第二章 壊れた精霊②
石造りの王都の中心部は、家並みの揃った整然とした街だった。すっきりと小綺麗な街着を着た人々が、白い切石を敷き詰めた通りの端を行儀よく歩いている。馬車を引く馬さえも、王都用に訓練され、整った足並みで歩を進める。
「思い出した。中心街ってこうだよねえ。は~堅苦しい。都会も嫌いじゃないけど、デュラ区あたりはどうもなあ。うえ~気が重い」
活気ある下町の食堂で長く働いていたペリは、馬車の窓から見える中心街のお固い雰囲気に文句たらたらだ。
ペリは食堂も、市井の精霊使いだった食堂のおかみさんも大好きだったそうだ。
しかし四年前、ペリの愛する暮らしを根こそぎ奪った出来事があった。
魔物の発生である。
王宮に所属する戦士精霊の力ですぐに魔物は始末されたものの、下町では多くの犠牲者が出た。ペリの勤める食堂も、巨大な魔物の下敷きになったそうだ。精霊使いのおかみさんも一緒に。
居場所を失ったペリは、捕えられて物のように競りにかけられた。買われて貴族の屋敷で働くようになるが、上流階級の精霊使役法は統率のとれる『命令使役』が中心だ。
ペリは『命令使役』に全く適応することが出来なかった。
大事な晩餐会でスープをぶちまけて主人の怒りを買い、ペリは廃棄処分にされそうになった。たまたまその晩餐会に出席していたクレティス伯爵が、助けるつもりでペリを引き取ってきたのだ。
エデもペリも『命令使役』の落ちこぼれだった。
クレティス伯爵は『命令使役』の反対者だ。
僕たちは出会うべくして出会ったんだよ。ミシェルの父は小さなふたりの頭を大きな手でわしわしなでながら、うれしそうに言っていた。
馬車はそろそろフォシェリオン侯爵の屋敷に到着しそうだ。
ミシェルは膝の上のモモの、やわらかな金色の巻き毛をそっとなでた。モモは目を覚ましているようで、うつぶせに寝そべったままミシェルのエプロンドレスのスカートをぎゅっと握りしめていた。
四年前の魔物の発生と、その後始末に連なる権力争いの中で、一番傷ついたのはモモだ。モモは『命令使役』の行使で、最も深く傷ついた精霊かもしれない。
「ごめんね、モモ。ずっと村にいられなくて……」
モモは返事の代わりに、ぐすっと鼻をすすりあげた。
「わたし、絶対あなたを守るから。だから、信じて」
「うん。だいじょうぶ。信じてる……」
うつぶせのまま、モモは答えた。
「ありがとう、モモ」
馬車は中心街の大通りを走り、やがて立派な門の前に止まった。
門の向こうの庭園は、ここが王都であることを忘れてしまうほどに、木々の豊かな緑で彩られている。まるでちょっとした森だ。
「敷地面積約一万四千ヤーパス」
エデがつぶやく。
「げーっ! なにこの広さ!」
ペリが目をひんむいた。
門番の手によって、門がゆっくりと開かれる。馬車は煉瓦敷きの馬車道を進む。晴れていたらこの私道は、さぞ木漏れ日が美しいだろうとミシェルは思った。一行が馬車を降りたとき、灰色の空から雨がひとつぶ降り落ちた。
ミシェルたちの馬車に続き、この家の主人であるグレンの乗る馬車が馬車止まりにすべり込んできた。従者のアンディに続いて、グレンが馬車を降りてくる。
「ようこそ我が家へ。ミシェル・デ・クレティス嬢」
あらたまったようにミシェルに向き直り、グレンが手を差し出してきた。
「ご招待ありがとうございます、フォシェリオン侯爵様」
「グレンだ」
「いいえ、侯爵様。そしてわたしは……ミシェル・コーシーでいさせていただけないでしょうか。このお屋敷で新しく雇った家事精霊使い、ミシェル・コーシー」
差し出されたグレンの手をミシェルはとらなかった。グレンはなにか問いたそうにミシェルを見たが、しぶしぶとその手を降ろした。
「使用人扱いなど、レナルドとメリエに申し訳が立たないではないか。私は婚約者として君を迎える準備をしていたのだぞ。本館に君の部屋だって準備して……」
「そこまでしていただいたなんて。申し訳ありません」
「私は、死んだことになっているクレティス伯爵に代わって失踪中の君を庇護するのは私でしかありえない、君を完璧に守るには結婚しかないと思って、着々と準備を重ねて――」
「侯爵様、そこちょっと黙りましょう。ミシェルさんが引いてます」
ミシェルの気持ちをアンディが代弁してくれた。求婚するなら花を持って行けとグレンに助言をした従者である。
「引く? なぜ?」
「絶大な自信があるのか空気が読めないのか、まったく……。侯爵様がレナルド様とメリエ様をお慕いする気持ちはわかります。おふたりのお嬢様を大切にしたいお気持ちもわかります。しかし、ミシェルさんには、侯爵様と積み上げてきた日々は存在しないのです。初対面同然でしょ。率直に言って、侯爵様の求婚は急ぎすぎです。物事には手順というものがございますでしょ」
アンディの言葉に、年配の御者もうんうんとうなずいている。
従者と御者ふたりの攻撃に、グレンは子どものように唇を尖らせて憮然となった。主人に向かってずいぶんはっきり物を言う従者たちである。
(信頼関係があるのね。そうでなければ、こんなやりとりはありえないもの)
グレンが精霊たちと花束を作っていたときのように、ミシェルの気持ちにあたたかな灯がともった。
「ええと、結婚話は今も後も横に置いて欲しいのですが……。でも、今回のお話、わたしの力になにか求めるところがあると理解しています。お時間があるときに、くわしいお話を聞かせてください」
「ドレスも注文するつもりだぞ。とりあえず採寸――」
「侯爵様、ごり押しは嫌われますよ」
従者にぴしゃりと言われ、グレンはやっと黙った。