第三章 戦士精霊と家事精霊⑦
足裏に感じる感触が、でこぼこした石畳から平らに磨いた石床に変わった。
ゲインズに背中を押されて歩きながら、ミシェルはおやっと思った。行き先は地下牢だと思ったのに、階段を下る様子はない。
ドアを開ける音がし、ミシェルはどこか室内に入ったらしかった。足元の感触がつるつるした石からふかふかの絨毯に変わる。カチャリと鍵をかける音がして、目隠しが解かれた。
豪奢な部屋だった。
広さはあまりない。婦人向けの控えの間といった雰囲気で、窓にはビロードのカーテンが掛かり、外は見えない。猫足のチェストに置かれた銀の燭台に蝋燭が燃え、ほのかに室内を照らしていた。
ミシェルはモモの姿を探した。
モモはゲインズの仲間の男に、物のように鷲掴みにされていた。
「モモを放して」
「どうする? ゲインズ」
「放すな。そのまま処分場へ持っていけ。忌々しい精霊は精霊石にしてやる」
「……! やめて! モモを返して!」
仲間の男がゲインズの答えににたりと笑ったとき、ドアの鍵穴に外から鍵が差し込まれる音がした。
現れたのは身なりのいい中年男性だった。金モールをほどこした長上着が、宮廷に出入りする身分であることを示している。自信に満ちた顔つきに地位の高さが伺え、胸にはいくつかの勲章が飾られていた。
「侯爵様」
ゲインズの呼びかけに、ミシェルはこの紳士がデスカリド侯爵かと納得した。
「レンジーナの企みは君たちの良心によって実行されず、ミシェル嬢は私が保護した――ということで、大丈夫だな」
デスカリド侯爵は声をひそめて言うと、ゲインズと仲間の男に金貨を数枚にぎらせた。そしてもう用はないと言うように顎をしゃくり、彼らの退室を促した。
「へっへ、誘拐はいけないことですからな。では私たちはこれで」
ゲインズたちは雇い主にへこへこと卑屈に頭を下げ、部屋を出て行った。
あとには、ミシェルとモモと、デスカリド侯爵が残される。
「私の不肖の娘が、あなたにとんだご迷惑を」
「はじめまして、デスカリド侯爵様。わたしはお嬢様に迷惑なんてなにひとつかけられておりませんし、お嬢様と面識もございません。ゲインズさんとおっしゃる方は、以前から存じ上げておりますけれど!」
「しっかりもののお嬢さんですな。怖い思いをされたでしょうに、気丈なことだ。我が不肖の娘とは大違いですな。まずはその縄を解きましょう」
デスカリドがパチッと指を鳴らすと、部屋のどこに潜んでいたのか、ひとりの家事精霊がブゥンと翅音をさせてやってきた。精霊はチェストの上からペーパーナイフを取り、ミシェルとモモを縛っていた紐を器用に切った。
ミシェルは苦々しい顔で、デスカリドの指にはまる『精霊石』の指輪を見つめた。
「隣室には、戦士精霊も控えていますよ」
世間話のようなにこやかさでデスカリドは言うが、あきらかな警告だとミシェルにはわかった。
「……助けてくださってありがとう。わたしを帰していただけますか?」
「外で魔物が暴れています。危険なので、しばらくこちらにご滞在を」
「魔物が出たにしては静かですね」
「発生直後に無事生け捕ることができました。しかし、事態はいつどうなるかわかりません。落ちつくまでこちらにいらしてください。――お疲れでしょう。お座りになりませんか」
侯爵に長椅子を勧められ、ミシェルはしぶしぶ座った。侯爵も椅子に座り、対面する形になる。白々しくも紳士的な態度を貫こうとする侯爵に、一筋縄ではいかない狡猾さを感じた。ゲインズごときとは格が違うのだろう。
ミシェルがどう出ようかと考えながら左肩に乗ったモモをなでていると、侯爵のほうから話をはじめた。
「あなたは本当に冷静でしっかりしておられる。我が娘に見習わせたいくらいですな。いやなに、我が娘レンジーナもあれはあれでかわいいところのある子です。先ごろ、先代王の末の弟君であらせられる、リュデュー公爵に見染められましてな。あの子はいっそ、歳の離れた夫君に守られて暮らすのがしあわせかと」
「なにがしあわせかは、レンジーナ様がお決めになることでは?」
「はっはっは。これは手厳しい」
デスカリドは笑ったが、瞳までは笑っていなかった。
「茶番劇は終わりにしませんか? わたしを誘拐してどうなさるおつもり?」
「誘拐を命じたのはレンジーナです。困った子です」
デスカリドは老獪な微笑を浮かべている。
あくまでも、デスカリドはミシェルを助けた側に留まるつもりなのだ。田舎でならごまかせても、王のお膝元で誘拐疑惑が広まるのは、さすがにまずいのだろう。
「盟友であったクレティス伯爵の乱心に、私はずっと心を痛めていたのですよ……。彼が『同調』の精霊使いとしての地位を焦るあまり、『命令使役』に適した戦士精霊を大量殺害したのは、痛ましいことです。しかし、罪は罪。クレティス伯爵は裁きを受けなければなりませんでした。だがミシェル、あなたに罪はない。、若いあなたが隠れて暮らすのは痛ましいことです」
「ちがう! ちがうわ!」
叫んだのはミシェルではなかった。
ミシェルの左肩で、震えながら話を聞いていたモモだった。
「大嘘よ! 伯爵は戦士精霊を殺そうとなんかしなかった! クレティス伯爵は現場に駆けつけただけよ! 命じたのは……」
「モモ、黙って!」
ミシェルはモモを落ちつかせようとした。しかし、モモはミシェルの手をするりと逃れ、肩を離れて飛び立った。
「命じたのは、あなたでしょ! デスカリド!」
モモは声を限りに叫んだ。
「ミシェル、この家事精霊は……?」
「モモ、 落ちついて」
「やれやれ、とんだ言いがかりだ。確かに私は、クレティス伯爵と精霊の使役法で意見を違えてはいた。しかし、私が精霊を殺すどんな理由があると言うのだ? 貴重な兵器である戦士精霊を――」
「あなたは戦士精霊なんかより、自分の地位が大事だったんじゃないの? 『命令使役』でのしあがったあなたは、『精霊石』を用いた『命令使役』の危険性が王様に知られたら、精霊庁での地位が危うくなると思った。だから、『精霊石』と『命令使役』の危険を説くクレティス伯爵が邪魔だったんでしょう! 伯爵を引きずり降ろすためなら、戦士精霊なんていくら死んでも構わなかったんでしょう!」
「ミシェル、この家事精霊は錯乱している。かわいそうだが、廃棄処分を勧める。錯乱した精霊をそばにおくのは、君にとって危険だよ」
デスカリドは苦い顔をしているが、余裕の構えを見せていた。しかしミシェルは、彼の手が小刻みにふるえていることを見逃さなかった。
ミシェルだって当然、デスカリドを疑っている。
だが、彼は精霊庁の長であり、自分は力のない小娘だ。王宮の人々は、どちらの言うことを信じるだろうか? 考えなくてもわかることだ。
それに、たしかに彼の言うとおり、政敵を引きずり降ろすためだけに貴重な戦士精霊を何人も殺すというのは不合理だった。
あの事件には、おそらくまだ裏がある。
ギャオオオウと、生け捕られた魔物の叫びがまた聞こえた。魔物が暴れ、建物が揺れる。ここへ来てはじめて、人々の悲鳴もきいた。
生け捕りなど、悠長なことをしている場合なのだろうか。
なんのための魔物の生け捕りなのか。
王宮で、今なにが行われているのか。
「デスカリド侯爵……あなたは一体、あの魔物をどうするつもりなのですか?」
魔物の雄たけびがもう一度上がり、なにかが折れるバキッという音と、建造物が壊れるガラガラという音が聞こえた。兵士の怒声やメイドの悲鳴がそれに続き、落ちつき払っていたデスカリド侯爵も、窓の外を気にする様子を見せて、腰を浮かせた。
ドンドンドンドン!と廊下から激しくドアが叩かれる。
「デスカリド侯爵! このままでは鎖が保ちません! 鎖が保っても鎖を固定する木や建物が保ちません!」
「わかった。今行く」
デスカリドは立ち上がった。
内ポケットから鍵を取り出して扉を開け、呼びに来た衛兵に、この部屋にいる令嬢を外へ出さないように見張れ、後から別の見張りも寄越すから、というようなことを話しはじめた。
「ミシェル――」
モモの呼びかけに、デスカリドの背中を見ていたミシェルは顔を上げた。
「ミシェル、『命令使役』して。あなただったら『精霊石』の強い力がなくても、『精霊気』の力で『命令』できる。『命令使役』してくれれば、あたし、侯爵を――」




