おまけ① モモのここが気に入らない!
「デスカリド侯爵に重用されていただけあって、モモは動きが機敏ですね」
グレンとモモの鍛錬を見終えたアンディは、感心して主人に言った。
「剣捌きにもキレがあるしな。逸材だ」
アンディから手渡された布で汗をぬぐい、グレンが答える。
冬はもうすぐそこの寒い日だったが、モモと手合わせしたグレンは汗だくだ。
精霊はほとんど汗をかかないので、モモのほうは涼しい顔で「お先に失礼しま~す」とふたりの横をすり抜けて行く。
「あっそうだ」
モモはくるりと振り返った。
「なんだ?」
「ミシェルとペリとエデが、焼き菓子を作ってるんですー。あたしもこれからお手伝いに行くんですけど。できあがったら、おふたりを呼びますね。みんなでお茶にしましょ」
それだけ言うと、モモはるんるんした足取りで庭から去って行った。
アンディはモモの薄ピンクのシャツの背を見送り、軽くため息をついた。
「逸材なんでしょうけど……」
「逸材なんだがな……」
「やはりご不満が?」
「若干……」
アンディは、主人が憧れているクレティス伯爵と、彼の相棒の戦士精霊を思い浮かべた。
クレティス伯爵の相棒ランドゥは、ドーベルマンを思わせる引き締まった体躯と鷹のようにするどい眼光の持ち主で、邪悪な魔物を制圧する戦士精霊にふさわしい、静かな迫力がある。寡黙なところも、黒い服を好むところも、伯爵の懐刀といった雰囲気で、決めるべきところはビシッと決めてくれそうで――。
要するに、かっこいいのだ。
見た目で魔物を倒すわけではないのだが、あのモモはどうにも雰囲気が甘っちょろいというか……。
「せめて女言葉をやめてくれたらいいんですけどねえ」
アンディはぽつりと本音をこぼした。
「そこは別にいい。慣れた」
グレンはさらっと言った。
「えっ。いいんですか?」
「モモが心を得たときは幼女姿だったのだから、仕方ないだろう。今さらもういい」
「そうですか、いいんですか。では、あの服の趣味は? ピンクのふりふり……」
「モモに似合ってると思うぞ?」
「まあ、たしかに……」
モモは体格こそ戦士精霊らしくガッチリしているが、顔立ちは甘く優しげだ。やわらかな金の巻き毛と薔薇色の頬は、淡いピンクによく映える。
「だが、フリルやレースはひかえめにしておけとは言っておいた」
「そうですよね」
「動きづらいからな」
「そこですか……。あの服、どこで手に入れるんです? 男物としては入手が難しそうな意匠だと思うのですが」
「ミシェルと一緒に作ったそうだ」
「モモ自ら?」
「それはそうだろう。家事精霊なんだから」
「戦士精霊ですよ」
「どっちでもあるんだ。そこがまた逸材なんだ」
「う。たしかに……」
「焼き菓子か。楽しみだな。ミシェルの作る菓子はなんでも美味いんだ。はやく着替えてこよう」
グレンはうきうきと私室へ向かった。
庭にひとり残されたアンディは、ふと疑問に思う。
では、グレンが感じるモモへの不満とはなんだ?
サンルームのドアを開けると、食欲をそそるバターの香りに包まれた。
庭に面したガラス張りのサンルームには丸テーブルがしつらえてあり、茶器や食器が準備してある。大皿にはガレットやクッキーなど、小振りの焼き菓子が並んでいた。
アンディの腹がきゅうと鳴る。自分がこうなのだから、体を動かしていたグレンはもっと空腹を刺激されていることだろう。
「ああ、いいにおいだ……」
忽然とした表情でグレンがつぶやく。
「パウンドケーキもちょうど焼き上がったところなんです。庭で採れたベリーを干したものと、ナッツが入っていて――」
ミシェルが型から出したばかりの長方形のケーキをふたりに見せる。
「切り分けますね。モモ、グレン様とアンディにお茶を淹れてさしあげて」
「はあい」
ミシェルがワゴンに並べた皿に切ったケーキを載せ、エデが泡だてたクリームとジャムを添えていく。ペリがそれをぱたぱた飛んで運ぶ。
ピンクのシャツの上にフリルのついた白いエプロンをつけたモモが、グレンとアンディの前で、気取った動作で紅茶を淹れる。
(こういう家事精霊も需要があるかもしれない……)
モモの美貌としなやかな長い指を交互に見て、アンディはそんなことを考えた。奥様たちが欲しがりそうだ。
(でも、旦那が怒るかな?)
ふと、美青年姿のモモがミシェルと一緒にいることをグレンはどう思っているのだろうと疑問が湧いた。
盗み見るようにそっと、となりに座る主人を見る。
グレンは憮然としていた。
にらんでるんじゃないかと思うくらい険しい目つきで、ティーポットを傾けるモモの横顔を見つめている。
(――わかりやすっ!)
「さあ、いただきましょうか」
準備を終えたミシェルが、グレンの向かいに席をとった。
丸テーブルに椅子は四つ。グレンの左隣がアンディ、その左隣がミシェル、その左隣の空いた椅子に座るのは、モモだろう。小さなペリとエデは、テーブルの端にちょこんと座る。
本来、貴族は従者とお茶の席を共にしたりしないものだ。
しかしミシェルの私的なお茶会では、従者も精霊も主人と同等なのだった。グレンもそこは承知している。というか、そのやり方をよろこんでいる。
――はずなのだが。
グレンが不満をぶちまけたのは、モモが席に着く際に、椅子をミシェルに寄せたときだった。ミシェルの左肩とほとんどくっつきそうな距離に、モモが座ったとき。
「……離れろ」
「えっ?」
ケーキを頬張ったモモは、グレンの怒りを潜めた低い声にきょとんとした。
「ミシェルから離れろと言っている。肩と肩がくっつきそうじゃないか。なぜ椅子を寄せる? 離れろ!」
「えっ? えっ? なんで?」
「なんでだと? 言わせるな!」
「だって本当にわからないんだもの。あたし、いつだってミシェルの左肩にいたのに。定位置なのに」
「家事精霊のころの話だろう!」
「今だってミシェルと一緒にいるときは家事精霊ですもん。それに、グレン様おっしゃったじゃないですか。体の大きさは変わっても、あたしは元のままでいいって」
「……くっ」
モモの思わぬ反撃に、グレンはたじろいだ。
「変な心配しなくてだいじょうぶだよ。精霊は、人間の男みたいにいやらしい気持ちにならないから」
口のまわりにクリームをつけて、どちらを助けるでもなくペリが言った。
「私はいやらしい気持ちになどならない!」
「明確に嘘ですね」
エデはエデで容赦ない。
「結婚するまでミシェルといちゃつけないのがもどかしいのはわかるけど。モモにヤキモチ焼いてもしょうがないでしょ」
「ヤキモチなど焼いてない!」
精霊たちに翻弄される主人を見て見ぬふりで、アンディは澄ましてお茶を飲んだ。
(なんだ。不満ってそんなことか)
あいかわらず、侯爵様は純情でいらっしゃる。
グレンがペリとエデに弄ばれるのはいつものことだ。ミシェルがおろおろと精霊たちをたしなめるのもいつものこと。
(面白いからほっとこう)
平和でいいじゃないかとアンディは思い、美味しい菓子をたらふく食べた。




