第四章 我が愛しの精霊使い④
「どうした」
「何事だ?」
「外の魔物になにかトラブルが?」
精霊庁の面々が口々に言う。
「たった今知らせが入って――魔物が発生した模様です!」
「魔物ならもう発生している」
「違います、王城ではなく、市街です! カザン区八番街方面……デスカリド侯爵のお屋敷付近での発生です!」
「なんだと!? 自然発生か!?」
「おそらく……」
「なぜこんなときに!?」
「王都に漂う『瘴気』なら、ここへ集めて魔物に変えたではないか。王都における魔物発生の可能性は、今現在最も低く抑えられているはずだ」
「ま、待て。それは理論上の話に過ぎない……」
「しかし!」
「とにかく、デスカリド侯爵と合流だ。彼の屋敷付近で魔物だと……!?」
現場は騒然となった。
その隙をついて、ミシェルとモモは玄関ホールを突っ切って、一気に建物の外へ走り出た。
庭園は悪夢のような光景だった。
やわらかな秋の日差しが降り注ぐ中、鎖に繋がれた黒い魔物が、真っ赤な口を開いてのたうちまわっていた。表面がごつごつしているのは、分厚いうろこのせいだろうか。
頭の大きな蜥蜴のようなその魔物は、四本の足を鎖につながれている。鎖の先は大木の根元や兵舎の鉄門に固定されているが、そのうちの一本の木が根っこごと引き抜かれてしまっている。
魔物が暴れるたびに引き抜かれた大木と太いしっぽが兵舎の塀にぶつかり、塀の煉瓦をガラガラと崩していた。
兵舎の脇に立っていたはずの物見の塔は、すでに瓦礫の山と化している。
魔物は発生直後、兵舎周辺であばれたのかもしれなかった。
魔物がつながれた場所は、芝生ははがれ花壇は踏まれ、かつて美しい庭園だっただろうに、見るも無残に荒れ果てていた。
「精霊使いさん、あぶない! そっち通っちゃだめよ!」
城壁の裏門にまわろうとしたミシェルは、若いメイドに肩をつかまれた。
「その通路は魔物のしっぽが届いちゃうから。ああもう、精霊庁のお大臣はなにをやってるの!? 魔物はすぐに片付くから安心しろってお達しだったのに」
「実験……というようなことを伺ったのですけど」
「あたしたちみたいな下々は、くわしいことは知らされていないのよ。『瘴気』を消化するために小さな魔物を発生させるけど、兵舎の中だけで処理するから危険はないって聞かされただけ。危険がないなんてとんでもないわ。魔物が訓練場を飛び出てきて、大騒ぎじゃないの!」
メイドにはまだ、第二の魔物が出たことは知らされていないようだった。
「……それに小さくもないですよね、この魔物」
「精霊使いさんのほうこそ、精霊庁のえらい人からなにか聞いてるんじゃない? 一体これ、どういうことよ」
「家事精霊使いにとっては管轄外ですから……」
「戦士精霊使いはまだなの? 魔物退治は陛下がご臨席になってからとか言ってたけど、陛下ならもうバルコニーにいらっしゃるじゃないの!」
言われてミシェルは王城のバルコニーを見上げた。民が国王陛下からお言葉を賜るときに使う、下々と王家をつなぐ窓口としてのバルコニーだ。
ミシェルのいる位置からは表情までは見えないが、陛下らしき痩せ形の人影が、魔物をじいっと観察しているのがわかる。
リエンタラ国の利益のためなら、非情な手段もとれるお方――。国王陛下にはそんな評判がついてまわっている。
ミシェルは挑むように国王を見た。国王にはよい感情を持っていない。
国王は、父レナルドを見放したから――。
(今は王様どころじゃないわ。一刻もはやくここから出なくちゃ。カザン区はデュラ区のすぐとなりじゃないの!)
モモとエデが心配だった。
ふたりだけじゃない。フォシェリオン家で世話になったメイド頭や使用人仲間、それにやっと立ち直ってきたランドゥに、もしなにかあったら……。
ミシェルはぞっとした。つま先から震えが立ち上ってきた。
(グレン様は王都から出てらっしゃる……。精霊庁の戦士精霊使いは、どれくらい頼りになるのかしら……)
父が本当にグスク村にいるのなら。
王都の危機に、駆けつけてくれるだろうか。
「あっ、やっといらしたわ。精霊庁のお大臣様よ! わぁ、戦士精霊いっぱいいる!」
メイドが明るい声を出す。よく通る彼女の声に、ミシェルはしまったと思った。
戦士精霊を十人ほど引き連れたデスカリドが、メイドの声につられてこちらを見た。
ミシェルとモモは顔をそらしたが、一瞬遅かった。
「衛兵! 侵入者だ! そこの精霊使いと衛兵の服を着た若い男を捕えろ!」
デスカリドの野太い声が庭園に轟いた。




