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第二章 壊れた精霊⑯

 とりあえず一度解散し、二十分後にふたりはまた木戸の前で落ち合った。

 さっきより、夕暮れの気配が濃くなっている。奥庭を吹き抜ける風はすこし冷たくて、ミシェルは五分袖から出た腕を無意識にさすった。

「寒いか?」

 グレンが上着をごそごそと脱ごうとする。着せかけられるのではと察したミシェルは、「だいじょうぶです!」とあわてて言った。

「どうせ小屋についたら私は脱ぐのだ。遠慮せずとも」

「だいじょうぶですから。なぜ、小屋についたら上着を脱ぐのです?」

「ランドゥの前で剣の素振りをするのだ。そんなことで、ランドゥが私に『同調』してくれるとは思わないが、彼に戦うことを忘れてほしくなくて」

「そうだったんですか。それで、剣をお持ちなんですね」

「ランドゥの戦いぶりは、それはもう美しかったのだ。君は、見たことがあるか?」

「遠目に、王城の庭園で父と一緒に訓練する彼を見たことがあります。わたしは戦う戦士精霊よりも、戦えない戦士精霊に接することのほうが多かったのです。母が、父の連れ帰る戦えない戦士精霊たちの世話をしていたから……」

「そうか。君は、メリエが戦士精霊の面倒をみる様子を見ていたのか。どうだろう、ランドゥはまた戦えるようになるだろうか? 精霊使いが私では、駄目だろうか……」

 グレンは弱々しく目を伏せた。

 ランドゥを引き取ってひと月、毎日会っていても精霊の様子がなかなか好転しないことに、焦りを感じていることが伝わってきた。

「グレン様しかいないと思います」

 ミシェルは静かな声で、しかし自信を持ってきっぱりと言った。

 グレンが目を上げる。

「ランドゥのことを一番想っている精霊使いは、グレン様ですから。グレン様がそばにいれば、ランドゥはきっと立ち直ります」

「……」

「だから、気を落とさずに気長に参りましょう?」

「今『グレン様』と言った……」

「あっ!」

 自分がついうっかり呼びかけた名前に、ミシェルは大いにあわてた。

「ミシェルが『グレン様』と言った。うむ。希望が出てきた!」

「なんの希望ですか!」

「全てだ! さあ行くぞ。ささみを持って、いざランドゥのもとへ!」

 グレンが大きな左手で、ミシェルの右手を包む。彼の手のひらは厚く、豆だらけで、日々剣術の鍛錬を欠かしていないことが伺えた。

 家事精霊(ブラウニー)は『同調』で働くなら、精霊使いも一緒に家事をしなくてはならない。

 戦士精霊も『同調』で戦うなら、精霊使いも一緒に戦わなくてはならない。

 グレンは戦う必要のない高貴な身分でありながら、戦士精霊と『同調』し戦うために、自分自身に厳しくあるのだ。

 『命令使役』で精霊に働かせるだけの、横着な精霊使いではない。

 父が努力を続けた姿をグレンは引き継いでいる。

 父が失脚したそのあとも――。

 グレンに手をひかれて歩きながら、ミシェルはなんだか泣きそうになった。

 父レナルドの信念は、グレンの中に生きている――。

 戦えない戦士精霊などいないと、父は言っていた。戦士精霊が戦えないなら、それは精霊のせいではない。『精霊石』という人工物を使って、精霊界の(ことわり)をねじまげた人間のせいだ。

 だから、僕は精霊界の理を正すために、旅立たなければいけない。ごめんなミシェル――。最後に会ったときの、父の言葉。

 そう。レナルド・デ・クレティスは生きている。レナルドは脱獄に成功したのち、モモを預けにミシェルの住む村へ来た。そして、すぐに旅立ってしまった。

 父に伝えたいことはいろいろある。

 たとえば、その後のモモのこと。

 父に訊きたいこともいろいろある。

 一番訊きたいことは――

(グレン様を信じていいですか。グレン様を好きになってもいいですか)

 問いを投げたい父はどこにいるかも知れなくて、ミシェルはつい、グレンの手をぎゅっとにぎった。

 グレンはなにも言わず、ミシェルの手をにぎり返してきた。

「……お父様に会いたいです」

「私もだ」

 ふたりの間にせつなさが満ちる。

 ランドゥの小屋はもう目の前だった。

「私ひとりではランドゥを立ち直らせる自信がない。だが、レナルドにメリエがいたように、私にもミシェルがいれば、上手くいく予感がする。――いや、確信がある」

「グレン様……」

「そう、グレンだ。もう『侯爵様』に戻さないでくれ」


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