第二章 壊れた精霊⑰
小屋の扉を開けると、朝とおなじように、ランドゥは隅にうずくまっていた。
「ランドゥ、済まない。実は……鳥ハムは、調味してから二日間寝かせないと仕上がらないのだ……。本当に済まない……許して欲しい」
グレンの口調は重々しく、なにか重大な過失を詫びているかのようだった。
「代わりと言ってはなんだが、鳥のささみを茹でたものを持って来たぞ。ミシェルの提案だ。料理長秘蔵の岩塩で味付けしてある。料理長が言うには、病み上がりに最適とのことだ。君にははやく元気になってほしい」
「……なぜ?」
片目だけを長い髪の隙間から見せ、座りこんだままランドゥが問う。
「君と一緒に戦いたいんだ」
「……戦う理由がない」
「魔物が、魔物が出たときに! 一緒に戦おうじゃないか。……素振りをするよ。レナルドほどではないかもしれないが、私もそこそこ鍛錬してることを知ってくれ」
「守りたいものもないのに……」
「守りたいもの……?」
「……」
「ランドゥの守りたいものって、なんだい……?」
「……」
「グレン様」
黙りこんだランドゥになおも言い募りそうなグレンをミシェルはそっと遮った。
「お食事にしましょう?」
「あ、ああ。そうだな、ミシェル」
ミシェルは自分が持ってきた籠の中から、明るい色のクロスを出して食卓に広げた。厨房から借りてきたフォークも、三人分並べる。
「なぜ、三人分?」
「わたしたちもいただこうかと思って。食事は、みんなでとったほうが楽しいでしょう?」
グレンは虚を突かれたような顔をしたあと、「そうか! そうだな!」と言って、自らテーブルに食物を並べはじめた。
パンに、チーズに、果物に、メインのささみ肉。豊かな食卓ではなかったが、食べ物を広げただけで殺風景な小屋がぱっと明るくなる。
「モモもね、最初は全く食べなかったの」
テーブルにつこうとしないランドゥを無理に急かすでもなく、ミシェルはささみを少しだけ口に入れた。椅子がひとつしかないので、行儀は悪いが立ち食いだ。
「あら。美味しい。レタスで巻いたらもっといいわね」
「どれどれ。うむ。シンプルだが肉のうまみが際立つな」
「グレン様、せめてフォークをお使いになったら?」
「王城で兵に混じって訓練するとき、急ぎの食事なんてこんなふうだ」
「兵隊に混じって訓練なさるの? グレン様が?」
「レナルドもやっていたではないか。戦士精霊を扱える精霊使いは少ないのだぞ。魔物が湧いたら、貴族だって戦いに赴くさ」
突然、うずくまっていたランドゥがゆらりと立ち上がった。
立ち上がると長身が際立ち、痩せ細っているのに圧迫感がある。
「食べる? ランドゥ」
ミシェルが皿をランドゥの側に寄せる。
「グレンと言った……」
ランドゥが低い声でぼそりと言った。
「えっ?」
「癖になるから駄目だと言っていた筈……」
「あっ」
ミシェルは唇を押さえた。ランドゥの前でそんなことを言った覚えがある。今日はいろいろあって、すっかり忘れていたけれど。
「時は流転する……人心は変化する……常なるものは無し……」
なにやら重々しい言葉を口にしながら、ランドゥはささみ肉をぱくりと口に入れた。ざんばら髪が長すぎて、一緒に口に入ってしまったのを手でずるりと引き出す。
「髪、束ねる?」
ミシェルはチーズの包みを閉じていた紐を手に、ランドゥの背後に歩み寄った。背伸びしてランドゥの髪を紐で結ぶ。精霊は嫌がるでもなく、ミシェルに髪を任せながら、もしゃもしゃとささみを咀嚼した。
(大きな子どもみたいだわ)
ミシェルが思ったのとおなじことをグレンも感じたようで、「りんご食べるか?」と切った果物を口元に差し出すも、精霊はぷいっと顔をそむけた。そこまで幼児扱いはされたくないらしい。
「食べ終わったら、すこし剣を触ってみるか?」
ランドゥが反応を見せるのがうれしくてしかたないらしく、グレンはわくわくした様子で問いかけた。グレンのほうも、友達を遊びに誘う子どもみたいだとミシェルは思った。
しかしランドゥは答えることなく、ささみだけを大方食べ終わると、定位置である隅っこに戻り、またうずくまってしまった。
食べ残りの食事を籠にまとめ、ランドゥがいつでも食べられるように置いたまま、グレンとミシェルは小屋を出る。
ランドゥの様子に、ミシェルは考えるところがあった。今のランドゥは、家に来たばかりのときのモモと、よく似ていると感じていたから。




