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第二章 壊れた精霊⑭

 夕方五時に、木戸の前で待っている。また一緒にランドゥに会いに行こう。

 グレンとの約束を思い出すと、ミシェルは窓を拭いたり床を掃いたりする手が、ほんの一瞬だけ止まってしまう。

 『同調』している精霊とはおそろしいもので、そんなミシェルの心の内をすぐに見透かしてしまうから困る。

「ミシェルもイケメンには弱いんだねえ」

 ペリの言葉に、ミシェルは思わず箒の柄を離してしまった。柄が床をカターンと打つ音が、廊下に響く。

「えっ、なっ、どういう意味よ」

「あの変態に惚れたでしょ。今朝、奥庭でなにがあったの?」

「ペリ」

 エデが咎めるような声で、ペリをたしなめた。仕事中であるためと、モモが聞いているためだろう。

 エデの注意は間がよかった。ペリが口をつぐみ、ミシェルが箒を拾い上げたちょうどそのとき、瓶底眼鏡のメイド頭が階段をのぼってやってきた。

「ミシェル、あなたたちの器用さを見込んでお願いがあるのよ」

 メイド頭は、籠に入った絹地をミシェルと精霊たちに見せた。

「はい。なんなりと」

「もうすぐ大奥様が催す刺繍の会があるの。刺繍の上手な貴婦人を講師としてお呼びして、奥様お嬢様が集って刺繍を習う会なの。まあ、貴婦人の社交の一環ね」

「はい。素敵ですね」

「ハンカチーフを準備して刺繍をするのだけれど、このハンカチーフ大に切った絹地の、縁かがりをお願いしたいの。二十枚あるけれど、五日でできるかしら」

「お安いご用です」

 ミシェルは笑顔で引き受けた。手渡された籠には裁縫道具も準備してある。難しい仕事ではなさそうだった。

「刺繍のしがいがあるように、きれいにかがってちょうだいね」

「承知しました。おまかせください」

「うふふ。頼もしいこと。それから、あなたに頼まれた厨房係へのことづけ、伝えておいたわ」

「ありがとうございます! お手数おかけして、申し訳ありませんでした」

 ランドゥの食事の件で思いついたことがあったため、駄目もとで頼んでみたのだ。言ってみてよかったとミシェルは思った。

「いいのよ。グ……侯爵様と戦士精霊のこと、よろしく見守ってさしあげてね」

「見守るなんて、そんな、畏れ多いです……。お仕えさせていただきます」

「そんなにへりくだらないでなにかあったらビシッと言ってやって」

「はい?」

 小声で早口だったため、メイド頭の最後の言葉がミシェルには聞き取れなかった。

「なんでもないのよオホホホホ。じゃ、縁かがり、お願いね」

 メイド頭は笑いながら行ってしまった。

「縁かがりは今夜からとりかかりましょう。モモ、籠を部屋に置いてきてくれる?」

「うん」

 モモが籠をぶらさげてぱたぱた飛んでいってしまうと、待ってましたとばかりペリが口を開いた。

「ねえねえ、奥庭であの不器用イケメンになんかされたの?」

 目をキラキラさせてペリが迫ってくる。

「なにもされていません!」

「抱きしめられたりとか?」

「……!」

「絶句した! ミシェル今絶句したでしょ!? ええー手が早いなあいつ、堅物のくせに。やっぱあの手のタイプって思い込むとまっしぐらなんだねえ」

「ちがうわよ、そんなのじゃないわよ、グレン様は……」

「グ レ ン さ ま ? ミシェル、いつの間に名前で呼ぶ仲になったの?」

「よ、呼んでないわよ。呼んだことないわよ。今のはついうっかり……」

「ごまかさなくていいよ。ミシェルもあいつが好きなら、あたしは応援してもいいかなって思いはじめたとこ。最初はあの男ヤバイって思ったけどさ……」

「ペリ、話が早急過ぎるわ!」

「早急過ぎるのは会ってすぐプロポーズしてくるあの男でしょ。でもね、あたし見ちゃったんだ」

「見たって、なにを?」

「あの男が恋に落ちる瞬間」

「なっ……」

「あたしたち、小川で洗濯してたでしょ。天気が良くてさ。ミシェルがこう、シーツを手に持ってぱんっと広げて、おろしたとき……対岸にある木のむこうから、あの男が現れて、こっち見たんだよね。ミシェルが『服ぬれちゃったけど、気持ちいいわね』ってモモに笑いかけてさ。モモも笑ってて、エデも笑ってて、ああなんかしあわせだなあってかんじでいっぱいで――その様子をあの男がじっと見てたの。きれいなものを見て、魂持ってかれたみたいな顔してさ……」

「……」

「まあ、なんていうの? あたしも人間の恋愛いっぱい見てきたけど、フォーリンラブはいつも感動的よ、うん」

 ペリはひとり納得するように目を閉じ、うんうんうなずいた。

「ペリ、あなた散々変態変態言っておきながら……」

 エデがあきれたように言った。

「かわいげがある変態だからいいんじゃない? ミシェルもそう思ったんでしょ?」

「知りません……」

 ミシェルは精霊たちに背を向けて、黙々と箒を動かした。真っ赤になっているにちがいない顔をふたりに見られたくなかったから。


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