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ふたりの。  作者: 須羽ヴィオラ
別れ道
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別れ道 #2

 夏休み二日目の日曜日。今日もバンド練習がある。

 昨日は由美の様子が変だった。

 由美の心に屈託があるのは明らかだけど、それが何なのかは、聞けずじまい。

 今日の由美の様子は如何に、といつもの待ち合わせ場所で待っている。

「おはよう」

 と由美が手を振りながら駆けてくる、いつもの笑みでその唇を飾りながら。

 よかった。今日は元気らしい。

「おはよう」

 と私も由美を明るく出迎える。

 他愛もない話に花を咲かせながら歩く。

 何でもない事を面白がっては、おしゃべりが彩を帯びる。


 だけど…。やがて、私はこの語らいが、偽物であることに気づいてしまう。

 由美は音楽の話をしようとしない。それに、私と視線を交わす事を避けている。

 そして…。私も、そのことに気が付かぬ振りをしながら会話を続けている。

 私と由美は、いつからこんな関係になったのだろう。

 いつから、表面を取り繕いながら会話を交わす間柄になったのだろうか。


 ここで私は、ふとある考えに思い至る。

 由美の悩みとは、ひょっとして私に関する事なのではないだろうか?

 由美が心の内を語ってくれないのも、こうして偽りの微笑みで会話を設えている

のも、気がかりの対象が私だからではないだろうか?

 日が高くなるにつれ、空気の温度がジワジワと上がっていく。

 だけど、私の胸の奥底には、冷え切って吐き出せなくなった息が固まっていて、

私の心を暗く冷たい深淵へと引き込もうとしている。


 音楽教室には、剛ちゃんと岳くんが先着し、既にセッティングを終えていた。

「おはよう」 と明るい声で挨拶を交わす。

 けれど、由美の明るさが上辺だけに過ぎないことに、剛ちゃんたちも直ぐに気が

つく。

 私達は壊れ物を扱うように、由美に接する。

 さっきから、由美は岳くんと一度も口を利いていない。岳くんが話しかけても、

気づかない素振りをするか、曖昧に頷いてみせるだけだ。いったい、何が起きたの

だろうか。

 そんな、どうにも居心地の悪い空気を、自分達の音楽が吹き飛ばしてくれた。

 剛ちゃんが奏でるギターのビートが、岳くんの操るピアノのメロディが、四人の

心を一つに導いてくれる。

 四人の体が同じリズムを刻む。四人の気持ちが同じビートではずむ。四人の心が

同じ旋律で踊る。

 由美の唇が明るさを取り戻す。由美の歌声が軽やかさを取り返す。

 私の心にも羽が生え、安らかな気持ちでメロディに身を委ねる。

 演奏曲が進むにつれ、嫌なことは私の中から、雪が融けるように消えてゆく。

 由美も屈託のことは、忘れたのだろうか、いつもと変わらぬ唄い方に戻っている

ように聞こえる。


 5曲目。次は、私たちのレパートリーの中で一番好きな曲。

 よく合唱などで歌われる楽曲なんだけど、由美と岳くんがアレンジして、四人で

歌えるコーラスにしてくれたんだ。

 四人とも、この曲には思い入れがある。

 わたしたちの歌なんだ、自分たちに歌なんだって思いがある。

 前奏が始まる。四人が互いにアイコンタクト。気持ちが盛り上げる。

 前奏が終わり、私は最初のフレーズを、心をこめてを歌い上げる。


 と、そこで、私は相方の由美の声が聞こえていないことに気が付いた。

 ギターとピアノの伴奏が、風船がしぼむ様に失われていく。

 三人の視線の先には、大粒の涙を流しながら立ち尽くす由美の姿があった。

「由美。どうしたの」

 慌てて由美に駆け寄って、その震える肩を抱きしめる。

 由美は、両手で顔を覆い、涙声で「御免なさい。御免なさい」と繰り返す。

 それは、誰に対する『御免なさい』なのだろう。

 泣きじゃくる由美を椅子に座らせ、背中を摩ってあげる。

 由美が顔を上げ、悲しげに私の顔を覗き込む。それから私の手を強く握り、再び

「御免なさい。御免なさい」が続く。


 もしかして、由美は私に対して謝っているの? 由美の涙の理由は私なの?

 気がつくと、岳くんが由美の傍らに立っていた。

「岳くん。今は…」

 岳くんは私の言葉を笑顔で聞き流し、由美と同じ目線にしゃがみ込む。

 由美の表情が強張るのが分かる。

「由美…」と岳くんが優しく声をかける。

 硬い表情のままの由美の頬を、行く筋もの涙が流れ落ちる。


「すまない。由美と話をしたいんだ。席を外してくれるかな」

 岳くんが意外な言葉を口にする。

「由美の傍には私が…」

 と私が言いかけると、剛ちゃんが私の手をとって

「行こう」

 とこれまた思いもよらぬ台詞を発する。

「でも…」

「由美ちゃんのことは、岳にまかせた方が良いって……」

 その言葉の意味を確かめる暇もなく、私は剛ちゃんに手を引かれて、音楽室から

無理矢理連れ出される。

 更に念の入ったことに、剛ちゃんは後ろ手で、音楽室の引き戸を閉める。


「ちょっ! なんで!」

 と剛ちゃんに食って掛かると、

「まぁ、まぁ」

 と言いながら、廊下の方に引っ張っていく。

「離してよ」

「だって、俺達が近くに居たら、本音で話せないだろうが」

 なに言ってんの剛ちゃん!? あの人たちの間に何か秘密でもあるっていうの?

 抵抗空しく、私は音楽室から伸びる廊下の反対側まで引っ張っていかれた。


「もう良いでしょ。手を離してください」

 と冷たく言い放つと、剛ちゃんはハイハイと頷いて漸く開放してくれた。

 剛ちゃんの気持ちとしては、由美と岳くんに自由に会話をさせたいのだろうが、

それは裏を返すと、私が居ては由美が本心で話せないという意味になる。

そんなの私には納得いかない。

 だって、由美と私はそんな仲じゃないから。

 隠し事なんて、絶対にないんだから。

 5分ほどして、音楽室の引き戸が開いた。私にとってはとても長い5分だった。

 由美が岳くんに支えられるようにして、出てくる。

 もう、涙は消えてるようで、少しホッとした。私と剛ちゃんが近づいていくと、

由美はすまなそうに視線を床に落としている。

「大丈夫。由美」

 私が声をかけると。由美は、視線を落としたまま無言で頷いてみせる。


 そのとき、

「すまないけど、由美……を送ってくから、後片付け、お願いできるかな?」

 と岳くんに言われた。

 私が慌てて

「でも。由美は私が…」

 と答えると。

「ナッチ…。私、岳くんに大事なお話があるの…」

 と由美が岳くんの代わりに返事をする。

 そんな風に言われたら、私には返す言葉が見つからない。

 私は親鳥に置いてきぼりを喰った雛鳥のように、由美と岳くんの後ろ姿を見送る

ことになる。胸の中に暗いモヤモヤが膨らんでいく。


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