第二章 壊れた精霊⑮
五時よりややはやく、ミシェルがそわそわしながら奥庭へ向かうと、木戸の前にはもうグレンがいた。きのうとおなじバスケットを持ち、腰に長剣を佩いている。
「ミシェル!」
犬が飼い主に駆け寄るように、グレンはぱあっと明るい顔をしてミシェルに走り寄ってきた。
「お待たせしてしまい申し訳ありま……」
「待ってない。まだ時間前だ。それよりミシェル、厨房に提言してくれて感謝する。鳥ハムは仕込みをしてから二日間寝かせないと出来ないと、私は知らなかったのだ。ミシェルの提案で、料理長がささみを茹でてハーブと岩塩で味を調えたものを用意してくれた」
「パテや鳥ハムを好むということは、ランドゥは肉気があってあっさりした食べ物を求めているんじゃないかと思いまして……。予想なので、わかりませんけど」
ミシェルは言いながら、木戸を開けようとした。
そのとき、グレンが突然腰の長剣を鞘から抜いた。驚いたミシェルがすくんでいると、彼は低木の繁みに剣を差し入れた。
カツッと、剣先が低木の幹を突き刺す音が聞こえ、次に繁みの中からブゥン、ブゥンと翅音のような音が聞こえた。
「家事精霊の翅音……?」
まさか、グレンが精霊を刺した? いや、精霊を尊重しているグレンが、家事精霊を刺すはずがない。ミシェルは小刻みに震えながら、グレンの動作を見つめた。
剣は低木に差し入れたまま、グレンが枝葉をかきわける。かきわけた先には、スカート部分を剣先で幹に縫い止められた家事精霊がもがいていた。
別棟で会った精霊なら、ミシェルは全員顔を覚えたはずだ。見たことのない精霊だった。本館で働く精霊だろうか?
「我が屋敷で働く精霊ではない」
ミシェルの疑問を見抜いたかのように、グレンは言った。
「お屋敷の精霊を全員見憶えているのですか?」
「当然。――どこの屋敷の精霊だ? 名乗れ……と言いたいところだが」
グレンは精霊の体を左手でつかまえ、スカートに刺さった剣を抜いた。
ミシェルがグレンの手の中の精霊をのぞき込む。大きな屋敷で働く家事精霊の定番とも言える、ありふれた紺のワンピースを着ている。
しかし精霊の装いよりも、ミシェルにはその無表情が気になった。
「『命令使役』されているな」
長く『命令使役』を受けてきた精霊は、こんなふうにされるがままになる。
「一体誰が……?」
「すまない、ミシェル。一端戻って、アンディにこの精霊を託してくる。誰のしわざか調べないといけない」
「デスカリド侯爵でしょうか?」
「デスカリドなら、こんな足のつきそうな真似はしない。あやまって迷い込んだか、考えなしの物取りが精霊を使って盗みを働こうとしたのか――その程度のことならいいのだが」
「その精霊は、どうなるのでしょう」
「ゆっくり『精霊石』の呪縛を解いて、相性のいい精霊使いのもとでやり直してもらう。我が屋敷には素質のある精霊使いがたくさんいるからな。正気に戻るだろう」
「よかった……」




