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第四章 我が愛しの精霊使い⑨

     *****


 王城の魔物は、グレンと戦士背霊たちの華麗なる協調の結果、音を立てて地面に沈んだ。グレンはピクピクふるえる魔物の首元に飛び乗ると、共に戦った戦士精霊たちを見回した。そしてモモに目を止めた。

「薔薇色の頬の、新入りの君!」

 グレンがモモの目を見て呼びかける。

「私と一緒に、この魔物にトドメを刺そう。脈を断ち切る。来い!」

「はいっ! よろこんで!」

 モモは血色の良い頬をさらに紅潮させ、魔物のごつごつした首元に飛び乗った。

 そしてグレンの横に並ぶと、ふたり呼吸を合わせて魔物の脈に剣を刺した。

 ブシュウ、と音がして、魔物の首筋から薄桃色の体液が泡立つ。ついに魔物は動かなくなった。死んだのだ。

 グレンとモモは顔を見合わせ、パン!と高い位置でお互いの手と手を合わせた。

 グレンとモモが手と手を打ち鳴らす音が終了の合図であったかのように、周囲から歓声と拍手が巻き起こった。城館の窓からも、勝利した精霊使いと精霊たちをたたえる拍手が降り注ぐ。

 その拍手の最中、庭園にひとりの従者が駆け込んできた。

「ご報告いたします! カザン区の魔物が無事処分されました! 死者なし、怪我人数名。いずれも軽傷です! 建物の倒壊もありません!」

 従者の言葉に、さらに大きく拍手が巻き起こる。

 精霊庁の大勝利だ。

 誰しもがそう思った。

 しかし。

「あの……その、カザン区の魔物を殺処分した精霊使いですが」

 言いにくそうに従者が口を開く。

「デスカリド侯爵だろう? 違うのか?」

 精霊庁の高官が尋ねた。

「ええとその……まだ未確認ではあるのですが」

「なんだ、はっきり言え」

「クレティス伯爵だろう? 私もグスク村へ向かう途中、偶然会ったんだ」

 グレンが従者の倍ほども響く声で、言った。

 クレティスの名を聞いて、周囲の目が一斉にミシェルへ向いた。一瞬のち、精霊庁の面々が一気に蒼白になった。あわあわと声にならない声が行き交う。

 それはミシェルも同様だった。

(お父様が? お父様が王都に来ているの?)

「ミシェル!」

 グレンが今度はミシェルの名を呼んだ。彼はまっすぐこちらを見ている。

 グレンは魔物の死体から飛び降りて、一直線にミシェルの元へやってきた。

 はやく父のことを聞きたくて、ミシェルもグレンをじっと見つめる。

 しかしグレンの口から飛び出た言葉は、事の説明などではなかった。

「我が愛しのミシェル! 君のお父様に許可をもらったよ! 結婚しよう、明日にでも!」

「えっ……! ちょ、ちょ、ちょっと待ってグレン様。きゃあ!」

 ふいを突かれたミシェルは、グレンに横抱きに抱きかかえられた。俗に言う、お姫様抱っこだ。

「ひゃ……。や、やめてください、みんな見てるわ」

「ミシェルは恥ずかしがり屋さんだな!」

「なに能天気なこと言ってるんですか」

 ミシェルは小声で文句を言った。恥ずかしがり屋さんだな!などと言っている場合ではないではないか。今ここで所在がばれたら、父は……。

「ミシェル、話を合わせろ。レナルドは現状、犯罪者扱いだが、フォシェリオン家の縁者となれば話の風向きは変わってくる」

 グレンが周囲には聞こえないよう、小さくつぶやいた。

 ミシェルははっとなった。

 以前にもグレンは言っていた。

「私なら、君を守れる。我がフォシェリオン侯爵家の奥方を害そうとする貴族などいない」と。

 自分だけではなく、父レナルドもフォシェリオン家の傘の下で守られるなら――。

 たしかに、今は話を合わせたほうがよさそうだ。

 ……とは言っても。

(婚約者のふりなんて、どうやったらいいの?)

 ミシェルがうろたえていると、グレンが腕の力を強めてさっきより密着してきた。

 グレンの力強い腕に囲い込まれる感触に図らずもどきどきしてしまい、ミシェルはどうにもできずに顔をうつむけた。すると「下など向かず、そのかわいらしい顔を見せておくれ。愛しいミシェル」と甘いささやきが降ってくる。

 奥庭でふたりっきりのときは手をつなぐだけで照れていたくせに、公衆の面前で演技するとなったらこの変わりよう。切り替えが鮮やかすぎる。

 本当にもう、恥ずかしくてどうしていいかわからない。

 ミシェルは言われたとおりに顔をあげ、グレンの顔を見るしかなかった。

(ちょっと――)

 見上げるグレンの顔は、とろけそうなほど甘やかだった。演技とは言え、そんなふうに潤んだ瞳で見つめないでほしい。心臓がどきどきと高鳴ってしかたがない。

「え、演技がお上手なんだから……」

「演技? なんのことだ?」

「だって、そんなお顔……」

 そう言いつつもミシェルは、ペリの言葉を思い出していた。

 ――でもね、あたし見ちゃったんだ。

 ――あの男が恋に落ちる瞬間。

 ――モモも笑ってて、エデも笑ってて、ああなんかしあわせだなあってかんじでいっぱいで――その様子をあの男がじっと見てたの。きれいなものを見て、魂持ってかれたみたいな顔してさ……。

(本心、だったりして……)

「本心だが?」

 ミシェルの心を見抜いたように、グレンは言った。

 そしておもむろにミシェルの額に唇を寄せ、そうっとキスを落として来た。

 額に触れるやわらかな唇の感触と、こぼれる吐息。

「愛しているよ、ミシェル」

 そして紡がれる、率直な愛の言葉。

「……!」

 ミシェルは顔から炎が出たような気がした。

(ずるい。ずるいずるいずるい)

 大勢が見つめる中、腕の中に囲い込んで身動きもさせず、甘い言葉とキスを降らせる。もう降参するしかないではないか。

 だって、自分も、グレンを愛しているのだから。

 ミシェルは腕を伸ばし、グレンの首を抱えた。グレンの顔が近くなる。そうすることが、初心なミシェルにとって精いっぱいのプロポーズへの返答だった。

 ミシェルは気持ちを固めた。

 この人と共に歩もう。

 この人と精霊たちと共に、この国の未来をつくろう。

「グレン様、わたしも……愛しています」

 恥ずかしくて、言葉にするのはやっとの思いだった。それでも、ミシェルのつぶやきはグレンに届き、睫毛のむこうの甘やかな瞳がさらに細められる。

「ありがとう。ミシェル」

 グレンとミシェルは至近距離で見つめ合い、そっとうなずき合った。

 周囲からふたりを祝福する歓声と拍手が巻き起こっていたが、そんなものはミシェルの耳にはまるで届かなかった。

 愛情を引き受けると同時に、人生が変わる決心をした瞬間なのだ。

 グレンと共に、闘う覚悟を持つ。

 たった今、そう決めたのだ。

 グレンはミシェルの決心を感じ取ったのか、甘くとろけそうだった表情をひきしめ、ミシェルを抱えたまま、バルコニーの国王陛下に向き直った。

 グレンの強い視線が、ひたと国王に向けられる。

「我が未来の妻ミシェル・デ・クレティスの父君、レナルド・デ・クレティス伯爵に関して、陛下に申し上げたいことがございます!」


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