表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/48

第二章 壊れた精霊⑨

「やった。ランドゥが笑った! しゃべった! 君のおかげだミシェル」

 なにが「君のおかげ」なのかさっぱりわからない。それより、いきなりの抱擁に面食らって、ミシェルは完全に硬直していた。

「ランドゥが私のほうを見るまでに二週間、ほんのすこし食事するまでに一ヶ月かかった。このままでは肉体が消滅してしまうと思っていた。なのに君に会った途端、笑った。しゃべった。食物の要求までした。君のおかげだ。ミシェル、君は凄い!」

(それはちがうと思います。ランドゥはわたしたちの会話のどうしようもなさに、あきれて笑っただけだと思います……)

 そう言いたかったが、グレンの厚い胸板に顔を押し付けられているため、声が出せない。

 高位貴族のふるまいとしては常軌を逸している。そう思うのに、ミシェルはグレンの胸の中で、不思議とあたたかな気持ちになっていた。彼はただただ、ランドゥの様子に感激しているのだ。

(なんだか子どもみたいなところのあるひとね)

 でも、だからこそ、グレンは精霊と『同調』できるのだ。

(彼はわたしを守りたいって言うけど……。わたしが守ってあげたくなるわ)

 彼のこの純粋さを守りたい。

 彼のこの純粋さのそばにいたい。

(……やだ。わたし、どうしちゃったのかしら)

 離れなければと思うのに、いつまでもグレンの胸の中にいたい。体温を感じていたい。彼の感激に巻き込まれていたい。彼と一緒にいたい……。

 グレン。思い切ってそう呼んだら、彼はどんな顔をするだろう……?

 グレンの抱擁がすこし緩んだ。

 話ができる。

「グ……」

 頭上の枝にいた鳥が、バサバサと飛び立った。

 奥庭の入口の木戸に、誰かいた。

「おや? アンディだ」

 グレンはミシェルから体を離した。

 ふたりの気配に気付いたアンディが、こちらを見て軽く礼をとる。アンディは困ったような顔をしていた。

 早足で木戸に急ぐ。

「なにがあった?」

「面倒なことになりましたよ、侯爵様」

「面倒なこと?」

「デスカリド侯爵のご令嬢、レンジーナ様がいらしています」

「……なぜ?」

 心底不可解といった顔で、グレンが問う。

「なぜ? いつかいらっしゃるんじゃないかと、俺は思ってましたけどね」

「私は全く思っていなかったぞ。一体なぜ、レンジーナ嬢が?」

「まったくこの鈍感侯爵が……。あ、いえいえ。侯爵様がランドゥを連れ帰ったことで、デスカリド侯爵との対立がはっきり表に出ましたでしょう。レンジーナ様としては、それは焦りも出るでしょう。いてもたってもいられなくなったのでは?」

「焦り?」

「しかも侯爵様は、ミシェル様をお招きする準備としてここ最近、鏡台やら寝具やら、令嬢向けの暮らしの品をよくお買いになっていたでしょう。ご婦人はそういった情報には耳聡いものですよ。出入りの商人が噂話をしますからね」

「話がまったくわからないのだが?」

「デスカリド家と同格以上の家で、未婚の当主または後継ぎは数が限られています。侯爵様、あなたはその中で、ぶっちぎりで女性ウケする要素の持ち主なんですよ?」

 なんとなく話が見えてきたので、ミシェルはこの場を離れたほうがいいと思った。

 なのに、足が動かない。

 胸のうちにひたひたと、嫌な気持ちが湧き出でる。

 レンジーナ嬢。

 一体どんな人なのだろう……。

「女性ウケする要素? 女性ウケする要素?」

「なぜ二度繰り返すのです?」

 アンディがあきれて言う。

「ミシェル、君から見て私は……。あっ、ミシェル!」

 ミシェルはふたりにお辞儀して、その場を去ろうと背を向けた。

 しかし、その手をグレンにつかまれる。

「わたし、そろそろ戻らないと。メイド頭さんが仕事の指示に……」

「夕方五時に、木戸の前で待っている。また一緒にランドゥに会いに行こう」

 グレンはそう言って、まっすぐにミシェルを見た。「レンジーナ嬢」を想う色などまるで見えないその表情に、ミシェルは胸を突かれ、次に安堵した。

 けれどすぐに、その安堵の意味を自問する。

(なにをほっとしているの、わたし……)

「アンディが言うように、君が本館で暮らす準備は整えてあるからな。別棟で暮らすことなんてないんだぞ。本館で、私のそばで暮らせばいい」

「わたしは、別棟がいいのです」

 グレンの言葉に喜びは感じる。しかしミシェルはきっぱりと言った。

 だって、貴族の暮らしなど、忘れてしまったから。

 貴族の暮らしを捨てることに、ためらいはなかったから。

 もともと、父も母も貴族の身分を捨てるつもりで、志のために生きてきたのだ。ミシェルはクレティス家の令嬢だったころから、ピアノを弾いたりダンスのレッスンをしたりする時間よりも、エプロンドレスを着て家事精霊(ブラウニー)と一緒にいる時間のほうが落ちついた。クレティス家は、伯爵家とはいえ、さほど由緒ある貴族ではない。「精霊使いを多数輩出したから珍重されただけの、所詮は成り上がり」という悪口は、社交界に出ずとも聞こえてきた。

(どのみち身分違いなのよ)

 ミシェルはさっきグレンに抱きしめられたときの浮きあがった気持ちを思い出し、これはいけないと自分を落ちつかせた。

「そうか、ミシェルは清貧が好みなのか。なら私も、別棟で暮らすかな」

 しかし、ミシェルの気持ちを知らないグレンは、平然と爆弾発言をした。

「侯爵様。そういうふうにしつこく追っかけまわすから、ミシェル様にドン引かれるんです。いいかげん学びましょう」

 アンディはグレンを容赦なく斬って捨て、同意を求めるようにミシェルを見た。

 ミシェルはぎこちなくうなずきながらも、グレンの強引さに喜びも感じはじめている自分に、戸惑ってしまった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ