第四章 我が愛しの精霊使い⑫
貴婦人の社交のための広間に、こんなエプロンドレスで行っていいのだろうか。駄目だと言われてもエプロンドレス以外持っていないのだが……。
(いいのよ、だいじょうぶよ。大奥様が「普段通りで」って伝えてくださったのだし。これがわたしなのだから、堂々としていればいい……の……よ……)
これから先、絹のドレスも着こなせるようにならなければいけないと思うと、気が重くなった。髪型から靴までトータルで決めてくれる助言者がほしい……。
「ミシェル様をお連れしました」
メイドがサロンルームの扉を開けてくれる。
両開きの扉を開けると、そこは窓の大きい明るい部屋だった。部屋も広いうえに、庭園が窓から見渡せるため、解放感が素晴らしい。
大奥様が貴婦人の集いを催すときは何十人も入るそうだが、今は隅に女性がふたりいるだけだ。
いや、もうひとりいた。
家事精霊だ。家事精霊と客人が、並んで刺繍をしている。
「ミシェル、こちらよ」
大奥様らしきシックなドレスの貴婦人が、ミシェルを手招きする。なんだかどこかで聞いたことがある声だったが、気のせいだろうか?
うつむいて刺繍をしていた令嬢が、こっちを向く。
はっとするような愛らしい令嬢だ。社交界の流行などミシェルは知らなかったが、庶民目線で見てもその装いは完璧なものに見える。
レンジーナと思われるその令嬢は、顔立ちは甘いながらもそれはそれは強い視線で、正面からミシェルを見据えた。
「はじめましてミシェル様。座ったままで失礼します。足を怪我しておりますので」
声も甘くてかわいらしかったが、刺さるようなまなざしがおそろしく、ミシェルは逃げ出したくなった。
どんなののしりを受けるのだろうか。もって回った嫌味だろうか。ゲインズはもっと怖いことも言っていた。「怪我でもしたらお嬢様が嫉妬のあまりやったことにすりゃいいのさ。あのお嬢様なら、恋敵にこれくらいやるだろう?」とかなんとか。ミシェルの背中を踏みつけながら……。
「は、はじめまして、レンジーナ様」
「あたくし、あなたに言っておきたいことがありますの」
(き、来た……!)
情けなくも足がふるえる。地味に穏やかに暮らして来たミシェルは、男性の褒め言葉にも慣れていないが、同性の悪意にも慣れていないのだ。
レンジーナはミシェルに視線を固定し、大きく息を吸った。
「あたくし、いつかあなたに『お母様』と呼ばせてみせますわよ!」
「…………はい?」
ミシェルはなにを言われたかわからなかった。
「あたくし、レナルド様の妻になります!」
以前にも、こんなふうに唐突に、会ったばかりの人にとんでもないことを言われたことがあった。
あのときはたしか、「よし。結婚しよう」だった――。
今回は突っ込んでくれるペリとエデが一緒にいなくて、困った……。
「ええと、お父様と結婚されるのですか?」
「ええ!」
「いつ……?」
「そう遠くない未来ですわ。まだレナルド様の承諾はいただいてませんけどっ。でも言ってしまえばいつか叶うのです。グレン様だって、そうやってあなたのハートを掴んだのでしょ?」
「そ、そうなのかしら……」
「そうなのですわ。だからあなたは、あたくしの宣言を受け止めておけばよろしいの」
レンジーナは命令するようにそう告げると、ふたたび刺繍枠を手にして、一心不乱に針を刺しはじめた。
レンジーナのとなりの椅子には家事精霊がいて、その精霊も一心不乱に刺繍をしている。
「……『同調』」
レンジーナと精霊のまわりには、さわやかな『精霊気』が循環している。
「レンジーナちゃんがね、わたくしに『同調』のやり方を教えてっておっしゃったの」
レンジーナの集中をさまたげないようにするためか、大奥様は彼女から離れるようミシェルを促した。ふたりで窓際へ移動する。
「そうだったのですか……。とてもきれいな『精霊気』だわ」
「あの精霊ちゃん覚えてる? あの子、もともとレンジーナちゃんのおうちの精霊だったそうよ。『命令使役』漬けで危なかったのに、よくぞここまで立ち直ったわ」
「あ……!」
言われてみれば、レンジーナと真剣に刺繍をしているのは、グレンがつかまえたあの無表情な家事精霊だった。表情が一変しているので気付かなかった。
「みどころあると思わない? レンジーナちゃんも『一番』も」
「『一番』?」
「デスカリド家では四番って呼ばれてたそうだけど、レンジーナちゃんが一番ってつけ直したの。『一番の名をほかに譲りたくなかったら、ちゃんとあたくしの技についてらっしゃい』ですって。あの精霊ちゃん、負けず嫌いなのね。とても相性がいいわ、あのふたり。気持ちが強くて、負けず嫌いどうしだわ」
大奥様は可笑しそうに言った。
「人と人とに運命の出会いがあるのなら、人と精霊にもあると思わない?」
大奥様はそう言うと、窓から庭園に視線を向けた。
馬車止まりにフォシェリオン家の馬車が帰ってきたところだった。
白髪頭の御者が扉を開け、グレンと戦士精霊が降りてくる。
グレンと、モモが。
やさしい木漏れ日が、庭に立つふたりに降り注ぐ。
「グレン、モモちゃんと息が合うみたい。いつかあなたのお父様とランドゥ君に負けないくらい、最強コンビになれるといいわねー」
グレンとモモは、なにやら剣術の動作をしていた。今日の訓練のおさらいをしているのだろうか。真剣な顔をして技術を確かめ合ったかと思えば、ふっと顔をほころばせて笑い合ったりしている。
そんなふたりを見ていたら、ミシェルは涙が浮かんできた。
人と精霊が笑い合う姿は、とても素敵だ。
笑い合うのが愛する人と愛する精霊だったら、なおさら素敵だ。
明るい木漏れ日の中の、しあわせな光景――。
ミシェルは胸がいっぱいになった。
ぐしゅんと鼻をすすりあげたら、横から「どうぞ」と絹のハンカチーフが差し出された。
「ありがとうございます、大奥さ――まっ!?」
思わずすっとんきょうな声を出してしまった。
大奥様の顔に、さっきまでなかった瓶底眼鏡が乗っている。
どこかで見たような顔なんてものじゃない。髪型とドレスこそ違えど、そこにいるのは間違いなくメイド頭のエランジュだった。
「大奥様――メイド頭さん――エランジュ様――えええええ?」
「呼び方に困ったら『お母様』でいいのよ?」
「えっ、あっ、あわわ……」
「わたくしも『同調』の家事精霊使いですもの。ミシェルちゃんがエプロンドレスで家事をするように、メイド頭の格好でおしごとするのよ」
エランジュはいたずらっぽく片目をつぶって見せた。
ミシェルは、ダリアたちがにやにやしていた理由がやっとわかった。
みんな知っていたのだ。メイド頭の正体を。
「うふふ。きょうミシェルちゃんをお呼びしたのは、ミシェルちゃんのドレスをつくるためでーす! 宮廷のファッションリーダーと精鋭お裁縫部隊が、あなたに最高のドレスをつくります! もちろん、ウエディングドレスもよ!」
「ファッションリーダー?」
「あたくしよ」
レンジーナが顔をあげ、ふふんと得意げに言った。
「精鋭お裁縫部隊?」
「お入りなさいな、あなたたち」
サロンルームの扉が開く。
入ってきたのは、大勢の家事精霊たちだった。
精霊たちは手に手に、巻尺やものさしや待ち針を持っている。
その中に、満面の笑顔を浮かべた、ミシェルの愛するふたりもいた。
「ペリ……。エデ……」
ミシェルはもう、涙をこらえきれなくなった。
うすい翅をぱたぱたさせて、二人がやってくる。
「絹のドレスは初めてですが、がんばりますよ」
右肩に乗って、エデが言う。
「ミシェルのためだもんね!」
頭に乗って、ペリが言う。
頭の上と右肩の、なじんだ重さとあたたかさ。
この重さとあたたかさをずうっと守っていきたい――。
グレンと一緒に、ずうっと――。
ミシェルは心からそう思い、うれし涙をぽろぽろこぼしながら、かわいい二人を優しくなでた。




