第二章 壊れた精霊⑩
*****
アンディがグレンに仕えるようになって、七年ほど経つ。グレンは十五という若さで父親を亡くしたため、しばらくは母方の親族である某公爵が後見人になっていた。アンディは某公爵の元からグレンの補佐をするために派遣されてきたのである。
最初のうちは、侯爵家の当主という重圧に負けない気高く勤勉な少年だと、アンディの目には映っていた。
今でも、社交の仮面を被っているときのグレンは、なかなか抜け目のない青年侯爵ぶりだと思うのだが……。
グレンはまず、先代の妻であり自身の母親であるエランジュの部屋へ相談に行った。自分がレンジーナに会う前に、まずエランジュとレンジーナを会わせることで、レンジーナの目的はグレンではなくエランジュに会うことだったという体裁をとるためだ。
そうしておけば、父親の政敵のところへ単身乗り込むというレンジーナの軽率な行動が知られても、非難をかわせる。エランジュは「刺繍の会」やら「合奏の集い」やら、レディ限定の文化サロンを開くのが趣味なので、貴族の夫人や令嬢が彼女を慕って訪ねてくるのはめずらしいことではないのだ。
エランジュがレンジーナのいる応接間へ行っている間、グレンは別室で書類を繰っていた。デスカリド侯爵令嬢の訪問などまるっと忘れたような、落ちついた顔をしている。午前中の光が端正な顔をななめから照らし、深みのある陰影をつけている。
(基本、冷静な方なんですけどねえ……。なぜかミシェル嬢のこととなると、途端に箍がはずれちゃって)
きっとひとめぼれだなと、アンディは考えていた。
ミシェルを見つけたと言って興奮気味に戻って来たあの日から、グレンのまわりに桃色の靄が見える気がする……。
グレンの中に、ミシェルの行方を探そうという気持ちが、クレティス伯爵が投獄されたときからずっとあったことをアンディは知っている。情報収集の手伝いもしたのだ。ミシェルを屋敷に匿うために、部屋の準備も一緒にした。
必要とあれば婚姻関係を結ぶとも、グレンは最初から言っていた。
成長したミシェルに会うまでのグレンは、義務として、使命として、そう言っていただけだと思う。慕っていたクレティス伯爵夫妻に対する義理のようなものだ。
ところがどうだ。
ミシェルらしき人物がいると情報をつかんだ、田舎の村。アンディとグレンは手分けして彼女を探した。
ミシェルを発見したのは、グレンだった。
そこまではいいのだが……。
グレンは川で見つけたミシェルの住まいまでのこのこついていき、挙句の果てに、出会ったその日にプロポーズしてしまったらしい。
それを聞いてアンディは頭を抱えた。かつて立派な少年だと感心し、兄のような気持ちで寄り添い支えてきた若き主人は、一体どうしてしまったのか? ミシェルに対するグレンの言動は常識的に考えて、かなりアレだ。危ない人だ。
(もっと女性と関わる機会をつくってさしあげればよかったかも……)
「あのう、侯爵様……」
「なんだ?」
「エランジュ様は、ミシェル様のことをなんとおっしゃってます?」
「母上か? なぜ本館に来ないのか、はやく来させろとうるさく言っている。母はメリエを好いていたからな。メリエの娘は気になるだろう」
まあそうだろうなと、アンディは思った。
エランジュはグレンとミシェルの結婚を積極的に後押ししているのだ。
侯爵家ともあれば、一族を盛り立てるために同格かそれ以上の家との婚姻を望むのが普通だが、エランジュも『命令使役』によい感情を持っていない。『命令使役』で精霊を使う貴族と縁戚になりたくないのだろう。
「ミシェルが来なくとも、母上のほうが出向くのではないかな」
しれっとそういうグレンにアンディが目を白黒させていると、ドアをノックする音がした。




