1-2 廻る儚き命の車輪から外れし者は自由への讃歌をかく語りき──もしくはある吸血鬼の一日
自由とは──
他人を害さないあらゆる行動、という者がいる。
あるいは、他人から害されない権利という者もいる。
まあ様々な考え方や定義があるのだろうが、その中でも「自身で選択できる」という要素は外せないのだと思う。
旧約聖書の創世記によると、神様が作った最初の人間は「善悪を判断する木の実」を食べて楽園を追い出されたのだとか。
それまであらゆる判断を神に委ねていた者たちが、判断し選択する力を得た。そのために完全な庇護から離れ、自分の選択を元に生きるようになった時、人は人となったのだろう。
故に「自由」とは、選択する苦しさを伴うものだ。他人任せではなく、たとえ間違えようとも自分で判断するしかないのだから。
だが、間違えることもまた確かな自由。そうして悩みながら選択していくことは、案外楽しいものだ。
我々、吸血鬼は、常にそんな「自由」を重視し、自由に生きることを最も大切にしている。
「今晩の夕飯、何にしよう……」
スーパーで野菜を前に悩む男が一人。
「ニンジンがお安いんだよな……筑前煮でもいいな。取り敢えず作り置きの副菜用に小松菜は買っとくか」
ブツブツと献立を呟きながら店の中を行ったり来たり。今日は休みなので、料理でもしようと近所のスーパーに来ている。
時刻は午後5時。日も傾いて過ごしやすい時刻。今日の昼間はよく眠れて寝覚めも良かった。そのまま夕飯にしても良かったけれど、折角なので散歩がてらの買い物だ。
あとスーパーの割引も始まるし。
夜中に働いて帰るのが朝だと、どうしても買い物や料理のタイミングが難しい。昼間は寝てるし。仕事前に済ませるか、コンビニかになってしまう。最近は24時間営業のスーパーもあるから食材に困ることはないが。
何となく昼も近いような朝遅くに料理するのも嫌なので、料理は作り置きにするつもりだ。それとは別として、今日明日に食べる「50%引き」とシールの貼られた惣菜なんかも買い物カゴに入れていく。
人間の男は料理をあまりしないそうだが、独りで長く生きていると自然に料理もある程度できるようになるのが普通だ。
そんなにあくせく仕事しなくてもそこそこの蓄えはある(なんせ労働時間のほぼ全部に夜勤手当がつくのだ)から、外で食べても構わないけれど、まあ習慣だな。
何より、外食だと血を飲める場所が少ない。家で血だけ飲むってのも変だし。
ごはん、味噌汁、主菜、副菜、血液だ。食事はバランスよく。
いや、実際は血液以外からでも何とかなるのだけれど。要は魔力が補給できれば何でもいい。だから正確には血液を介した魔力補給、というべきだろう。
ただやはり「吸血鬼」というだけあって、知性ある生物の血液が一番しっくりくる。
やはり、ごはん、味噌汁、主菜、副菜、血液だ。
献立に悩みながら選んだ一週間分くらいの食材をカゴに入れ、レジで会計をしている時に気が付いた。この惣菜、「50%引き」じゃなくて「50円引き」じゃないか。
……人間は、何という卑劣な罠を仕掛けてくるのだろう。「50%引き」の中に「50円引き」を混ぜるなんて、まるで悪魔の所業だ。
確かにこの惣菜を選んだのは俺だ。でも、これは、選ば「された」のではないか? 自分の考えていたものとは違うものを買ったというのは、相手の意思に乗ってしまったということではないか?
俺はいつもより重く感じるスーパーの袋を提げ、何となく自分の自由を失ったような、強い敗北感に打ちひしがれながら帰路についた。
家に帰って食材を冷蔵庫にしまった後、買ったばかりの結構な量の惣菜を袋に入れて再び出掛ける。
正直そろそろ空腹なのだが、今日は何かと心配な友人を訪ねるつもりだ。料理はその後。
徒歩でも行ける範囲にその友人は住んでいる。免許証くらいは(色んな情報が偽物だが)持っているのだけれど、今日は電車を使うつもりなので歩いていく。
そろそろ日がとっぷりと沈んで、歩くのも苦じゃないしな。
この新しい夜が始まる時間というのは気分がいい。こんなことを人間が言ったならいわゆる「中二病」というやつで、きっと夜の帳がどうとか闇に蠢く何たらがどう、なのだろうが、我々は吸血鬼なのだからこれは正しい感覚だろう。
……存在が中二病と言われると悲しいが。存在するんだからしょうがないじゃないか。
中二病という自分自身の過去も少し抉る話は置くとして、俺が住んでいるアパートよりかなり豪華なマンションを訪ねる。建物の入口でパスワードを入れ、ついでにあいつ宛の郵便物を取ってやる。エレベーターで9階まで上がり、目的の部屋へ。ドアの傍には「三岡」の表札。
インターホンを鳴らす。どうせ出ないのは分かってるが。
ドアをノックしてやる。どうせ出ないのは分かってるが。
これを繰り返してやる。どうせ出ないのは分かってるが。
俺はため息を一つ吐き、ドアに手を当てる。意識を集中し、魔力を流し込んでやる。
ソナーのように魔力がドアを伝っていき、その反射が鍵の構造を俺に知らせる。
よし、見つけた。
ドアの裏側にある鍵の位置に魔力を集中してやる。
──ガチャリ
どんなもんよ。もう鍵開けにも慣れたものだ。こんな特技を誇っていいのかは分からんけど。別に人間の法に触れるようなことには利用していないぞ?
ここは広い部屋のはずなんだが、この部屋に入った者はまず「狭い」と感じるに違いない。
暗い廊下には宅配のピザやら寿司やらの容器。他にも通販で買い物した痕跡であろう段ボールの山。積まれたゲームやらマンガやら。
崩さないように気を付けながら奥の部屋に進むと、やはりゴミで酷い有様の中、電源の入ったパソコンとその前にこんもりと置かれたボロキレとがある。
「また勝手に入って来た」
もぞもぞ動きながら声を掛けてきたボロキレの名前は、三岡美羅。
「レディの部屋に不法侵入は、感心しないの」
「お前が開けてくれないからだろ」
こいつが俺の何かと心配な幼馴染だ。
ミラを前にしてまず目に入るのは、頭から被っている毛布だろう。古びた毛布で全身をすっぽりと覆ったまま移動するところは、後ろから見ればまさしく動くボロキレだ。
以前から何度か買い替えればどうかと勧めているのだが、頑として同じ毛布に包まっている。曰く「ミラのこだわり」らしい。
毛布を見慣れてくると、彼女の顔が意外と美人であることに気付くだろう。まあ友人である俺の目から見ても美形に入るといえるし。
大きな目と高い鼻、透き通るような肌に、ええと、うむ、俺は女の顔を褒めちぎるようなことは苦手なんだ。
まあ、街中で見かければ多くの男が二度見したり視線を隠してチラチラと伺ったりするような美人、ということだ。
もっとも、背は低いし、生まれつき茶色の髪は手入れをしていないためにボサボサだが。
彼女とは子どもの頃からの友人だから、200年くらいの付き合いがある。
ミラがこんな風――人間のいう「引きこもり」――になったのは比較的最近、ここ10年ほどのことだ。
「いま放送配信してたからしょうがない」
インターネットという便利なものが世に普及して以来、こいつはブログやら動画配信やら、ネット上のコンテンツに熱中し続けている。
面白いことに、それらは彼女の生活を支えるのに充分な収入源となっている。
物質的には何の生産もしていないし、誰かにサービスを提供している訳でもない。
ただ彼女のやりたいように振る舞っているだけだというのに、あくせく働いている俺よりもよほど稼ぎがいいのだ。
これもミラという一吸血鬼の「自由」の結果だ。誰にも文句を言う筋合いはない。
しかし――
「で? 最後に血を飲んだのはいつだ?」
「……そんな些細なことは置いておこう?」
「俺たち吸血鬼って存在を真っ向から否定するような発言だな……」
ネットに熱中するあまり、ミラは食事を摂ることすらよく忘れる。
いくら自由を掲げていたって、さすがにこれは問題だ。
だから、こうしてたまに俺が訪問することにしている。
「普通の食事は摂ってるのか?」
「うん。ほら」
ミラが指差した先には、空になったピザの箱。
「お前、こんなんばっかり食べてたら太るぞ」
「……太ってないもん」
本人はそう言うが、こいつは子供のように背は低い割に肉付きがいい。おかげで身長のせいで子供と間違えられる、なんてことはない。
「全く。惣菜を色々と買ってきてやったから、あとでちゃんと食べろよ? 栄養バランスも少しは考えろ」
「こんな青白い肌しておいて、健康にうるさい吸血鬼なんて世間で需要あるの?」
「世間のイメージなぞ知らん。キャラ付けで健康にはなれんぞ?」
でかい割に調味料しか入っていない冷蔵庫に惣菜を詰めていきながら返答をする。
「でもミラは世間のキャラ付けでお金稼いでると思うの」
「それはそうなのかも知れんが」
「まあ、それじゃあ早速」
「いや今日は外に食いに行くぞ」
ガサガサとスーパーの袋に残った惣菜を漁りだしたミラの首根っこを押さえる。
「魔力も摂らなくちゃならんだろ。外へ補給にいくぞ」
吸血鬼というのは魔法を使わなくても生命活動のために魔力を少しずつ消費する。
だから定期的に補給してやらないと、その内に衰弱して死んでしまう。
人間でいうとビタミンみたいなものだろうか。いや吸血鬼だってビタミンが不足したら体調崩すけど。
そもそも「血液」なんて物質的には別に人間から摂らなくても構わない筈だ。レバーでも食べていればいい。
それじゃあダメな理由は、吸血鬼は血液に乗った人間の「魔力」を頂いているからだ。
これこそ「吸血鬼」の「吸血鬼」たる所以。
2人の吸血鬼が、今夜も人間の血液を求めて街へと繰り出す。