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第二章 壊れた精霊⑥

「あ、あの、わたしは召使いですので、木戸は押さえてくださらなくて結構です」

「私は君が召使いになることを認めたわけではない。君は『一時的に』『便宜的に』『対外的に』、召使いを装っているだけだ」

「この木戸は別棟の窓からも見えます。ですからどうか……」

「奥に入って見えなくなってからなら、いいのだな?」

「えっ……」

「木々に隠れて我々の姿が窓から見えなくなってからなら、私が君をどう扱おうと構わないのだな?」

「『どう扱おうと』って? わたしになにをなさるおつもりですか?」

 グレンの言葉の不穏な響きに、ミシェルは小道をゆく足を止めた。咄嗟に周囲に視線をめぐらす。ここは灌木の繁みに囲まれ、奥庭の外からは見えない位置だ。

 なぜかペリの言葉が思い浮かぶ。――きっと変態だよ! 襲われちゃうよ! 川で濡れてるミシェル見て、ムラムラしただけかもしれないよ!

 グレンの片手が、ミシェルに向かって伸びてきた。

 ミシェルはどうしていいかわからず、思わずきゅっと身を縮めた。

「どうするつもりかって? エスコートするつもりだ。ここは足場が悪い。転ばぬよう私の手をとれ、ミシェル」

「――え?」

「ここにはしばらく庭師を入れていないからな。枯葉が積もって張り出した木の根が見えない上に、きのうの雨でぬかるみが出来ている。君を泥だらけにしたくない。ほら、ここなら誰も見ていないから、手をつないでもだいじょうぶだろう?」

「え、あ、では……失礼します」

 ミシェルはおずおずと右手を伸ばし、伸ばされたグレンの手をとった。

 優雅な顔に似合わない無骨な指先は、すこし熱っぽかった。

「……」

「……」

「い、いくか」

 なぜかグレンまで、びくびくしているように見えた。しかも、手をつないでから、ミシェルの顔を見てくれない。

 女に不器用な堅物。

 またしても、ペリの言葉が思い浮かぶ。

 そしてその言葉が、妙にじんわりと喜ばしい。

(やだ。わたしったら……)

 ぎこちないふたりをひやかすように、頭上で鳥が「ひゃっほう」とひと声鳴いた。

「へんな鳴き声の鳥ですね……」

「カッコウだろう」

「そう言われると、そうですね……」

「……」

「……。あの……。きゃっ!」

 なにか話す話題をと考えていたら、足元がおろそかになっていた。ミシェルは木の根に蹴躓き、グレンのほうへ倒れかかった。咄嗟に差し出された右腕に囲い込まれるように、ミシェルはグレンに抱き止められる。

 力強い腕だった。華やいだ貴族というより、まるで軍人のように鍛えられた腕。

「ごめんなさい……。ありがとうございます」

「ミシェル」

 体を離し、手も離そうと思ったのに、グレンはミシェルを大きな手で捕えたまま、離してくれなかった。

「なんでしょう?」

「私は、たわむれで結婚しようなどと言い出したわけではないぞ?」

 グレンの真摯な目が、ミシェルの視線をとらえる。

「そのお話は……」

「レナルドになにかあったら、私が君を守ろうと、レナルドとデスカリドの対立がはっきりしてきたときから決めていたんだ。私が若すぎたせいで、レナルドはまともに取り合ってくれなかったが」

「侯爵様……」

「グレンだ。レナルドとメリエは、私の人生の師だった。若くして侯爵位を引き継いだ私が、宮廷の荒波で溺れないための灯台だった。レナルドは私に勇気と目標をくれたし、メリエは宮廷に巣食う古狸どもの嫌がらせから、初心な私を庇ってくれた。だから、私はふたりの志に協力したかったんだ。でも……」

 グレンはそこで一度、声をつまらせた。

「協力させてもらえなかった……。一緒に戦いたかったのに」

「フォシェリオン家とデスカリド家は、クレティス家よりずっと家格の高い名門です。名門どうしが対立したら、宮廷が大変なことになるからでしょう? デスカリド侯爵は老獪な方だと、巷のうわさでききました。父は、お若い侯爵様の将来に、傷をつけたくなかったのですわ」

「そうだな……。わかっている。わかっているさ。私はそこで物わかりよく引きさがってしまったんだ。そうしているうちに流行り病でメリエが死んで、魔物が湧いて、レナルドは一躍英雄になって――そしてデスカリドに蹴落とされて、牢につながれた。私が言いつけを守っておとなしくしているうちに、すべてが変わってしまったんだ」

 グレンはミシェルの手を握る指に、力を込めた。

「守ろうと心に決めていた君まで、いつのまにか姿を消してしまっていた」

「……」

「心配したぞ、ミシェル。私の中で君は今でも、メリエに背中を押されてブランコに乗る、小さなミシェルなのに」

「ブランコは、もう自分でこげます。あなたに手を振ろうとして落ちたりもしませんし」

「私をおぼえているのか、ミシェル?」

「すこしだけ」

「すこしだけでも、おぼえているのか?」

「はい」

「……やった!」

 グレンの表情が、勝ち誇るようにぱあっと明るくなる。自分がおぼえていただけでこんなに喜んでくれるのかと思うと、ミシェルの胸は高鳴った。

 が。

「幼いころの君は私にまるで興味がない様子だったから。私のせいでブランコから落ちたから嫌われているのかと、ずっと気に病んでいたんだ。ほかは? ほかに私のことでおぼえていることは?」

 ひゃっほう、と、またカッコウが鳴く。

「カッコウにしては鳴き方が変わってますね」

「ミシェル、話をそらさないでくれないか。私のことでおぼえていることは?」

「剣術の――」

「稽古を見たときのことをおぼえているのか?」

「筋がいいと父が言っていたような。語学の――」

「手習いを一緒にやったことをおぼえているのか?」

「先生をすっぽかして剣の稽古に行くので困ると、母が言っていたような」

「それは、私ではなくレナルドとメリエの思い出ではないか……」

「ええとその……」

 ミシェルは言葉に詰まってしまった。

「いい。私はあきらめないぞ」

 グレンはいったんミシェルから手を離し、あらためてエスコートのための左手を差し出してきた。ミシェルはなんだか申し訳ない気持ちで、その手をとった。

「君との日々は、今から重ねていけばいいのだ」

 赤くなったミシェルが答える代わりに、鳥が「ひゃっほう」と鳴いた。


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