愛される条件・愛される理由
院長は一通の手紙を差し出した。
「これは…」
古ぼけた手紙を呆然と眺め、独り言のように呟く。しかし、男が顔を上げた時には既にその姿はなく、ひと気の無い独房にその足音だけが響いていた。
「なんだろ、これ。封が切られてる」
「開けてみよう」
二人は恐怖にも似た好奇心の誘うままに手紙を開けた。
《突然の来訪お許し下さい。
十七歳になるまで預けたく存じます。
時が参りました日には下のところまでお戻し下さいますようお願いします。
名を『唖透』『瀬沙』と申します。
零一》
二人は絶句した。
しばらくの沈黙が続いたのち、どちらともなく口を割った。
「零一が僕たちを助けてくれる」
皆無に等しい自分の荷物をすばやくかき集めると二人は無言でその監獄を後にした。何一つ良い思い出のないそこから一歩外に出ただけで、なんとも言えない複雑な思いがこみ上げてくる。忌みしいような愛くるしいような、不安にも似た希望が二人の中を駆け巡った。
深く頭を下げた先にある鋼鉄の独房には、微かではあるが二人で生きた人間の匂いが残っている。しかしそれもやがて掻き消され、冷徹無言のサヨナラだけが勝ち誇ったように手を振っていた。かたく瞑られた瞳が重たげに開かれ、その別れの唄を謙虚に受け取る。そして微かな微笑みを口元に見せた。
その後、まだ日が昇りきらないうちに二人は孤児院を出た。「二度と顔見せるんじゃないよ」と皮肉たっぷりに院長が言う。しかしその表情には母としての寂しさが容易に伺えた。そしてこうも言った。
「零一って人がお前たちを救ってくれるよう祈っているよ」
もう二度とここへは来ないだろう。
そう心に誓い後にした我が家に別れを告げ、二人は〈零一〉の手紙にあった住所へと向かった。
場所はイタリアになっていた。
そんな〈零一〉に驚きつつも、得体の知れない何かに期待し、また呼び寄せられるかのように二人の足は空港へと向かった。
どうせこんな人生だ、という投げやりな気持ちも手伝ってか、異国への旅立ちに何の不安も感じなかった。むしろ、どうにかなってまえばいいんだ、という二人の気持ちが一寸の狂いもなく合致したことにだけ、いつもの不気味さを感じた。
帰る場所もなければ引き返す理由もない。有り金すべてを叩いて購入してチケットは当然片道切符となった。
初めての異国に動揺しながらも、その足は着々と〈零一〉の元へと近づく。手紙にあったイタリアの住所らしきものだけを頼りに、二人はローマの市内を歩き回った。
そしてローマ幾日目かの晩。
二人はついに〈零一〉までたどり着いた。
昂ぶる気持ちを抑えきれない二人にかけられた〈零一〉の第一声はその度肝を抜いた。
「人違いだよ、帰ってくれ」
「待って、でもこれ書いたのあなたでしょう、違いますか?」
「それを書いたのは多分私だろう。私の名が〈零一〉というのも確かだ。でも、人違いだよ」
無常にもドアは閉められた。
呆然と立ち尽くす二人に言葉をかけるものは誰一人としていない。
自分たちがいかに孤独であるか、どれだけ〈零一〉に縋ってきたか、身にしみて実感した。
乏しく灯っていたっていた火は、〈零一〉の手によって何のためらいもなく掻き消された。
絶望的に悲しかった。悔しかった、生きている意味を失った。しかし、不思議と涙は流れなかった。
「行こう。一緒に、…どこか遠いところ」
翌日、唖透は何の前触れも無く死んでいた。
人の死を見るのはこれが初めてじゃない。 ただ、こんな気持ちになるのは初めてだ。
またひとつ、謎が増えた。
僕たちにある生態、そして唖透の死因。
〈ダレ ガ アスカ ヲ コロシ タ カ〉
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