第四章 我が愛しの精霊使い⑩
「王都の危機に駆けつけ、命を賭して魔物と戦う人物が、己の目的のために短絡的な罪を犯すでしょうか?」
グレンの進言は、言葉上はクレティス伯爵の罪状に対する疑問に留められた。
その場にいた者たちが抱いた疑問を代表して口にしただけだった。
しかし、それで十分だった。
数時間後、英雄レナルドの帰還に王都の民衆は大いに沸き立つこととなる。『命令使役』推進派の貴族は、その盛り上がりを抑えることなどできなかった。
レナルドとランドゥは再び英雄として、民衆に見守られながら堂々と王城の門をくぐることとなった。
英雄と愛娘との涙の再会は、のちに王都の人々の語り草となる。
数日後。
フォシェリオン家の屋敷に、レナルドが招かれた。
グレンが取り持ったおかげでレナルドは再投獄を逃れ、国王と高官たちとで話し合いの場を持つことを許された。
レナルドは帰国に際し、近隣諸国に取材した、精霊術に関する詳細な資料を携えていた。
大国の精霊庁長官の署名入りとあっては、デスカリドも資料を無視するわけにいかなかった。それが『命令使役』の危険性について、詳細に書かれていたものだとしてもだ。
大陸きっての大国を後ろ盾にしたレナルドに対し、国内しか視野に入れていなかったデスカリドは、ぐうの音も出なかったらしい。
レナルドは無事に罪人の立場を逃れ、愛娘が身を寄せるフォシェリオン家での滞在を許されたのだった。
「グレン、君が上手に動いてくれたおかげで、難なく陛下と高官たちに会えたよ。持つべきものは身分が高くて頭が良くて運動神経も顔も声もいい、『同調』使いの弟子だな」
「完璧ですね、私は」
師匠の褒め言葉に、グレンは鼻高々な様子だ。
グレンは基本的に自信家だとミシェルは思った。けれど根拠のない自信過剰とはちがうとわかったので、今はただ感心するのみである。
実際、グレンは身分も頭脳も運動神経も美貌も声も総動員して、ミシェルとレナルドを助けたのだから。
「あとは『精霊石』の危険性が、陛下にご理解いただけることを願うわ」
「精霊は肉体が消滅するとき、その力を大気に還す。大気に戻った精霊の力こそ『精霊気』の正体だ。人の手で肉体を潰され、霊力が『精霊石』に閉じ込められると、精霊が『精霊気』に戻る循環が断たれてしまう。『精霊気』は魔物の発生を抑えるから、大気中に少なくなると魔物が湧きやすくなる。――そこまでは、僕は投獄される前から陛下にも精霊庁にも言ってたんだけどね。そのせいで死人になるはめになったよ」
レナルド・デ・クレティスは肩をすくめた。
彼は、反デスカリド派の下級官士の協力のもと、病死したことにして牢を出て、埋められた墓から脱出したのだ。
つい最近まで外国にいたため、レナルドは異国風の騎士装束をまとっていた。
「デスカリド侯爵は、あなたを陥れるためとは言え、なぜ貴重な戦士精霊を犠牲にしたのかと、ずっと疑問に思っていました」
グレンは眉をひそめた。
「デスカリドが隠し通してきた『精霊石』のもうひとつの危険性だよ。『精霊石』の力を浴び過ぎると精霊は変調をきたすことがある――。『命令』が聞こえなかったり、『命令』されてないことまで『命令』されたと思い込むようになったり。戦闘力の高い戦士精霊が変調をきたすと危険だから、変調の兆候のある戦士精霊は始末することにしたのだろう。デスカリドは、モモを含む戦士精霊数人を使って、壊れかけた戦士精霊を始末したのさ。まさか戦闘の最中でモモが変調しはじめ、暴走するとは思わなかったんだろう。それまでモモは、最も命令使役に適合した精霊だと思われていたから」
「……モモがかわいそうだわ。精霊殺しに利用されるなんて」
やりきれない思いでミシェルは言った。
「そうだな……。戦士精霊は家事精霊より傷つきやすく、治りづらいそうだ。消費する力が大きいからな。傷ついた戦士精霊を家事精霊に変えるのはクレティス家に伝わる秘法だけど、逆ができるなんて驚いたよ。ミシェル、成長したな」
レナルドは娘がやってのけたことに、心底驚いているようだ。
「わたしの力じゃないわ。モモ自身が戻りたかったのよ。それだけよ」
「モモが戻りたがっても、相当に高密度な『精霊気』を与えないと家事精霊が戦士精霊にはならないだろ? そんなの、ミシェルにしかできないさ」
「わたしの力だけじゃ無理だってば。モモが強く望んだの。戦いたいって」
「戦士精霊でいることに絶望していたモモが戻りたがるなんて、よほど君を守りたかったんだろうね」
「そうかしら。モモは、本来の役割を忘れてなかったんだと思うわ」
グレンに『同調』して魔物と戦うモモの、なんと生き生きしていたことか。
あれがきっと、本来のモモだ。『命令使役』からも家事精霊の仮姿からも離れた、あるがままのモモ。
ミシェルの左肩でミシェルの髪に顔をうずめ、めそめそ泣いていたモモはもういない。モモは回復し、ミシェルの左肩を巣立ったのだ。
ミシェルはそっと、左肩をさすった。
さみしいけれど、これで良かったとミシェルは思った。
「モモって戦士精霊のころから『モモ』だったのか……?」
グレンは名前に合点がいかない様子だった。たしかに、勇ましい戦士精霊には不似合いな愛らしい名前だ。
「名前はなかったの。番号で呼ばれてたみたい。モモって名付けたのはペリとエデよ」
「ペリとエデか……。『精霊石』の力を浴び過ぎて『命令』が通じなくなった精霊は、最初から『命令使役』が通じないペリやエデのような精霊と、どう違うのだろうな」
「ぜんぜんちがうわ。表情が」
「そうか、そうだな。顔つきも口のきき方もちがうな。ペリのように私のことを『変態』呼ばわりしないだろうし」
「グレン……君は変態なのかい……?」
レナルドが娘を想う父として、若干の不安を持ったようだ。
「レナルド、余計な心配は無用だ」
「あとでペリとエデに君の行動をたずねてみよう……」
「やめてくれ!」
グレンには早急すぎる求婚をペリとエデから非難されまくった過去がある。
「なんだそのあわてた顔は。立派に成長した君ならば、ミシェルとの仲を祝福しようと思ったのに。懸念が増えたぞ」
「そこは大丈夫だから! レナルド、あなたの懸念はそこじゃない。人工的に魔物を湧かせるのは危険だというところだろう?」
あせったグレンは強引に話を引き戻した。
「『瘴気』は一ヶ所に集めればだいじょうぶなんていう、単純なしろものじゃないのさ。下手にいじると『精霊気』のバランスを崩して、同時多発的に魔物が湧くんだ」
他国の精霊事情を見聞きして歩いたというレナルドが、苦々しく言う。
レナルドが身の危険を承知で王都に駆けつけたのは、デスカリドの実験のうわさを耳にして、なんとしてでも止めなければと思ったからだそうだ。
「リエンタラより精霊術が進んだ国はいくつもある。陛下にも話したよ、他国のことをいろいろと。僕たちはもっと、他国から学ばなければいけないね」
「……お父様、また外国へ行ってしまうの?」
「行くけども、ミシェルの花嫁姿を見に、必ず帰ってくるよ」
「ランドゥは、どうするの?」
「今度は共に行くつもりだ。あいつには悪いことをしたな。極秘裏に国を出なければならなかったから、見捨てるような形になってしまって」
レナルドはせつなそうに表情を歪めた。
「そう、一緒に行くの。よかった……」
「グレン。ミシェル。ランドゥを元気にしてくれてありがとう。世話になったな。今回の魔物退治の陰の功労者は、君たちだよ」
師匠の感謝の言葉に、グレンは喜びに頬を紅潮させてうなずいた。ミシェルもにっこり微笑む。
ミシェルは、ランドゥの気持ちがわかってきていた。
ランドゥはレナルドを慕っている。精霊使いが彼でないと剣に触らないのだから。
あそこまで憔悴してしまったのは、レナルドに捨てられたと思い込んでいたからだろう。
それでも肉体を放棄しなかったのは、レナルドをあきらめきれなかったからではないだろうか。
誰もいない奥庭の、小屋の隅にうずくまっていたランドゥを思い出すと、ミシェルは胸が痛んだ。
ランドゥが言っていた「守りたいもの」とは、国でも街でも精霊仲間でもなく、レナルドではないだろうか。
彼の大切な精霊使い――。
レナルドがふと、応接間の窓から庭を見た。
ミシェルが父の視線を追うと、木の陰にランドゥがいて、遠慮がちにこちらを見ている。
レナルドがランドゥに向かって手を振ると、木陰から出てたたっとこちらへ駆け寄ってきた。
「黒い大型犬がしっぽ振ってるまぼろしが見える」
駆け寄るランドゥを眺めて、うらやましそうにグレンが言った。




