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後編

 そんな平穏な日々が続いた。私が大事にしているためなのか、コッペリアの痛み方は思ったほどではなかった。

 しかし、ある日事件が起こった。あの人形を販売していた業者が、様々な違法行為を行っていた疑いで摘発されたのである。


 まともな連中ではないことには気付いていたが、彼らは国際犯罪集団だったのだ。

 朝から、テレビやインターネットなどでは、あの業者が摘発された話題で持ち切りだったらしい。

 私が会社に行くと、若い社員たちが仕事そっちのけでニュースに食いついていた。休憩室のテレビでは、有識者とされる人々が、テレビで口々に非難の言葉を並べた。

「人間の代替品として……」

「禁断の領域に踏み込んだ……」

「人のすることでは……」

「鬼畜の所行と言うべき……」

「決して許される行為ではない……」

 彼らは、今回の出来事を世紀の大事件だと思っているようだった。激しく怒った表情で、理不尽なほどの罵詈雑言が吐き出される。その怒りの矛先は、あの業者から人形を買った顧客にも向けられていた。

 私は愕然とした。彼らがこれほどまでに怒っている理由が、全く理解できなかった。

 人形を愛することが、そんなに悪いことなのか?

 確かに、世間から見ればまともな趣味ではないだろう。顧客の多くは、人形を性欲の捌け口として購入している。理解してもらえるとは思っていない。

 しかし、人の趣味は、本来自由なはずではないのか?

 人形が密輸されたことが問題視されているようだが、世間の連中が本当に怒っているのは、そんなことではないだろう。要は、理解できない趣味を持っている者を叩いて排除したいだけなのである。

 そういった差別こそ、本当は非難されるべきなのではないか?

 しかし、そんな正論は、彼らの耳に届くことはない。言っても聞かないだろうし、そもそも私は自分の趣味を隠し通さねばならないのである。

 過熱している報道を見て、私は仕事が手につかなくなった。体調が悪いと部下に告げて、私は早退した。


 あの業者が摘発されたということは、顧客の情報が捜査機関の手に渡ったということだ。私が人形を購入したことも、既に知られてしまったと考えるべきだろう。

 私は、何かの罪に問われるのだろうか? いや、はっきり言って、そんなことはどうでもいい。刑務所に入ろうが入るまいが、私が人形を購入したことが世間に知られた時点で、私はおしまいである。

 こうなったら、もはやコッペリアを処分するしかない。山の中にでも埋めてしまって、証拠を消してしまうのだ。

 私の名前が顧客情報にあったとしても、何かの間違いだと言い逃れる。これ以外に道はない。

 私は、毎日自分で車を運転して通勤している。本当に良かった、と今日初めて思った。

 まず、自宅とは反対方向にあるホームセンターへと向かった。そこでノコギリを購入する。丸太を切る時に使うような、大きな物である。コッペリアをバラバラにして、埋めやすくするためだ。

 スコップは、さらに離れた店に行って買った。単なる気休めだが、同じ店で二つの商品を揃えるのは、発覚のリスクを高めるような気がしたのだ。

 コッペリアを車に積む時には、スーツケースに収めればいいだろう。解体作業は、地下室で済ませるべきだ。埋める場所は、都心からなるべく離れた場所にすべきだろう。

 あとは、運悪く検問に引っかからないことを祈るしかない。


 私は、急いで自宅に戻った。家に入っても、風呂は沸かさなかった。

 ノコギリを手に、地下室へと向かう。

 部屋に入りコッペリアを見ると、私は強烈な罪悪感に襲われた。コッペリアが、私を見て怯えているように見えたのだ。

 しかし、私の人生をここで終わらせるわけにはいかない。

 ゆっくりとコッペリアに近付く。右手に握りしめたノコギリが、ひどく重いと感じる。

 私は、左手でコッペリアの頬を優しく撫でた。冷えているが、弾力のある柔らかな肌触りだ。やはりコッペリアは芸術品である。こうしていると、卑猥さなど全く感じさせない。

 私は、この素晴らしい人形を切り刻み、穴へと埋めてしまうのか?

 それは、ひょっとしたら生きた人間を切り刻む以上の大罪ではないだろうか?

 やはり、コッペリアは破壊すべきでない。最高の芸術作品として、人々に愛されるべき最高傑作だ!

 私は、ノコギリを床に置こうとした。しかし、そこで思い直す。

 コッペリアは、どんなに大切に扱っても、今の形を長く保てるようには作られていない。私が全てを失っても、コッペリアは数年で朽ちてしまう可能性が高いのだ。

 やはり、コッペリアは始末してしまおう。私は自分の身を守らねばならない。

 私は、コッペリアにゆっくりとノコギリを近づけた。手が震え、ノコギリを取り落としそうになる。葛藤を抱えながらも、コッペリアの喉にノコギリを押しつけた。

「ごめんな、コッペリア。許してくれ……」

 そう声をかける。コッペリアは何も言わない。それでも、彼女の悲しみが伝わってきて、私の目から涙が溢れた。

 ……いや、私だけではない!

 私の頭は、真っ白になった。

 コッペリアが……涙を、流していた。

 決して錯覚ではない。彼女の閉じられた目から、ポロポロと雫がこぼれ落ちている。

 私はノコギリを取り落とした。とても信じられない。やはりこれは夢か幻覚だろう。いや、目の前の光景が全てだ。コッペリアは、私に壊されるのが嫌で泣いているのだ!

「コッペリア!」

 私は彼女を抱きしめた。やはり、彼女を傷つけることなど私にはできない。

 私は、コッペリアの飾りを全て外す。衣装も全て脱がした。

 この子のためなら、破滅しても構わない。私はそう決心していた。


 その夜、私は初めてコッペリアと一緒に寝た。

 とても幸せな気分だった。こんな気分を味わえるなら、もっと早くこうしておくべきだったと後悔する。

 私達に残された時間は殆どない。私が人形の所有者だと知られれば、コッペリアは捜査機関に押収され、当分は私の元に戻って来ないだろう。そうなれば、コッペリアは劣化して朽ちてしまうかもしれない。

 だから、私はこのまま、彼女と共にいよう。離ればなれになる前に、目一杯思い出を作ろう。


 頬に何かがぶつかった。

 その冷たい感触で、私は目を覚ました。

 ベッドの脇に、立っている人影がある。シルエットで、それがコッペリアだと分かった。

 その両手には、何か長い物が握られていた。それが私の頬に触れたのだ。それは私の喉元まで伸びていた。

 その物体がノコギリだと気付き、私は叫んだ。純粋な恐怖による、言葉にはなり得ない叫びだった。

 コッペリアは能面のような顔で私を見下ろし、ノコギリを挽いた。

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