さんの姿をした香椎静華と母さんが入り混じったもので、横にいる香椎静華も同じ存在なわけだ。

 玄関口できょとんとした顔でこちらを見つめる母さん(香椎?)は、まるで魂が抜けたような表情をしている。


「っぐ……」


 急に真横から一瞬うめき声がした。横にいた香椎が頭を抱え急にうずくまってしまった。


「おい、大丈夫か!?」


 そう声を掛けた直後、目の前に呆然と佇んでいた母さんの方からも同じように苦痛の声が聞こえた。

 まさかこれは、互いの意識が元に戻ろうとしているのか。


「もう、大丈夫」


 先に声を発したのは横でうずくまっていた香椎からだった。


「そうか、良かった」


 むくっと立ち上がり、香椎は僕に向かってすうっと薄く笑った。


「ダメ!!」


 途端、母さんの大声が家に響き渡った。

 

 ――しまった。


 僕はその声で把握した。

 元に戻った。つまり今横にいるのは、香椎の姿をした母さんではなく、香椎静華本人なのだ。

 慌てて僕は視線を横に戻す。笑顔のままの香椎がそこにいた。


 ――だめだ。


 ずっ。


「いっ!」


 腹部に香椎の拳が突き立てられた。


「いやああああああああああ!!」


 母さんの悲鳴。

 僕の腹部に香椎の握っていたナイフが刺さっていた。


 ――あぶねぇ……。


 だが寸前の所で後ずさった事で刺さりは甘く、咄嗟に突き出された香椎の手を掴んで止める事が出来たおかげで傷は浅く澄んだ。しかし刺さった傷口とナイフの刃を握った左手からは血がだらだらと流れ落ちていた。


「……か、しい!」


 駄目だ。今度は失敗出来ない。

 繰り返した記憶の中で、この家にたどり着いた記憶のある7月7日は自分の中で二、三度しかなかった。だがそのどちらもが香椎に蹂躙される終わりだった。それ以外も、記憶にないだけで結末は同じだったはずだ。


 ――もう失敗出来ない。


 この世界から抜け出すために。また皆で幸せな毎日を送る為に。


「ああああああああああああ!」


 僕は香椎の身体を前に蹴飛ばした。飛ばされた香椎の身体は思い切り壁にぶつかり、ぐふっと声を漏らしその場に崩れた。ナイフが抜かれた腹部からはさっきよりも勢いよく血があふれ出した。


「香椎……」


 香椎がぬるっと立ち上がる。その顔に笑顔はなかった。


「汚れたね、だいぶと。ちゃんと燃やして綺麗にしたげるから。今回も」


 戻れるのか。本当に。香椎が幸せにたどり着く事なんて、出来るのだろうか。

 再び香椎が飛びかかった。だが今度は僕ではなく母さんの方にだった。


「やめろぉ!!」


 飛びかかる香椎の身体に慌てて僕も飛びかかる。だんっと床に香椎と共に身体を打ち付けた。骨が軋んだ痛みで呼吸が一瞬止まる。母さんは急な香椎の動きに反応しきれず、その場に尻もちをついたが、なんとか香椎の刃を避ける事は出来ていた。

 僕は香椎の身体を押さえつけながら、彼女の上に馬乗りになった。抵抗しようと香椎がナイフを振るおうとする。その手をぐっと掴み床に押さえつけた。


「周りを不幸にしたって、何も変わらねえだろ!」


 幸せになれなかった自分。香椎の境遇に同情はする。心に深い傷を負うのも理解できるし、他人の幸せを妬んだり、真っ直ぐな気持ちで人を見る事が出来なくなるのも仕方ないかもしれない。でも、だからって僕達の幸せを壊す、壊される理由にはならない。


「お前が辛い思いをしてきたのはわかる。わかるけど、こうやってずっと生きてくのかよ。壊し続ける人生しか、お前にはないのかよ」

「そうよ」

「なんでだよ……お前は、お前を……苦しめた奴らをちゃんと始末したんだろ。苦しめてきた奴らにちゃんとケジメをつけてきたんだろ」

「ええ。そうして悪魔と呼ばれた」

「悪魔なんかじゃない! 殺すのは良くないとか、そんなの正直綺麗ごとだ。そうしなかったらお前が殺された。誰だって生きたいんだ。お前はその為に殺した。お前にとっての親は親じゃなかった。あんなの……ただの鬼だ」


 香椎の顔がその時少しだけ緩んだように見えた。僕はそれを見逃さなかった。

 香椎は、まだ助けられる。


「俺はお前を否定しない。お前は正しかった。生きる為に正しい事をした」

「……」

「でも、今お前がやっている事は違う。今のお前は、お前が憎んできた鬼と同じだ」

「……」


 戻れ。戻ってこい。

 こいつは悪魔でも鬼でもない。歪められてしまっただけだ。真っすぐに戻してやれば、普通の女の子に戻れるはずだ。


「香椎さん」


 横にいた母さんがこちらに近づいてきた。


「親の立場からも言わせてもらう。あなたは正しい。間違っているのはあなたの親。同じ親の立場として、殺されて当然だと私も思う」

「でも、誰も私の味方をしなかった」

「人は人の事に薄情だったりするものなの。悲しいけど、大半は自分の事ばかり見ている」

「自分の幸せが一番大事」

「そうね。その幸せを守りたくて、壊されたくなくて生きているんだと思う」

「くだらない。結局は他人事って事じゃない」

「あなたの言う通り。でももう、私達にとってあなたは他人事じゃない」

「……は?」

「あなたが不幸になっていくのを、私達は見過ごせない」


 香椎の顔が困惑に歪んでいく。今まで向けられたことのない言葉を頭の中で整理しきれていないのだろうか。


「……嘘だ……嘘だ、そんなの……」


 香椎が両手で顔を抑える。僕は香椎の身体から離れた。意識が少しふらつき出している。血が出すぎたのかもしれない。


「優翔、大丈夫?」

「うん、なんとか……」


 香椎は床でうずくまったまま動かない。こんな香椎を見たのは初めてだ。香椎の中で明らかな変化が起きている。

 しばらくその状態が続いた。やがて香椎がむくっと上体を起こした。その目は虚ろで何を考えているか僕には分からなかった。


「香椎」


 呼びかけてみたが香椎に反応はない。

 香椎は今何を思っているんだろうか。自分の過去、繰り返してきた7月7日の事、様々な事が駆け巡ってるのだろうか。

 僕達はきっと何回も彼女に壊され続けた。破壊の対象である者から、まさかこんな反応を向けられるとは思ってもいなかったのだろう。

 香椎がゆっくりと立ち上がった。先ほどよりも瞳に光が灯っているように見えた。


「覚えてる事がある」


 香椎が一言呟いた。


「私に刺されて燃やされる前に、あなたが言った事」


 あなたと言いながら、香椎は母さんの方を見た。


「どうか幸せになってって」


 僕も母さんの方を見た。母さんは静かに頷いて見せた。


「どうしてそんな事が言えたのか、不思議でならなかった」


 小さな声だった。自分の中から絞り出すような声だった。


「でも、やっと少しだけ、あんた達を理解できた気がする」


 香椎が僕らを見た。その顔は、邪気の払われた普通の女の子の顔だった。


「ありがとう」


 微かな笑顔の目元から、涙がすうっと流れていった。


「そして、こんなひどい事をして、ごめんなさい」


 微かに灯った希望に陰りが差した。身体から温度の引いていく感覚。

 ナイフはまだ、香椎の手に握られたままだった。


「おい、香椎……」


 笑顔はどんどん崩れ、香椎の両目からぼろぼろと涙こぼれた。それは感情の決壊だった。


「ごめんなさい!!」


 香椎は手にしたナイフを首筋にあてた。

 初めての展開だった。そしてそれは、希望から絶望に一気に叩き落されるような最悪のものだった。


「香椎!!」


 彼女の手に、ぐっと力が入ったのが見えた。


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