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第三章 戦士精霊と家事精霊①

 フォシェリオン家を去り、デスカリド家の豪奢な自室に帰りついたレンジーナは、長椅子の上のクッションをひっつかんでおもいきり壁に投げつけた。

「なんなのよあの態度! このあたくしが、宮廷の名花と謳われるこのあたくしが、わざわざ訪ねて行ったのよ!? 追い返すなんてどういう了見なの!?」

 ひとつでは気がおさまらなくて、次々とクッションを投げる。手元が狂って花瓶に当たり、大きな音を立てて割れたが、レンジーナは止まらなかった。

「どうかしてるわ! おかしいわよ!」

「お嬢様、お怪我はございませんか」

 レンジーナ付きの小間使いが音を聞きつけ、家事精霊(ブラウニー)を三体引き連れてやってくる。小間使いは割れた花瓶と乱れ落ちた生花を見つけると、「十二番、片付けなさい」と精霊に命じた。小間使いの胸元には、青黒い精霊石のペンダントがゆれている。

「お嬢様、四番の家事精霊(ブラウニー)はどうしましたか? お嬢様に同行したはずでは?」

「知らない! どっかいっちゃったわ」

「『精霊石』の力が切れたのでしょうか……? 困りましたね。旦那様にご相談申し上げましょう」

「なっ……しなくていいわよ!」

「しかし……。四番はデスカリド家で使役して長いですし、旦那様は精霊の管理に厳しくてらっしゃいま……きゃっ!」

 今度は小間使いにクッションが投げつけられる。

「このあたくしがいいって言ったらいいのよ! お父様に言いつけたら承知しないわよ!」

「も、申し訳ございません……」

「はやく床を拭いて。ドレスが濡れちゃうわ。ああもう、新作のドレスなのに」

 王都きっての有名店でつくらせた新作なのに、フォシェリオン侯爵は装いをひとこともほめてくれなかった。化粧法だって、自分に合うよう研究を重ねた自慢の技法だったのに、見惚れた様子を見せたのは、邪魔っけな従者だけ。

(あの従者のせいで失敗したんだわ)

 ふたりっきりになりさえすれば、自分の魅力でグレンを蕩かすことができたのに。グレンは真面目だから、人前で女性に甘い顔などしないのだ。でも、きっときっと内心は、自分に触れたくてたまらなかったはず。男はみんな、自分のような甘い肢体と愛らしい顔を持つ娘が好きなのだから。自分がその気になって落ちない男なんて、今までにいなかったのだから。

 レンジーナは取り巻きの貴公子たちの顔を思い浮かべた。悪くない面々だったが、いまひとつ身分が足りない。自分は「侯爵令嬢」なのだ。「侯爵」か「次期侯爵」、もしくはそれ以上の地位でなければ、結婚相手としてふさわしくない。結婚で位を下げてしまったら、他家の令嬢にみくびられてしまう。

 それだけは、がまんできない。

 侯爵以上の家柄だからと言って、ご面相のみすぼらしい男はごめんだ。自分と並んで絵になる美しい容貌の男でなければ。

 そう考えると、条件に合う貴公子は驚くほど少ない。グレンを逃がしたら後がないのだ。

 父親はレンジーナを王室ゆかりの地方領主に嫁がせたがっているが、結婚後もドレス道楽を楽しみたいレンジーナにとって、王都を離れるなどもってのほかだった。王都の有名店の上得意であることが、レンジーナの誇りなのだから。

(それに……グレン様って悪くないもの)

 男性としてあんなに魅力的なのに、今まで浮いた噂のないところが、取り巻きの貴公子たちと違って大いにそそられる。クールなフォシェリオン侯爵をはじめて魅了した女性として、社交界で噂になってみるのも胸がおどる。

 デスカリド家とフォシェリオン家は、反発しているという話は聞いているけれど――。

 国政など全く興味のないレンジーナにとって、それは大したことではなかった。父親はグレンが王城から危険物を持ち出したことに怒っているが、それさえ丸く収まれば、どうとでもなるに違いない。なんと言っても父デスカリド侯爵は、王様の側近なのだから。えらいのだから。

「あのう、お嬢様……。旦那様には申しませんから、四番とどちらではぐれたかだけ、お教え願えませんでしょうか?」

 存在を忘れていた小間使いが、泣きそうな顔で訊いてきた。

 考え事を邪魔され、レンジーナは不機嫌な顔を隠さなかった。

「知らないって言ってるでしょ!」

「そうですか……。では、御者に訊いてみます」

 それを聞いてレンジーナはぎょっとした。フォシェリオン家の屋敷へ行ったのはお忍びなのだ。勝手な真似をしたことを父に知られたら、おしおきとしてドレスを一着あきらめなければならなくなってしまう。別の有名店でも新調する予定だったのに、手に入らないなんて困る。「宮廷一おしゃれな令嬢」として築き上げた立場に、けちがついてしまうではないか。

「訊かなくていいのよ! 四番は勝手にいなくなったの。『命令使役』が効かなくなったんじゃない? 『命令使役』できない精霊は、どうせ処分するんでしょ。ほっとけばいいじゃない」

「しかし――」

 なおも食い下がりそうな小間使いにイラついて、レンジーナは舌打ちしそうになった。

「あーっ、思い出したわ。四番にはあたくしが『命令』をしたの。えーっと、シャレルの店で注文した帽子が仕上がっているか見て来なさいって。だから、もうすぐ帰ってくるわよ」

「お嬢様が『命令使役』なさったのですか?」

「なによ、疑ってるの? あたくしだってお父様の娘よ? 精霊使いの素質はあるのよ? 『精霊石』だってあるし……ほら」

 レンジーナはドレスの隠しポケットから『精霊石』を出して、小間使いに見せた。

 『精霊石』は青黒くて汚い色なので、ペンダントにして身につける者の気が知れない。持っていると、なんだか嫌な気分になることもあった。きっと良くない成分が含まれているに違いないから、できれば触れたくないのだ。

 あらゆる用事は召使いに言いつければ済むため、レンジーナ自身は精霊術をあまり使ったことがなかった。けれど、今回だけは必要だったので、慣れない精霊術を四番に試してみた。上手く行ったら、一緒に帰ってくるはずだったのだが……。

(あたくしのせいじゃないわ。四番がボンクラなのよ)

 ドレスのスカートの中に隠して四番をフォシェリオン家へ連れていき、『命令』して放してきた。レンジーナが四番に命じたのは、「フォシェリオン家に貴族の女が入り込んだか探ること」。

 グレンが若い婦人向けの家具や室内小物を買い揃えていると噂を聞き、レンジーナは真相を知りたくてたまらなくなったのだ。彼が極秘裏に結婚の準備をしているのではないかと疑って……。

 四番はレンジーナがフォシェリオン家を辞すまでに、戻ってこなかった。

 『精霊石』の力を取りこんで、わざわざレンジーナが『命令』したのに。あの精霊はとんだ不良品だ。不良品の精霊は肉体を殺して霊体に戻せば、『精霊石』の力として再利用できるらしい。だが、回収に行くのも面倒だ。

 あとで戻ってくるかもしれないし、たとえ戻ってこなくても、一体くらい捨てたって構わないだろうとレンジーナは思った。デスカリド家にはまだたくさん精霊がいるのだから。

「なによ? はやくあたくしの着替えを持ってきてちょうだい。気が利かないわね」

 レンジーナは顎をしゃくって小間使いに命じた。

 小間使いは一礼し、衣裳部屋へ消えた。

 人間の小間使いに命じるなら『精霊石』の力を取り込むなんて手間はいらない。ひとこと言えば済むのだから、人間のほうが扱いやすい。

(そうよ、最初から人間に命じればよかったんだわ)


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