第三章 戦士精霊と家事精霊⑧
「モモ、だめよ」
「お願い……」
背後で話す精霊の声に、デスカリドがくるりと振り返った。モモを指さし、衛兵に言う。
「それから、あの家事精霊は壊れている。危険なので廃棄処分場へ持っていく。捕獲を手伝ってくれ」
「……! なんですって!?」
ミシェルは今度こそ声を荒げて叫んだ。
衛兵がずかずかと部屋へ入り込んでくる。
デスカリドが呼んだのか、隣室へ続くドアから戦士精霊も入ってきた。手足も長く機敏な戦士精霊は、逃げ惑うモモを容易につかまえた。
「やめて! モモに手を出さないで!」
モモを守ろうと手を伸ばすミシェルを衛兵が抑え込もうとする。ミシェルはするりと彼の手を逃れると、猫足のチェストに走り寄った。
チェストの上には、ミシェルたちを縛る紐を切ったペーパーナイフが置いてある。ミシェルはそれをつかむと、衛兵の懐をかいくぐって、まっしぐらにデスカリドの元へ駆け寄った。
侯爵の喉元にペーパーナイフを突きつける。
「モモを放さないと……きゃっ!」
ミシェルは衛兵が繰り出す剣先で、ナイフを跳ね上げられてしまった。
それでもミシェルはあきらめなかった。
床に落ちたペーパーナイフを瞬時に拾い上げ、モモをつかんでいる戦士精霊のほうを向いて構えをとる。
「ミシェル。そんな貧弱な武器ではなにもできないぞ。君はか弱いただの少女で、相手は訓練された戦士精霊だ。愚かしい真似をするのはやめたまえ」
デスカリドの顔に冷笑が浮かぶ。
「モモを放して」
「この家事精霊は危険だ」
「危険な精霊なんていないわ」
「戦士精霊を惨殺した精霊がいたことを忘れてはいまい? 君の父上のような者が危険な精霊を手にしたら、またどんな反乱が起こるか……」
「クレティス伯爵は反乱なんか起こしてないわ! あたし知ってるもの!」
無表情な戦士精霊に掴まれたモモが、じたばたと暴れる。
「家事精霊風情が一体なにを知っているというのだ。この精霊は頭がおかしい。完全に壊れているな。はやく処分を」
「――ミシェル。『命令』して」
「モモ……」
「こんなのいや。お願い。戦わせて」
ミシェルはモモの必死な顔をじっと見つめた。
やわらかな金髪の巻き毛に縁どられた、薔薇色の頬をしたちいさな顔。肩に乗るほどのちいさな体。
花柄のエプロンドレスがよく似合う、かわいらしい家事精霊。
「あたしみたいな思いをする精霊が二度と現れないように、デスカリドを殺させて!」
声を限りにモモは叫んだ。
「モモ。――精霊が屠るのは、魔物よ」
「ミシェル!」
「今外で暴れてる、あいつよ。それだけは間違わないで」
「ミシェル……?」
モモはなにかを感じたようだった。
それは『精霊気』の循環だ。ミシェルは大気に薄く漂う『精霊気』を体内に取り込みはじめた。
毎朝、みんなで家事をはじめる前にそうしているように。
取り込んだ『精霊気』は大きな愛情と一緒に、精霊たちに渡す。何年も何年も、ミシェルは毎日そうしてきた。
『精霊気』。それは、人間と精霊をつなぐ自然の恵み。
精霊に命令するための力ではない。
精霊と協調するために、世界がくれる力だ。
「『命令』はしないわ、モモ。わたしとおなじ気持ちになって。いい? いつもとおなじよ」
「ミシェル……」
「あなたが戦うなら、わたしも戦うわ。――『同調』よ!」
ミシェルは取り込んだ『精霊気』を凝縮して、モモに投じた。
『精霊気』の圧縮。それが、ミシェルの本領である。
ミシェルが仲介すれば、精霊に並はずれた大きな力を与えられるのだ。
『精霊石』という人工物を使わずに、集中的に力を与えることができる精霊使いは、滅多に存在しない。ミシェルの本気の力は、父レナルド以外は知らない。
ミシェルはデスカリドの顔を見て、不敵に笑った。
手にしているのはか細いペーパーナイフだ。
(でもね……「わたしが戦う」ってところが重要なの)
『同調』。精霊使いが精霊とおなじ目的を持って、目の前の課題に向き合うこと。
「モモ、目的は殺害じゃないわ。――逃げ切ることよ!」
ミシェルはデスカリドに突進し、部屋の鍵をしまった内ポケットに手を伸ばした。あっさり避けられるが、気にしない。
「愚かな真似を……」
デスカリドは痛ましそうにミシェルを見た。
衛兵が背後からミシェルを羽交い締めにする。腕の自由は封じられたが空いた両足でミシェルは椅子を蹴飛ばし、出て行こうとするデスカリドの足にぶつけた。
「っつ……! ミシェル、公務の邪魔をするんじゃない」
「ならモモを解放して!」
ミシェルは言いながら、衛兵の手にナイフを突き立ててやろうかと思ったが、自分が刃物で相手を傷つけたら、『同調』しているモモもおなじことをする。
だから、やらない。
「大人しくその家事精霊をこっちに…………な、なんだ!?」
デスカリドが、モモを捕まえている戦士精霊がいる方向を凝視して、驚愕していた。
羽交い締めされているミシェルは、振り向くことができない。
しかし、ミシェルは背後でなにが起こっているかわかっていた。わかっていないのは衛兵で、彼は侯爵の驚きにつられて、背後をふりかえった。
衛兵も驚いたのだろう。一瞬力が緩んだところで、ミシェルは後頭部をおもいきり衛兵の顎にぶつけた。ぐはっと声を出してひるんだ衛兵の腕を振り払い、相手のみぞおちを思いきり肘で突く。
ミシェルが衛兵から解放されたそのタイミングで、場にひらりと白刃が舞った。
戦士精霊が携えていたと思われる長剣。
その剣先がデスカリドの頬をかすめ、刀身が彼の首筋のすぐ横でぴたりと止まった。
いつでも首を斬り落とせそうな位置で。
「部屋の鍵を出せ」
張りのある若い男の声が、侯爵に命ずる。
「……」
デスカリドは口をぱくぱくさせながら、さっきまで『命令使役』していたはずの戦士精霊が床に倒れているのを見つめた。
「あなたの戦士精霊は、『命令』と『同調』を同時に受けて、混乱して気絶してしまったわ」
「なん……だと……? では、こいつは……?」
デスカリドは自分のすぐ横にいる、白い肌をした金髪巻毛の若い男を見た。繊細に整った顔立ちをしているが、筋肉質で引き締まった体躯をしている。美しい男だ。
「戦士精霊よ」
「この部屋に戦士精霊は一体しかいなかったはず……」
「もうひとりいたの」
「どこに隠れて……」
「侯爵様、部屋の鍵をください。衛兵さん、わたしに長剣を貸してください。長剣と……ええっと、そうね、申し訳ないけど、制服も上下」
ミシェルは顔を赤らめて、剣でデスカリドを脅し中の、金髪巻毛の戦士精霊をちらりと見た。
――もうひとりの戦士精霊は、全裸だった。
「気に入ってたのにやぶれちゃった。ピンクの花柄エプロンドレス」
もうひとりの戦士精霊は、しょんぼりと言った。
「その声とその体で言わないでちょうだい。……モモ」




