ふたりの。 #3
目の前がボンヤリと明るくなる。
深い眠りから醒めたようで、まだ意識が濃い霧に包まれたままだ。
目の焦点が合ってくる。薄暗い部屋、明かりの点いていない天井が見える。
体の後ろ半分に固い感触がある。どうやら、床に直接横たわっているようだ。
遠くで、自分の名を呼んでいる声が聞こえる。
「芽菜。芽菜。大丈夫」
見覚えのある顔が目の前に見える。
「…お母さん…」
隣にお父さんの顔も見える。
「芽菜。気がついたの!? 良かった」
お母さんが、私に覆いかぶさるように抱きつく。
漸く、正気が戻ってきた。私は上半身を起こして、辺りの様子を確かめる。
そうか、ここはオバケ病院の談話室だ…。
ハッ! そうだ。茉菜!
私は体を捩って、オバケ鏡を探す。
けれど、あるべき所に鏡はなく、ザラメのように細かく砕けたガラスの破片が、
うず高く積もっているだけだった。
オバケ病院を後にすると、両親の発案で三人は城址公園に向かうことになった。
ここ数日の私の情緒不安定な行動について、話をしたいらしい。
あまり気乗りはしないけど、家に戻って、お説教になるものと思っていたので、
青空の下の方が、すこしは気が楽のように思われた。
両親の後に付き従いながら無言で歩く。
けれど、今の私は茉菜と別れた喪失感で頭が働かない。
なにも考えられぬ操り人形のように、両親の影を追って足を動かす。
城址公園につくと、木蔭のベンチに三人並んで腰掛けた。
私の両隣に両親が座り、それぞれに私の手を握ってくれている。
私たち親子三人が、こんな風に席を共にするなんて、久しぶりな気がする。
お堀の水面を渡った涼しげな風が、私の髪をなびかせて頬をくすぐる。
お母さんも、お父さんも、黙ったままで木漏れ日の動きを見つめている。
私の掌に、両親の手の温もりが伝わってくる、その優しい心使いと共に。
暫くして、お父さんが静かに話し始める。
「芽菜、よくお聞き。人生には山もあれば谷もある。嬉しいとき楽しいときもあれ
ば、辛いとき苦しいときもある。でも、その辛さ苦しさはいつか乗り越えられる」
私は伏し目勝ちに頷く。
「一人では、乗り越えられない苦しみも、お父さんやお母さんがいる。芽菜の周り
には仲間がいる、友達がいる。それに、未来のパートナーや、未来の子供たちが、
きっと芽菜の力になってくれる。だから、芽菜。命を大切にして欲しい」
そうだ。私はいつも周りの人に助けられた。
茉菜にも救われた。
このまま、悲しみの淵に沈んでいるのは、茉菜も望んでいないだろう。
私はお父さんの手を強く握り、
「うん」
と大きく頷いた。
お父さんのごつい手が、力強く握り返す。
それまで、黙って私の横顔を見ていたお母さんが、静かに話を始める。
「お母さんね、あなたに聞いて貰いたい大切な話があるの…」
大切な話? 何だろう。
「あなたはね。あの産院で生まれたのよ…」
あの産院? オバケ病院のこと? そのことは、いま初めて聞いた。
気のせいか、お母さん。少し悲しげな表情だ。
「あなたがさっき居た場所は、談話室だった場所なの。あの鏡のことも覚えてる」
お母さんが、遠くを見るような目で話を続ける。
「あの場所で、あなたは私の両親と初めて会った。お父さんのご両親との初めての
対面もあの部屋だった。あの談話室は、そういう出会いの場所だったのよ」
私はお母さんの言葉を一つも聞き逃すまいと、聞き耳を立てる。
私にとって大切な何かしらが聞けるような、予感がある。
遠くの目をしたお母さん、その瞳はいったい何を思っているのだろう。
「あの鏡は、そんな喜びや悲しみの時間を、幾つも見守ってきたのかもしれない。
きっと、あの鏡も自分の勤めを全うしたと思ったから、塵に帰ったのでしょうね」
お母さんが私に顔を向け、私の瞳に語りかける。
「ねぇ、芽菜。人生では幾つもの苦しみや悲しみに出会う…。だけど、挫けないで
生きて欲しい。あなたは一人ではないのだから…」
うん、と頷く私。
お母さんの目の奥に、小さな明かりが灯ったように感じる。
「あなたに、今まで話せないでいたことがある…。あなたは、同じ誕生日の姉妹と
一緒に生まれる筈だった。でも、その子は、この世界に来ることは叶わなかった。
だから……、あなたは……、その子の分の命も生きていることになるの」
私はその言葉に胸を打たれる。
感動に震えながら、私は立ち上がる。
お母さんから告げられた事実。
その先に垣間見えた、茉菜と私の隠された秘密。
「茉菜…。私たち…双子だったんだ」
涙が溢れ出す。頬を濡らす暖かい流れが心地よい。
お母さんとお父さんが、支えるように私の傍に寄り添う。
目の前には、姿の見えない茉菜が微笑んでいる。
私は、その茉菜の体を、しっかりとこの胸に抱き寄せる。
「お母さん、お父さん。安心して。その子は、別の世界で元気に暮らしてる。私、
さっきまで、その子と一緒にいたんだ……。あのね……」
見上げる空は、透けるように何処までも青い。
その青さは、どこかで茉菜の世界と繋がっている。
そして、その空の向こうには、きっと輝く明日がある。
私は歩き続ける。希望の明日に向かって。
どれほど遠く離れていても、
決して分かたれることのない、
私たち、
ふたりの。