勇者を堕とした女。
身勝手過ぎる主張に溢れた、多くの方の気分を害するような話となっております。ご注意下さい。
主人公である『女』に同意して頂こうとは思っておりません。
ムカつく。
ムカつく、ムカつく、ムカつく。
マリリアーナは今、非常にムカついていた。
憤るなんて上品な言葉では表しきれない程のムカつくという溢れんばかりの感情は、魔力など僅かしか持たず魔術なんて夢のまた夢である筈のマリリアーナの周囲に、うねるような歪みを作り出してしまっていた。
マリリアーナは彼女の三十三年の生の中で、これほどまでのムカつきは無かったとはっきりと断言出来る程に、苛立ち、ムカつき、そして憎悪した。
それが何によって生み出されたのか、何に対して向ければいい感情の爆発なのか、マリリアーナははっきりと自覚している。だが、自覚してもどうしようもない、そんな思いであるからこそ、彼女はそれを自分自身へも向けていた。
瞬きを忘れ、表情を失い、ただ虚空を見つめて、マリリアーナは己の周囲に息苦しさを与える程の怒りを放っていた。
「パパ!パパ!駄目、マリリンがめっちゃ爆発しそう!!」
仲の良い同僚が異変を察知して部屋に駆け込んできた。そして、部屋の真ん中でそんな状況に陥っているマリリアーナの姿を発見してしまい、階下に居る雇い主に助けを求める悲鳴を上げていたが、それを耳にして認識しているという記憶は残っても、マリリアーナはそのムカつきを抑えることは出来ない。抑えようなんて思いもしない。
「おいおい、待ちなさい。マリリン、マリリアーナ!気持ちは分かるがちょっと待ちなさい。ララの所の旦那がお帰りになったら、店を閉めるからそれまで待ちなさい!」
雇い主である、店の女達に自分をパパと呼ばせている店主の男との付き合いは十六歳の時から、もう十七年にも及ぶ。何かと世話になっている男の訴えに、ようやく、少しだけだがマリリアーナは周りの事を考える余地を頭の端に作り出すことが出来た。怒り、ムカツキ、憎しみはそのままに、男や同僚達の落ち着けという言葉に従うことにする。
「…マリリアーナ、お前が怒る気持ちはよく分かる?逆境にも困難にも打ち勝って女で一つで育て上げた一人息子を、言葉甘く言われても、実際は取り上げられるのと同じなんだから。だけどね、それでも、これは一応名誉なことであって・・・」
「バカ言わないで!!!」
マリリアーナは店主の言葉を遮り、怒声を浴びせた。
「名誉?自分達は安全な場所で胡坐をかいているような他人の為に、命を張ることが名誉ですって!?しかも、あの肥え太った豚共の神輿にされて、バカみたいに笑ってなきゃいけない事が名誉!?」
マリリアーナがムカついていること。
それは、彼女が産み育ててきた一人息子のイースが、人類の敵である魔族、それを率いる魔王を打ち倒せる勇者になる運命にあるのだと、運命の神によって神託が下されたことだった。
魔族に関して、神が直接手を下すことは出来ない。
それは世界の創造の頃に遡り、魔王を生み出した三神、闇の神、争いの神、死の神が誓いの神を騙し神々全員に誓わせた為だと、人々は神話によって知っている事だった。誓約とそれを順守することにかけては、この世界の誰であろうと誓いの神に逆らえない。その為に、これまで世界には何度も魔王が誕生し、魔族を率いて人々の生活、存在そのものを脅かそうとも、神々が直接手を下すことは絶対になかった。ただ、神々は誓いの抜け穴というものを見つけ出していた。それが『勇者』だ。神にも勝る可能性と力を持った『勇者』を世界のどこかへと誕生させ、魔王を倒させてきたのだ。
そして、そんな神話にもその存在の意味を記されている、人類の救済者たる『勇者』に、王族でも貴族でもなく、人々に下賤な女と嘲笑われているマリリアーナの息子が選ばれた。
いや、選ばれたという言葉は正しくはないらしい。マリリアーナの12歳となる息子は、生まれるその前から勇者たることを運命づけられていたのだと、運命の神は告げたらしい。
その腹を痛めて生んだマリリアーナは一切、そんな事知らなかった。
マリリアーナにとっての一人息子であるイースは、ただのマリリアーナの息子なのだ。思いがけず出来てしまった子供だったが、店主や同僚達に反対されながらも産み、反対していたのに見かねた店主達と共に育て上げた、マリリアーナには過ぎた息子。
そう、過ぎた子なのだ、イースは。
幼い頃からマリリアーナが仕事している最中は決して暴れず、騒がず、そして一人で歩き回れるようになった頃からはマリリアーナや店主の手伝い、店のちょっとした雑用の手伝いも嫌な顔一つしないで行っていた、出来すぎな息子。そのおかげでマリリアーナも楽をさせてもらったが、逆に心配を募らせて年に数回「嫌なら嫌って言っていいのよ?」「手伝いなんてしなくていいから遊んでおいで」と言ってしまうことが恒例になっていたりもする。
マリリアーナは息子が勇者の運命にあるなんて知らなかった。知らなかったが、赤ん坊の頃からのこれまでの十二年間を思うと、すんなりと納得することは出来たのだ。
そこまでだったなら、勇者であると選ばれただけなら、マリリアーナはここまでムカつき爆発しようなんてことはなかったかもも知れない。
だが、マリリアーナは爆発した。
『世界を救う勇者があのような下賤な女を母親にしているなど、あのような穢らわらしい場所で生まれ育った事実など、あってはならない事だ。無かった事にせねばならない。勇者の為にも、我らの為にも』
意味が分からない!
もやもやとしながらも息子を褒めようと思っていたマリリアーナに、勇者の神託を告げられて合間も無く宣言されたそれは、マリリアーナのそのもやもやが何であるのかを自覚させてしまった。
そう言われる事は慣れてはいるのだ。
マリリアーナは娼婦だ。
マリリアーナが今居る場所は、彼女が娼婦として買われ床上げしてからずっと身を寄せている娼館府ロレンス。そして、大陸一の規模を誇り、最大の賑わいを見てるグレルト帝国内に存在している花街ヘルディア。人を商品として売り買いされるという現実が極当たり前のものとして行われ、男も女も金に明かせて享楽の限りを尽くす街。
その街で商品の一人であるマリリアーナは、彼女を買った客達からそういった扱いを受けることもあった。このロレンスは店主が拝金主義者でもなく、夢を売るのが自分達の仕事がモット―と公言している、花街では変わり種ではあるが、全ての客を選別しきれる訳ではない。そういう客に当たってしまった時は諦めて付き合い、そして二度と来店させないようにするのが、この店だった。
だから、慣れてはいるのだ、そう目の前で言い捨てられることも、そういった扱いをしても構わないのだという態度を取られることも。
だが、今回だけはどうしても許せなかった。
マリリアーナが良い親であったかなんて、そんな事堂々と言える訳もない。駄目な母親だっただろうと、マリリアーナが思うし、きっと同僚達などにも聞いても「そうね」とためらいもなく認めるだろう。そして、きっと息子も。
治安がいいとは言い切れない花街に、一応同じ立場の子供達と共に一纏めにして、母親達が自費を出し合って雇った子守に任せていたとはいえ、仕事中は放り出していた。子供の成長に決してよろしいなんて言えない環境で、その手伝いまでさせていた。マリリアーナは愛情をもって接したとは言い切れても、息子がそれを受け取っていてくれたのか、彼にそれをしっかりと示せていたかなんて、聞ける訳もないから分からない。
だけど、イースは確かにマリリアーナの息子だった。お腹を痛めて、周囲の反対も押し切って、生んで育ててきた息子なのだ。
子が親の物だなんて言いたくない。
マリリアーナはそう考える親によって売り払われた子供だからこそ、そう思う。確かに思っていた筈だった。イースが冒険者になろうと、傭兵になろうと、上客の一人で自称暗殺者がイースを見ていった「暗殺者になっても十分にやっていける」という評価を信じて、そうなっても構わないかな、とさえ思っていた。イースが無事に成長して、巣立っていくのなら、きっと娼婦を辞めても花街に留まり続けているだろう自分の所になど帰ってこないでもいいと思っていた。
でも、それはきっと、まだ数年は先の事だろうとも、思っていた。
だけど、まだ十二歳でイースは連れていかれようとしている。
世界を、いや神は言った正確な言葉を使えば、人々を魔から護る勇者となる為に、穢れに染まったマリリアーナとの血肉の繋がりさえも完全に否定されて連れて行かれるのだという。
認めなくてはいけないのだろう。
息子の幸せ、その活躍を想うのならば、母親は認めることしか出来ないことなのだろう。
いや、認めるなんて言葉は必要無いのだ。この街で、この腹から産まれてきた記録自体さえも消し去られて、この花街の存在している帝国の、皇帝一族に連なる大貴族の両親から産まれ、その後の十二年間の記録さえも作られてしまっている状態では、もうマリリアーナの許可など不要の長物でしかない。
「許さない。許さない、許さない、許さない。絶対に、許さない!」
マリリアーナの目に、怒りと憎しみ、苛立ち、そして覚悟を決めた、夏至の日の太陽のように光が燃え上がったのを、店主とライバルであり家族でもある同僚の娼婦達は目の当たりにした。
そして、マリリアーナは行動した。
「という訳で、私達がこちら側で生活する許しと、そして権利を頂きたいわ!」
マリリアーナがそう叫び上げたのは、薄暗くじめじめとした城の中心、王と臣下達が謁見する為に造り上げられている大広間。何百という存在を収容出来るその広間の最奥には、十数段の階段を上らなければたどり着けない高台があり、その高台の中心に禍々しい、一目でそれと分かる玉座がある。
そして、その玉座に当たり前の顔をして腰掛けている存在が、自身に向かって真っすぐな眼差しを向け、一方的な要求を拒否されることなど考えてもいない様子で言い切った見目の整った女と、その隣で唖然とした表情を隠せないでいる少年を、興味深げに見下ろしている。
クックック。
しばらくの間、広間に居合わせている全ての存在-当然の事だがマリリアーナを除く-は音も立てずに、目を見開いてマリリアーナを見ていた。
その沈黙を破ったのは、玉座に座る存在の堪えきれぬと言わんばかりに漏れ出した、笑い声だった。
「面白い事を言うな、女。何故、魔王である私が勇者であるそれとその母親の身の安全と生活を保障しなければならない」
声だけで、しかも笑っているようにしか聞こえないその声で、魔王は全てを圧倒した。
勇者という運命にあるイースも、魔王の臣下である、それぞれも名を轟かす大魔族達でさえも、魔王のその声に体を無意識に震わせ、息苦しささえも感じていた。
「決まっているでしょう!」
だが、マリリアーナだけは口を開く。
驚愕の視線がマリリア―ナに集まり、そしてまた、彼らは驚愕の上に驚愕を重ねて、マリリアーナから目を反らせなくなる。
マリリアーナは震えていた。それだけではない、顔は青白く血の気が引き、冷や汗を滝のように流し、何よりも今にも倒れてしまいそうな程に呼吸を荒くさせている。立っているのもやっとなのだと思われる。咄嗟に動いたイースがマリリアーナの体を支えようとその体に触れると、氷像を触っている気分にさせられた。
マリリアーナはただ、気概だけで魔王に対峙し、魔王の問いかけに答えようとしたのだ。
いや、気概だけという訳ではない。唇を自分の歯を強く、血を垂れ流すことになるだけの力で噛み締めていた。イースが覗いた手のひらは両手とも、強く爪を食い込ませて、床に血が滴ろうとしていた。気概と痛みで、ただの一般人でしかないマリリアーナは魔王に立ち向かった。
「決まっているじゃない。勇者が魔王の領域にあれば、貴方も命を脅かされる危険を回避出来て安心じゃない?勇者がいなくなったって大騒ぎしているから、人間を脅かすのも簡単じゃないかしら?」
息切れを激しくする中でも、マリリアーナははっきりと魔王に向けて言い放つ。
それには笑みを浮かべていた魔王さえも、驚きに満ちた表情を晒す。
それもそうだろう。マリリアーナが堂々と何のためらいもなく言い放ったその言葉は、攻め込む魔族の餌となる人間側に立っている筈の彼女が口にしていい言葉ではない。それは人間である彼女の、人間への裏切りだった。別に同種を裏切るという行為に驚いた訳ではない、そんな存在は魔族にもいるし、人間にだってこれまで何人、何十人では足りない数で存在したのだ。
だが、魔王からすると豆粒よりも小さく見える魔力しか持たない、何の脅威も感じない、特筆すべきだとしたら勇者を産んだ女というだけの存在が、故意に威圧を与えているというその中で堂々とそれを言い放った姿に、魔王は驚いた。
「ふぅん。面白い、面白いな。さすがは、ローザンを脅して此処までやってくるような女だ」
「お褒め頂けて嬉しいわ」
そこまでが、マリリアーナにはやっとだった。
魔王から放たれる威圧感が失せ、魔族達も気を抜けるようになると、マリリアーナの足はまともに立っていられない状態となり、彼女は床へとへたり込んだ。
そんな母の体をイースは慌てて、手を添え続けた。
勇者の運命を持つ息子が修行と成長の先に戦うよう定められていた魔王に、その本拠地である魔王城へと乗り込んで、マリリアーナとイースは対面を果たした。
怒りのままに覚悟を決めたマリリアーナが選択した結果が、これだった。
「パパ!お金貸して!」
「!!マリリアーナ、イースを連れて逃げたって、逃げ場なんてどこにもないからな!」
覚悟を決めた目をしたマリリアーナが、断られるなんて考えない勢いで腕を突き出し、店主に願い出た。
だが、店主はその短い言葉とその目だけでマリリアーナが何を考えているのかを察知し、絶対にダメだ、と首を横に振る。もはや幼馴染、兄妹のように長く付き合いのあるマリリアーナの考えなど、花街で店を経営する経験と勘を酷使しなくとも、すぐに察することが出来たのだ。
マリリアーナは店主の指摘通り、逃げるつもりだった。イースを連れて、イースを勇者にだけはしない為に。
「じゃあ、どうしろっていうのよ!!私は私の息子を渡すつもりはないのよ!?勇者になんてさせないんだからね、絶対に!!」
「…母さんは、僕が勇者になるのは反対っていうこと?」
「イース…、えぇそうよ!悪い!」
いつの間にか、騒ぎを聞きつけてイースがマリリアーナの近くに来ていた。
それに驚いてマリリアーナだったが、すぐさま慟哭をそのままにイースの言葉に答えを返す。
「どうして?」
「許せないからよ、私が、私が産んだお前がそうなることを!」
鼻息荒く言い切る母に、あまりにも堂々たる姿にイースは言葉をなくす。
「そうだ!いい方法がある!」
「!本当!何、どうするの!」
呆然としている間に、店主が上げた声によって、それ以上の追及は出来ない状況に陥ってしまい、イースは訳も分からないまま流されてしまうことになった。
「ローザン様だよ、ローザン様。あの方に連絡をとってだな…」
「いいじゃない。ふふふ。あいつらにこの子を渡すくらいなら、それくらいやってやるわよ!」
花街ヘルディアは世界最大の、色を売る場所。
世界各地から、享楽を買いたい人々が集まってくる。
その中には、公然の秘密として、人ではない存在も混ざっていた。
店主の告げたローザンも、惜しみなく料金を支払い、それ以上も簡単に大盤振る舞いする様子から、花街の主だった店という店で上客扱いを受けている公然の秘密扱いの魔族、吸血鬼だった。
自称、そして他の魔族である客達の見せる態度などから、吸血鬼ローザンはそれなりに力が強く、立場も高いことも知られていた。
話題の中心人物である筈のイースの理解を置き去りにして、店主とマリリアーナ、イースを我が子のように可愛がってきた、マリリアーナの気持ちが分かると言い切る娼婦達、そして巻き込まれたローザンによって、話はどんどんと進んでいく。順調に進んだ結果が、この魔王城だったのだ。
「理由を聞こうか、女?」
マリリアーナがへたり込んだ後、魔王は居並ぶ臣下達の中で青白い顔を晒していた吸血鬼王ローザンに目を向けた。ローザンは魔王の眼差しに一層顔を青褪めながら、その眼差しが何を自分に尋ねようとしているのかを正確に察し、知らないのだと首を横に振って示していた。
臣下からの答えを得られなかった魔王は、本人にそれを問うことにした。
「何故、人間の希望である勇者を魔族側に引き渡す真似をする?」
魔王は、どうせ何時もと変わらぬだろうと思いながら、この女ならば何か自分を驚かせる理由を言うだろうと期待してもいた。魔王がこれまで対峙してきた、同種を裏切ろうという人間達の理由は、復讐という感情故に狂った事か、金などの自分の欲望を何よりも優先したという事だった。
この女は何を言い出すのか、魔王は表情には出すことなく、それでも笑みを深くした。
「我らは、人など餌にしか思っていないぞ?」
「餌でいいじゃない。そんなの、普通でしょ?」
「ほう」
「母、さん?」
魔王と勇者が一人の人間の言葉に注目する。
「人間だって草を食べれば、肉も食べるわよ。魔族の肉だって、わざわざ毒抜きしてまで食べてるわよ。なのに、人間だけ自分達を食べるなんて許せないだなんて、そんな馬鹿みたいな話当たり前みたいにしている方がどうかしてるわよ!人間食べる、好きにしたらいいわよ。それに対して人間が仕返ししたり、抵抗したりするのも勝手ってことなんだから。餌、上等じゃない!あいつらは、私達を餌以下の扱いしてるんだから、その方が万倍マシよ!」
最後のそれは、魔王に対してではない、マリリア―ナの純粋な感情の爆発だった。
「あの肥え太った豚共!貴族以外は人でもなく、生きる為に必要な餌でもなく、ごみみたいに扱って!奴らが生きる為に必要な糧ならば、まだ納得して我慢も出来るわよ!でもね、ただ奴らの享楽の為に売ろうが買おうが殺そうが、絶望に追い落として遊ぼうが、何をしても神が許してくれるさなんて思われている。人を喰う!?そんなの魔族も、王侯貴族共も同じことじゃない!魔族に煮るなり、焼くなり、生きながら肉を食われようが、血を吸い付くされようが、○○されたり、○○○○をさせられようが、○○で○○○○なことは○○にさせられようが、○○されて○○にされようが、そんな事、人間だって私達娼婦を家畜以下だって考えてやらせるのよ!普通よ、普通。好きにしりゃぁいいんだわ!」
「母さん、僕はまだ子供だけど、それくらいは分かるよ。そういうのって、逆にやれって言われると出来ないものだって」
息子の前だというのに堂々と、あまりよろしくはない言葉やシチュエーションを叫んでいくマリリアーナに、呆れた言葉をイースが漏らす。
それには、魔族達もうんうんと頷いて同意するという、奇異な光景を作り出した。
息子であろうと、母親の三十三年の人生の中の十二年しか知らないイースには、激高して叫ぶマリリアーナの過去に何があったのかなんて、知る由もない。
だが、きっとその叫びに相応しい以上の何かがあったのだろう、そしてマリリアーナに反対することなく協力した店主も娼婦達も、それに似た事を経験し、マリリアーナと同じ考え・想いがあったのだろうと推測することは出来る。
「あんな豚共にいい様に動かされて、取り込まれていく息子の姿なんて見たくもない!」
マリリアーナのその勢いは、マリリアーナなんて一瞬にして殺してしまえる魔族達を圧倒し、感心させもした。
「そんなの見るくらいなら、死んだ方がマシよ!」
脆弱な人間の身でありながら、この空間を圧倒していたマリリアーナが、その職業柄豊満な胸元から何かを取り出してみせた。
「神様が言っていたわ。神が直接、魔王に手出しすることは許されてはいないって。でも、神の力を人間が使うのなら、まぁある程度のダメージを与えて、人一人くらいを脱出させる程度の事はお茶の子さいさいだって」
据わった目をしたマリリアーナが胸から取り出したそれは、彼女の胸の合間から出た瞬間に、魔王にも魔族達にも不快で、身の危険を感じさせる高い神格を有した気配を放ち始めた。
「私たちを受け入れるかどうか、魔王陛下、お返事をお聞かせ下さいな。これはそれを、誓いの神が認めてくださるようになっておりますの。イース、貴方も此処で決めてね。勇者になるの?なるんだっていうのなら、母さんからこれを奪って行ってしまいなさい」
マリリアーナは神の助けを借りて、魔王と勇者、殺し合う運命にある筈の両者に向かって、答えを請求する。
自分が死ぬことになる可能性も高い選択を、マリリアーナは据わった目に覚悟を秘めて、堂々と言い切った。
「…夢と争いの姉弟神の気配だな。女、どうやって両神を動かした?」
「私が居たのは花街よ?人も魔族も、それに神だって客よ。溜まったツケ払う代わりに手を貸せと言ったら、大笑いだったけど、簡単にこれをくれたわ」
「…争いか。それならば納得出来る。あの男が争いの種を何よりも、神々との軋轢よりも優先する。勇者を人間側に置くより、争いが激しくなるとでも踏んだんだろうな。だが、夢がどうして動くのか…?」
「夢の女神様は花街の女の庇護神を買って出て下さっている女神様だもの。私達の、勇者を貴族共には渡さないっていう願いを理解して下さったわ」
こんなところから抜け出してやる、成り上がってやる、という夢に向かって心を燃え震わせる娼婦達を、夢を司る女神は同じ女性として慈愛深く護ると誓いの神に誓っている。その伝手とツケによって、マリリアーナは自分の願いを叶える武器を得た。
「いいだろう。面白い。例え、その勇者がここから立ち去ることを選ぼうと、お前に私の客人という立場を与えてやろう」
全ての選択が、勇者となる少年に向かう。
これは理不尽なことだった。十二の子供にのしかかるには、味方が一切いない敵地という圧倒的に悪過ぎる状況だった。
マリリアーナはじっと息子を見つめる。
息子がどんな選択をするのかを、見逃さない為に。
卑怯なことだと分かっている。息子の人生を自分勝手に狂わせているのだということも分かっている。それでも、マリリアーナは息子を勇者にしたくなかった。指名に追い立てられ、人々の視線に追われる、戦いだけを強いられ続けることになる、勇者になんて。大嫌いな王侯貴族共、自分達を利用する癖に自分達と娼婦は別の生き物なのだと厭う目を向けてくる人間達を護り傷つかなければならないなんて、マリリアーナの心が許せないと叫ぶのだ。
「僕は…」
そして、勇者は選んだ。